兵戈無用(ひょがむよう)
「兵戈無用」(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)
弔問外交
政府は26日にバチカンで執り行われるローマ教皇フランシスコの葬儀に岩屋毅外相を参列させる方針を固めた。日本政府関係者が23日、明らかにした。
葬儀にはトランプ米大統領やフランスのマクロン大統領ら米欧の首脳が参列を表明している。
石破茂首相は27日から東南アジア歴訪を予定しているため、政府内には当初、首相経験者でカトリックでもある自民党の麻生太郎元首相を派遣する案があった。しかし、首相官邸による調整の結果、現職閣僚の岩屋氏を参列させることになったという。
岩屋氏は米ニューヨークで始まる核拡散防止条約(NPT)再検討会議の第3回準備委員会に出席するのに先立ち、バチカンを訪問する。
ナベツネ死す!!
『独占告白 渡辺恒雄 戦後政治はこうして作られた』の渡辺氏のインタビューにもどりたい。学徒出陣の際に持参したのは、カントの『実践理性批判』だった。
「この『実践理性批判』の結語の冒頭だったわね。僕は、いつも自分の手帳に書き写した。『一生を考えて、いまだに敬意を表しているものが二つある。一つはわが上なる星の輝く空、一つはわが内なる道徳律である』」
「軍隊に行って死にに行くんだから、そういうときに一番の価値は『わが内なる道徳律』。これは上官や将校などの軍人になんかに分からん。俺だけが持っている心の価値である。それが死に対抗する」
「棺(かん)を蓋(おお)いて事定まる」―蓋棺事定。渡辺氏の棺に蓋(ふた)がされるとはいえ、数え年で昭和100年を来年に控えて逝ったのは象徴的である。その評価が定まるまでには、まだまだ時の砂が落ちるのを待たなければならないだろう。
戦後の政治報道で存在感を発揮し、「プロ野球界のドン」としても知られた渡辺恒雄(わたなべ・つねお)読売新聞グループ本社代表取締役主筆が19日、肺炎のため死去した。98歳。葬儀は近親者のみで営む。お別れの会を後日開く。喪主は長男睦(むつみ)さん。
1926年5月、東京生まれ。東大文学部哲学科卒。学生時代に共産党に入党したが、路線対立から脱党。その後は共産主義に対して一貫して否定的な立場を取った。
読売新聞社に入社後は、政治部を中心に活動。自民党の故大野伴睦元副総裁や故中曽根康弘元首相との盟友関係が知られた。日韓国交正常化では、大野氏と韓国政府高官の仲介役を務めるなど、政府・与党の権力者と一体化した取材手法を取り、国交正常化の大枠を決めた62年の「金(鍾泌韓国中央情報部長)・大平(正芳外相=いずれも当時)メモ」の存在などをスクープした。半面、ロッキード事件に関与した右翼の大物、故児玉誉士夫氏との交流などが問題視されたこともある。
ワシントン特派員、政治部長、論説委員長などを経て91年に社長に就任し、政界への幅広い影響力を保ち続けた。2007年参院選で自民党の大敗後、福田康夫首相(当時)と民主党の小沢一郎代表(同)の間で話し合われた「大連立」構想では、福田氏の名代役の森喜朗元首相と小沢氏の会談に同席。構想の破談後は小沢氏への批判を強めた。
77年目の「長崎の鐘」 色あせない永井隆博士のメッセージ
独裁者 床屋の演説(日本語)
ロシア外務省が岩屋外相ら9人を入国禁止に、対露制裁への報復
9人には、中込正志・駐ウクライナ大使や松田邦紀・前ウクライナ大使のほか、国際協力機構(JICA)の原昌平理事、JICAウクライナ事務所の松永秀樹所長、IHIの井手博社長、いすゞ自動車の南真介社長らが含まれている。
日本政府は今年1月、ロシアの産業力強化につながるとして、クレーン車など特殊車両のエンジン部品、小型バイクなど335品目を輸出禁止の対象に追加するなど、追加制裁措置を決めていた。
ロシア外務省はこれまで対露制裁への報復として、岸田前首相など日本政府関係者や国会議員のほか、トヨタ自動車の豊田章男会長など日本企業のトップらに対し、入国禁止措置を発表している。