兵戈無用(ひょがむよう)
「兵戈無用」(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)
扇千景という生き方
歌舞伎役者・坂田藤十郎さんとの結婚を機に…
「1954年に宝塚歌劇団41期として娘役で初舞台を踏んだ扇さんは、ほどなく八千草薫さんらとともに宝塚歌劇団に新設した『映画専科』ヘ異動。宝塚映画やドラマで活躍したのち、1957年、映画で共演していた歌舞伎役者で人間国宝の四代目坂田藤十郎と結婚しました」(芸能記者)
結婚を機に一時芸能界から離れるも、知人からの依頼で女優に復帰。加えて1974年から4年間、フジテレビ系の昼のワイドショー『3時のあなた』では総合司会を務めた。その持ち前の度胸のある行動力や発言が注目され、政界入りを打診され承諾。番組内で出馬会見を行ったことも大きな話題となった。
「当時の首相で自由民主党総裁の福田赳夫氏、同幹事長の大平正芳氏らの要請を受けての参議院選挙出馬です」(芸能記者)
「兵戈無用」 泉 惠機(いずみ しげき)(助教授・解放の真宗学)
これまでこの言葉は、日常生活の中でほとんど用いられてはこなかったかもしれない。最近になって時折見かけるようになった。“武器も軍隊もいらない”という意味である。浄土三部経のひとつ『大無量寿経』に出てくる言葉である。釈尊が悪を戒め信を勧められるところで語られるのだ。この背景には「不殺生」「殺すなかれ」という釈尊の思想がある。
釈尊の時代にも戦争はあった。大規模な戦ではなくとも、人が人を傷つけ、武器を持って殺しあうのは人間の最も愚かな行為でありながら、絶えることがない。そのような人間の有様のただ中で、釈尊の世の祈りを示す言葉として語られたといって良いだろう。
この言葉を聞いて、誰の心にも思い合わされるのは、昨年九月の「同時多発テロ」事件と、その後のアメリカによるアフガンへの空爆である。多くの命が奪われ、また今も奪われ続けている。自らの命を「兵戈」と化し、また先端のテクノロジーを駆使した「兵戈」を用いて、殺戮が行われている。そして世界は、それをとどめる術をもたないかのごとくである。しかも、いずれも「正義」を謳って「兵戈」を用い、殺戮が正当化される。しかし、いかなる事情があろうと、幾万言ついやそうと、何人も命を奪うことを正当化することはできない。また同時に、多くの戦争が「自らに正義あり」として行われたが、殺戮することに冠せられる「正義」はない。
幾たびもの戦争が繰り返された二十世紀に対して、二十一世紀は「平和と人権の世紀」であることが強く願われてきたにもかかわらず、最も愚かな行為によって幕を開けたことを悲しまざるを得ない。
またこの状況を見ると、『法句経』の次のような言葉が思い合わされる。
この世において、怨みに報いるに怨みをもってすれば、ついに怨みは息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。