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支える人

この人(縁の下の力持ち的存在・・・)

公報活動 、教宣活動無くて政治活動は 、考えられません 。

2020-12-06
ドイツ 国家社会主義労働党 フランツ ・ヨーゼフ ・ゲッペルス は 、その才能に於いて天才だったのです 。

『トラ・トラ・トラ!』

2020-12-06
山村聰もいいけれど、やはり、この方、田村高廣です。

【昭和のアイドル】

2020-12-06
デビュー前後 1970年代
松田聖子
ピンクレディー
Facebook浅見さんの投稿
山口百恵
桜田淳子
森昌子

始まりの物型

2020-12-06
◾️巨人V1祝勝会でのビールかけ V9はここから始まった (昭和40年 東京)
王さんにビールをかけられる金田さん。
横には長嶋さん。
左手前には森さんの姿も見えます。
この時代は畳の宴会場でやっていたビールかけ。
昭和34年頃から日本プロ野球でも始まったとされています。
当時25歳の王さん。
生涯で何度のビールかけを経験したのでしょうか?
WBAの監督時を含めると、おそらく日本プロ野球界でも最多ではないかと思われます。

分かり合えない二人の関係

2020-12-02
Facebook佐々木信雄さんの投稿
【20th Century Chronicle 1965年(s40)】
◎日韓基本条約調印 国交正常化へ
*1965.6.22/ 日韓両国外相が、日韓基本条約および関係4協定に調印する。
*1965.8.14/ 韓国与党の民主共和党が、単独で日韓条約批准案を可決。25日、学生約1万人がデモ行進を行い、軍隊と衝突する。
*1965.12.11/ 参議院本会議で、自民・民社2党が日韓条約を強行採決する。
 1965(s40)年6月22日、佐藤栄作内閣は韓国の朴正煕大統領との間で、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)」を締結した。この条約により、両国の外交関係の樹立、過去の韓国併合条約などの失効などが確定し、日本は韓国を「朝鮮半島唯一の政権」であると認めた。そして日本は、無償3億ドル、有償2億ドルの経済援助を行うことを約束し、それを以て賠償問題は終わったとした。
 日韓の国交回復交渉は1951(s26)年、日本が主権を回復した直後から、吉田内閣と李承晩政権との交渉から始まった。当時の李承晩政権は、連合国の一員(対日戦勝国)としての交渉と賠償を要求しており、日本政府としてはとうてい認められる前提ではなかった。
 さらに、朝鮮戦争の最中であり、一方的な李承晩ラインの設定など、徹底的な対日敵視政策をとる李承晩政権との交渉は、ほとんど不可能に近かった。しかし東西冷戦下で、かつ南北朝鮮戦争を抱えたアメリカは、日本の自立を必要としており、日韓交渉を強力に斡旋し、国交回復交渉という形で両国間の交渉は始められた。
 日韓の国交回復交渉で最大の課題は、やはり「歴史認識」問題であった。韓国は1910(m43)年の韓国併合条約を国際法上無効であるとして、その上で、日本の植民地支配としての「賠償」を強く求めた。それに対して、日本政府は併合条約は当時の国際法上有効な条約であり、合法的な併合であるから賠償は必要ないと主張した。
 両国政府による数次の会談でも、両者の認識の違いは埋まらず、遅々として進展しなかったが、1960(s35)年4月に韓国で「四月革命」が発生し、李承晩は大統領は辞任してハワイに亡命する。さらに1961年5月、韓国で朴正煕らが「5・16軍事クーデター」を起こす。軍事政権を樹立した朴正煕は、日本の事情にも詳しく、交渉においても現実路線を取ったため、交渉は具体的な問題に踏み込んで進められた。
 国家再建最高会議議長朴正煕が、1961年11月11日に訪日し池田勇人首相と直接会談し、請求権問題は賠償的性格でなく法的根拠を持つものに限るとして、池田首相も、法的根拠が確実なものに対しては請求権として支払い、それ以外は無償援助、長期低利の借款援助を示唆することで、経済協力方式による解決が提示された。
 この日韓首脳会談が契機として、歴史認識問題や竹島の帰属問題は棚上げとなり、条約の締結に至った。最終的には韓国の朴正煕大統領が、賠償なのか支援なのかは問わず、日本からの無償3億ドル・有償2億ドルの提供を受けるということで決着することになった。
 両国とも、国内で反対運動が起きて難航したが、年内にはともに批准が済み、条約は発効した。当条約と付随協約により、日本は朝鮮半島に残したインフラ・資産・権利を放棄し、当時の韓国の国家予算の2年分以上の資金を提供することで、日韓国交樹立、日本の韓国に対する経済協力、日本の対韓請求権と韓国の対日請求権という両国間の請求権の完全かつ最終的な解決、それらに基づく日韓関係正常化などが取り決められた。
 最終的に日本は、約11億ドルの経済援助を行うことになり、韓国は日本からの受けた請求権資金・援助金で浦項総合製鉄、昭陽江ダム、京釜高速道路、漢江鉄橋、嶺東火力発電所などが建設されて、最貧国から一転して経済発展した。ただし、日韓基本条約によって日本から個人への補償金として支払われた無償援助3億ドル分は、韓国政府が経済発展資金に回したため、いまだ個人の請求権の有無が問題にされるなど、韓国側の都合で振り回される状況が続いている。
(この年の出来事)
*1965.2.10/ 社会党の岡田春夫が衆議院予算委員会で、防衛庁統幕会議の極秘文書(三矢研究)を暴露し、政府を追及。
*1965.3.6/ 山陽特殊製鋼が、負債総額500億円を抱え、会社更生法の適用を申請する。(戦後最大の倒産)
*1965.3.20/ 河野一郎国務大臣から、記録性に欠けると批判された市川崑監督「東京オリンピック」が公開され、大ヒットとなる。
*1965.4.23/ 吹原産業の吹原弘宣社長が、三菱銀行から30億円の通知預金証書を搾取したかどで逮捕される。(吹原産業事件)
*1965.5.18/ ファイティング原田が、ボクシング世界バンタム級で、日本人初のチャンピオンとなる。
*1965.6.12/ 新潟大学の植木幸明教授らが、阿賀野川流域で水俣病に似た有機水銀中毒患者が発生していると発表する。(第2水俣病)
*1965.10.21/ 朝永振一郎博士が、ノーベル物理学賞を受賞決定。
*1965.11.8/ 日本テレビ(NTV)が、ナイトショー「11PM」の放映を開始する
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