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蓮如さん

教団の歴史

【写真日記 蓮如上人御影道中御輿車(リヤカー)を展示中です】

2024-02-25
facebook 真宗大谷派(東本願寺)さん曰く
現在、参拝接待所横のギャラリーでは、蓮如上人御影道中で実際ににて使用している御輿車(おこしぐるま)を展示しています。
御影道中とは、江戸時代から続く、真宗本廟(東本願寺)と福井県あわら市にある吉崎別院の間を蓮如上人の御影のお供として歩く御仏事です。
上人ゆかりの地である吉崎別院では、毎年4月23日から5月2日までの10日間、本願寺8代・蓮如上人による北陸での教化のご苦労とその徳を偲ぶ「御忌法要」(ぎょきほうよう)が勤まります。
御忌法要にあたっては、毎年、真宗本廟で出発式(御下向式)を行った後に蓮如上人の御影を御輿に乗せ、上人が歩いたとされる約240kmの道のりを徒歩で7日間かけて、湖西回りで吉崎別院まで旅をします。法要後、今度は湖東回りで約280kmの道のりを8日間かけて京都を目指し、到着後は御帰山式を行います。
今回展示している御輿とリヤカーは、その時に使用されるもので、寺院や門徒宅といった会所に立ち寄り、随行教導による法話を聞きながら、上人のお供をする供奉人らによって、京都と吉崎を往復します。
このように蓮如上人御影道中は、真宗本廟と蓮如上上人御教化の地・吉崎をつなぐ大切な御仏事として、350回以上にわたって、江戸時代より今日まで絶えることなく受け継がれています。
展示では、「蓮如上人さまのお通り~」の先触れの声も聞くことができますので、この機会にぜひお立ち寄りください。
なお、2月16日からは、御影道中のパネルや経路図の展示も加えた「御影道中展」が同会場にてスタートしますので、どうぞご期待ください。
★吉崎別院では、御影道中への自主参加の募集を行っております。詳しくはこちら⇒http://www.yoshizakibetsuin.com/goeidoutyu/index.php

木越祐馨先生の「能登門徒の登場」

2024-01-20
facebook ミタ ライ さん曰く
能登真宗史について、教区発行だと2013年『能登の真宗』展の図録があります。出品された法宝物を所蔵するお寺が無事なのか気がかりです。
木越祐馨先生の「能登門徒の登場」は16世紀前半までの史料に限定したもの。江戸期の寺院史によらず、「門徒」に視点を置いて書かれています。本山や寺院の動きで見てしまいますが、それについては法宝物に語ってもらっているようです。
「本誓寺開山聖人」と記された輪島市本誓寺蔵の1473文明5年3月25日付「売寄進状」は、「能登への真宗の到来を示す確実な文献史料」と紹介されています。蓮如が吉崎にいた時のものです。能登の浄土真宗は、ここから始まったのですね。

親鸞らの遺骨 宗派超え分骨、大阪の寺 東西分派後初

2022-05-12
親鸞、蓮如の遺骨の受け渡しが行われた分骨式(11日午前、大阪府八尾市の顕証寺で)=原田拓未撮影
讀賣新聞、2022/05/11 15:00

浄土真宗の宗祖・ 親鸞しんらん のものとされる遺骨が代々伝わる真宗大谷派(本山・東本願寺)の 慧光寺えこうじ (大阪市平野区)から11日、浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)の顕証寺(大阪府八尾市)に親鸞と中興の祖・ 蓮如れんにょ の遺骨が分骨された。本願寺が1602年に東西に分派した後、両派の寺院間での分骨は史上初という。

 顕証寺は蓮如が、慧光寺は蓮如の六男・蓮淳がいずれも室町時代の15世紀後半に開いた。東西分派後、両寺は西本願寺側についたが、慧光寺は1680年に東本願寺側に改派した。蓮如ゆかりの宝物などを巡る対立があったと伝わる。

 近年、交流が再開しており、2023年に親鸞誕生850年を迎えるのに合わせ、慧光寺の提案で今回の分骨が実現した。

 この日、顕証寺で分骨式が行われ、両寺の関係者や門徒ら約120人が参列。遺骨は 唐櫃からびつ に納めて本堂に運ばれ、大谷派の僧侶たちが儀式を行った後、顕証寺に受け渡された。

 慧光寺の近松 暢昭ちょうしょう 住職(52)と顕証寺の近松 真定しんじょう 住職(44)は「寺離れが進む中、東西の垣根を越え、手を携えて教えを多くの人々に伝えていきたい」と話した。

☆京都山科の幻の巨大要塞『山科本願寺跡』をぶらり

2023-06-04
【まとめ】NHK番組『ブラタモリ』放映
via © 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省

目次


ブラタモリでも紹介された京都山科にあった幻の巨大要塞

街歩きの達人・タモリさんが“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫るNHK人気番組「ブラタモリ」。街の新たな魅力や歴史・文化などを深堀する番組で、案外地元民が知らなかった知見にも巡り合えたり。

京都もこれまで数々のエリアが紹介されてきましたが、5月20日放映「京都・山科~要衝・山科は何を生んだ?~」回において、これまであまり観光スポットとして紹介されてこなかった山科の魅力について深堀されていました。

番組ではいくつかの項目でそのスポットを紹介されていましたが、今回はその中でも注目の史跡『山科本願寺』についての史跡をさらに深堀します。

山科本願寺は浄土真宗の中興の祖・8代蓮如上人が寺の再興のため、山科を拠点として文明10年(1478年)に造営を開始。南北約1キロ、東西約800メートルに及ぶ「蓮如が築いた城」とも称される寺域を誇ったと伝わり、その史跡は山科駅から徒歩15分程度の圏内に集中し、歩きながらめぐるにも好立地な場所にあり、今もその片鱗を見ることができます。

こちらは現在の山科区の航空地図。山科本願寺は3つの郭(くるわ)で構成され、阿弥陀堂や宗祖親鸞の像を祀る御影堂があった「御本寺」、僧が住んだ「内寺内」、町衆の家が並んだ「外寺内」。そして晩年蓮如上人が過ごした「南殿」。

[こころの時代] 世界のかわいい民藝

2023-11-26
手仕事の奥深さ 民藝を支えてきた寺の住職が語る 生活に根ざした “救いの美” | ナレーション永作博美 |
06_大福寺住職・太田 浩史が語る「日本のものづくりの概念」
富山県南砺市にある大福寺の住職を務める傍ら、日本民藝協会常務理事として地域おこし活動を行う太田 浩史(おおた ひろし)さん。 このインタビューでは、「民藝」の魅力、「土徳」という考え方、井波彫刻の歴史などについて、お話を聞くことができます。
骨董トーク2022年4月号:京都で生まれた民藝 柳宗悦と河井寬次郎の邂逅
その14「民藝・京都/河井寛次郎記念館へ」
日本遺産構成文化財 ナレーション付き解説動画【濱田庄司作品(益子町)】
「生活をつくる芸術家 バーナード・リーチ 」2007年 12分 構成 福田孝 撮影 清水良雄
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