本文へ移動

兵戈無用(ひょがむよう)

「兵戈無用」(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)

扇千景という生き方

2023-03-16
 元参議院議長で、宝塚出身の元女優の扇千景さんが3月9日、「食道胃接合部がん」のため東京都内の大学病院で亡くなった。89歳だった。

元参議院議長で、宝塚出身の元女優の扇千景さんが3月9日、「食道胃接合部がん」のため東京都内の大学病院で亡くなった。89歳だった。今回の訃報を受け、自民党の茂木幹事長が悼んだ。国会でのヤジに負けじと反論するなどまさに“女傑”だった。そんな扇さんの生き様を振り返る─。


歌舞伎役者・坂田藤十郎さんとの結婚を機に…

「1954年に宝塚歌劇団41期として娘役で初舞台を踏んだ扇さんは、ほどなく八千草薫さんらとともに宝塚歌劇団に新設した『映画専科』ヘ異動。宝塚映画やドラマで活躍したのち、1957年、映画で共演していた歌舞伎役者で人間国宝の四代目坂田藤十郎と結婚しました」(芸能記者)
 
 結婚を機に一時芸能界から離れるも、知人からの依頼で女優に復帰。加えて1974年から4年間、フジテレビ系の昼のワイドショー『3時のあなた』では総合司会を務めた。その持ち前の度胸のある行動力や発言が注目され、政界入りを打診され承諾。番組内で出馬会見を行ったことも大きな話題となった。

「当時の首相で自由民主党総裁の福田赳夫氏、同幹事長の大平正芳氏らの要請を受けての参議院選挙出馬です」(芸能記者)

【訃報】扇千景さん(89)死去 女性初の参議院議長就任 初代の国土交通大臣も

「兵戈無用」 泉 惠機(いずみ しげき)(助教授・解放の真宗学)

2023-03-09

 これまでこの言葉は、日常生活の中でほとんど用いられてはこなかったかもしれない。最近になって時折見かけるようになった。“武器も軍隊もいらない”という意味である。浄土三部経のひとつ『大無量寿経』に出てくる言葉である。釈尊が悪を戒め信を勧められるところで語られるのだ。この背景には「不殺生」「殺すなかれ」という釈尊の思想がある。
 釈尊の時代にも戦争はあった。大規模な戦ではなくとも、人が人を傷つけ、武器を持って殺しあうのは人間の最も愚かな行為でありながら、絶えることがない。そのような人間の有様のただ中で、釈尊の世の祈りを示す言葉として語られたといって良いだろう。
 この言葉を聞いて、誰の心にも思い合わされるのは、昨年九月の「同時多発テロ」事件と、その後のアメリカによるアフガンへの空爆である。多くの命が奪われ、また今も奪われ続けている。自らの命を「兵戈」と化し、また先端のテクノロジーを駆使した「兵戈」を用いて、殺戮が行われている。そして世界は、それをとどめる術をもたないかのごとくである。しかも、いずれも「正義」を謳って「兵戈」を用い、殺戮が正当化される。しかし、いかなる事情があろうと、幾万言ついやそうと、何人も命を奪うことを正当化することはできない。また同時に、多くの戦争が「自らに正義あり」として行われたが、殺戮することに冠せられる「正義」はない。
 幾たびもの戦争が繰り返された二十世紀に対して、二十一世紀は「平和と人権の世紀」であることが強く願われてきたにもかかわらず、最も愚かな行為によって幕を開けたことを悲しまざるを得ない。
 またこの状況を見ると、『法句経』の次のような言葉が思い合わされる。

この世において、怨みに報いるに怨みをもってすれば、ついに怨みは息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。
 今こそ、「兵戈無用」という釈尊の願いを心に入れて生きていきたい。

私は坂本しのぶです。

2023-03-09
<私は坂本しのぶです。水俣から来ました。お母さんのおなかの中で水俣病になりました。胎児性の水俣病です。私もみんなもどんどん悪くなっていきます。水俣病は終わっていません。たくさんの人が闘っています。言いたいことがあって来ました。女の人と子どもを守ってください。水銀のことをちゃんとしてください。ありがとうございました>
必死に声を振り絞った胎児性水俣病患者の坂本さん。出席者は「勇気ある姿。条約の必要性を感じる」と涙しました。

「敵は2分でできるけど、味方をつくるのは3カ月」

2023-03-06
林真理子が挑む、組織改革と人生の後半戦
1980年代に初エッセー『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセラーに。直木賞を受賞後はジャンルを超えた小説を書き続け、話題作を世に送り出してきた作家・林真理子(68)。彼女が、日本大学の理事長になり8カ月がたった。田中英寿元理事長が脱税事件で有罪判決を受け揺れる母校からのオファーは、青天の霹靂。「あきれるほどマッチョな組織体質が一連の不祥事の背景にあった。息のかかった男性ばかりで周囲をかため、一人の理事長が13年間も絶対的権力を振るってきた。ウミを出し切らねば」と覚悟を決めた。慣れない大学経営に悪戦苦闘しながらも組織改革を進めている。初めての女性トップならではの苦労はあるのだろうか。林が考える人事や会議の「コツ」とは?(取材・文:城リユア/撮影:米田渉/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略)

水との闘い

2022-09-11
福岡県朝倉の場合

facebook 本荘 和夫さん曰く


筑後川の中流域に肥沃な水田地帯を広げる朝倉町が、かつては谷間から湧き出る水で水田を耕すばかりの傾斜の激しい砂地が広がる原野だったとは信じがたい。農民たちは、たびたび起こる干ばつに苦しめられていた。干ばつの被害を防ぎ安定した生活を確保するためには開田こそが必要とされ、何をおいても筑後川の水を引き入れるよりほかに方法はなかった。
一六六二~三年(寛文二~三年)に起きた干ばつを契機に、筑後川から水を引くための大工事が行われ、翌年には百五十ヘクタールの水田を潤す「堀川用水」が完成する。だが水田面積の増加にともなって、堀川用水のかんがい能力は限界に達していく。
一七二二年(享保七年年)、たびたびの洪水で取水口に土砂が堆積し、再び干ばつの害を受けるようになった。そこで、新たな取水口として現在位置(水神社境内の地下)の岩盤をくり貫き、長さ二十m、内法一.五m四方のトンネルを掘り、門扉一枚で開閉自在の切貫水門に改築された。さらに一七六〇年(宝暦十年)から約五年間をかけて新堀川掘削工事を重ね、堀川用水は拡張の歴史を繰り広げる。
福岡県朝倉市堀川で現在も活動中の三連水車です
TOPへ戻る