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G馬場のプロレス

【 プロレス編】

インターナショナル選手権

2025-10-20
Antonio Inoki & Shohei Baba vs Johnny Valentine & Gene Kiniski
ジャイアント馬場vs.ジン・キニスキー(JWA・1970年12月3日)
ジン・キニスキーvs.ジャイアント馬場(NWA・1970年12月18日)

二人の恩人!!

2025-10-14
″人間台風″ゴリラ・モンスーン ・″東洋の巨人″ジャイアント馬場 ・″殺人狂″キラー・コワルスキー
facebook 佐々木 隆広さん曰く
ゴリラ・モンスーンは、ブルーノ・サンマルチノと同じくジャイアント馬場と親友の間柄だったので、WWFが新日本プロレスと提携した時も、サンマルチノ同様、馬場との友情関係を理由に新日本への参戦を拒否していたという、義理と人情を大切にする浪花節なレスラーでした。
キラー・コワルスキーは、厳格な菜食主義者として有名で(プロレス・スーパースター列伝では、ニードロップで相手レスラーの耳を削いでしまい、それ以降、ステーキ肉が千切れた耳に見えてしまい⇨肉が食べれなくなったとの描写がありましたが、実際は宗教上の理由で肉を食べなかったそうです)日本でカレーライスを食べようものなら、具材をすべて取り出して、肉じゃないかをチェックして、ジャガイモなども「まさか肉ではないよな…」と、細かく刻んで確認していたほどの徹底ぶりだったそうです。
そういえば、ゴリラ・モンスーンはキャリアの大半をWWF(現在はWWE)で過ごして、引退後はWWFの実況アナウンサーや、裏方として活躍しました。
特にフロントマンとしての才能を高く買われ、WWEでは今でも、モンスーンがレスラーやスタッフに指示を出していた入場ゲートの裏にある部屋を「ゴリラ・ゾーン」と呼んでいるそうです。
そして現在そのゴリラ・ゾーンで指示を出しているのは、キラー・コワルスキーの弟子で、現在WWEの戦略部門最高執行役員のトリプルHであります

32文人間ロケット砲

2025-10-12
ジャイアント馬場 32文人間ロケット砲24連発!!
【高打点】超厳選ドロップキック集

【プロレス】終戦50年特別企画 金曜の夜 日本は燃えた

2025-10-12
【プロレス】終戦50年特別企画 金曜の夜 日本は燃えた 1
【プロレス】終戦50年特別企画 金曜の夜 日本は燃えた 2

力道山

2025-10-12
力道山vs.ザ・デストロイヤー(JWA・1963年12月2日)
【昭和の英雄 力道山の真実:伝説の死とその裏側】国民的ヒーロー力道山はなぜヤクザに命を狙われたか?栄光の陰に潜む力道山の光と影
1953- ハワイの力道山、力道山vs.ルー・テーズ
Rikidozan Vs Toshio Yamaguchi - Pt 2
Rikidozan Vs Toshio Yamaguchi - Pt 1
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