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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

総序之文

2022-01-17

犀の角ごとく・・・。

2022-07-27

Facebook 速水 馨さん曰く



求道者たれ、ともに求道者たらん
——道場に守られていた前後期14日間の教師修練を終え、それぞれの現実に帰って行かれました。
一人でいかなければならない道を二人で行ってはならない。
犀の角のごとく、ただ独り歩め

犀の角のようにただ独り歩め。 「犀の角のようにただ独り歩め。」 『スッタニパータ』(『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫 17頁)

 標題のことばは「サイの頭部にそそり立つ太い一本角のように、独りで自らの歩みを進めなさい」という意味です。インドサイは群れではなく単独で行動することが知られていますので、「犀の(一本)角」という比喩表現は「孤独」を意味します。このように仏教が孤独を勧める背景には「私たちの悩みは人間関係から起こる」との分析があります。つまり、悩みを生み出す原因が「人のつながり」にあるのなら、そこから一時的に離れてみることが心の成長に必要ということです。

 現在のようにつながりが強化された社会では、つながりからこぼれ落ちた存在が際立って見えます。人々は他者とのつながりを求め、それが断たれた状態を不安や不快として感受します。ですが、実際のところ私たちが孤独を感じるのは、周りの人に囲まれながらも「誰も私のことを見ていない」「誰も私に関心を持っていない」と実感するときです。一人でいることが孤独感の原因なのではなく、周囲とのつながりを実感できないからこそ孤独を痛みとして感じます。にもかかわらず、私たちは一人になることを怖れ、なるべく他者とつながろうとする結果、毎回同じ痛みを感受することになります。そのような私たちに、標題のことばは、孤独を怖れる必要はないと教えます。

 さらに、同じ『スッタニパータ』の58番目の韻文では次のようにうたわれています。

学識豊かで真理をわきまえ、高邁(こうまい)、明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。
 仏教では「悩みの原因となる対人関係から距離をとる」という意味での孤独を勧めると共に「優れた友との交流」を勧めます。一見して矛盾するように思われますが、そのねらいは真に独立した人格を形成するためにはどちらも必要ということです。そして、ここでの「友」は対人関係における友人に限定されません。例えば、大学生であれば自身がひたむきに学ぶ学問が「友」になり、社会人であれば自身が責任をもって勤しむ仕事が「友」になります。つまり、自身を成熟へと導くものが総じて「友」と呼ばれるのです。

 様々なつながりを自覚した上で、孤独と向き合う時間は貴重です。なぜ孤独が必要なのか。それは自分が本当は何を求めているのかを知るためです。そのとき、学びや仕事は孤独を支えてくれるでしょう。そしてその道程において、あなたは真の友とであうのかも知れません。

名号

2022-08-14
Facebook Yasuda Rizinさん曰く
144

名号といっても阿弥陀仏という名ではないのです。
仏の名、本願の名です。
「阿弥陀仏」ではない、
「南無阿弥陀仏という名」なのです。
むしろ南無に重点があるのでしょう。
南無のほかに阿弥陀仏があるのではない。
南無の中に阿弥陀仏がある。
阿弥陀仏から南無が生まれて、
その生まれた南無の中に
阿弥陀仏を包んであるのです。
われわれに先立って
1445

本願がわれわれに先立って
われわれの問題に応(こた)えている、
それが「名号」です。
われわれに無関係のものがあるわけではない。
われわれの問題が、われわれに先立って、
問い、かつ応えられている。
ここが一番根元的なことです。
南無阿弥陀仏が阿弥陀仏の名です。
1448

南無阿弥陀仏が阿弥陀仏の名です。
仏さまがあってそれに南無阿弥陀仏という名前がついたのではないのです。
南無阿弥陀仏というのが仏さま自身です。
けれどもただ仏ではない。
われわれを包んでわれわれを応えている仏さまなのです。
そうでしょう。
こういうことは福音というキリスト教にもない。
非常に大事な点です。
言葉が救うという、言葉です。

如是我聞

2022-08-09

Yasuda Rizinさん曰く


1440

本願を説いた経典というのが大無量寿経です。
その本願そのものを具体的に押さえれば何であるかというと、
名号なのです。
大無量寿経の中に名号があるのではないのです。
名号の意義を説いたのが大無量寿経です。
どんな経典でもみな「如是我聞」と。
聞という字がついている。
大無量寿経だけでない、
観無量寿経でも
阿弥陀経でも
みな「如是我聞」です。
経典は論ではないのです。
1441

「如是我聞」。
あるいは「我聞如是」です。
こういう言葉があるのです。
その「聞」というのがつまり音信を聴くと。
言葉を聴くのです。
言葉の意味を聴くわけです。
だから大無量寿経以外でも、「
如是我聞」という、
「聞」の無い経典は無いのです。
そこに経典というものがある。
経典は論ではないのです。
聞其名号
1442

経典というものは論や釈ではないのです。
経典は「聞」で代表されている。
これが今日、大事な点です。
大無量寿経の中には
「如是我聞」というよりも
「聞其名号」という言葉があるでしょう。
これは大無量寿経にしかないのです。
「我聞如是」という言葉は
他の経典にもあるでしょう。
けれども
「聞其名号」ということが出ているのは
大無量寿経だけです

カール・バルトという人

2022-08-03

Facebook Yasuda Rizinさん曰く



1435
カール・バルトは今、膨大な教義学の本も出ていますが、
有名になったのはロマ書の講義というのがありまして、
これが非常に革命的な働きをしたわけです。
そのことで思い出すのですが、
カール・バルトはドイツの人。
厳密には今はスイスですけどドイツです。
バルトは、
自分らとは非常に無関係な、
東の中の最も東という極東に、
日本という国があると。
そこへ
七百年前に
親鸞という人が出ていると言うのです。
バルトは親鸞を知ったのでしょう。
1436
バルトは親鸞を知ったのでしょう。
どうして知ったかは私は知りません。
まだ『教行信証』は翻訳されていない時代の話です。
向こうではオルデンベルクというような人があって、
仏教の研究は非常に思想的に進んでいます。
それで親鸞を知ったのでしょう。
そして驚嘆している。
われわれと縁の無い、
もう全く無関係な極東の日本において福音主義が出ている、
とバルトは言うのです。
1437
親鸞はわれわれと相談したわけではないと。
だからぜんぜん縁の無い所に福音主義というものが現れていると。
これが親鸞だと。
これは奇蹟としか言いようがないとバルトは驚嘆しているのです。
非常に大事な点ではないかね。
外国の人はそういうように親鸞に驚くのです。
けれど仏教徒はそれほど驚かない(笑)
1438
こちらの坊さんには感動が無いのです。
逆に、向こうの人が親鸞を見出してくる。
こういう時代なのです。
それほど親鸞は世界性を持っている。
本願寺に包み切れないのです。
そうでしょう。
親鸞の明らかにした思想は、本願寺の中に入らないのです。人類的なものがあるのです。
だからかえって異国のそういう人々が驚嘆する。
1439

福音というのは、
皆さん知っておられるように、
喜ばしき報せという意味です。
音というのは音信というように、
便りです。
魂の故郷からの便りです。
福音とはそういう意味です。
われわれが忘れている魂の故郷から音信が来ていると。
帰れ、根元に帰れという音信です。
それが福音。
だからそういうことから見ても、
言葉というものが非常に大事だということが分かりますね。

仰せを蒙りて【音声・映像データ編】

法話 伊藤元_06

2022-07-29
2019年12月6日 蓮照寺 報恩講 昼座 1 
吉川英治 宮本武蔵 宍戸梅軒 我れ神仏を尊んで神仏を恃まず 
縁起の理法 
芦野宏
美輪明宏 
四知 天知 地知 我知 人知 『後漢書』
身は苦器 心は悩端 『浄土論註』曇鸞大師 
禍福はあざなえる縄の如し
法話 伊藤元_07
2019年12月6日 蓮照寺 報恩講 昼座 2 
仏教はいのちの尊さを教えている。 
共同感覚 
共感能力 
人間は、いくつになっても役目があります。 周りの人に、慈しみの心を引き出す力がある。 人間のありうるすがたを周りに教えている。 
「称仏六字」というは、南無阿弥陀仏の六字をとなうるとなり。「即嘆仏」というは、すなわち南無阿弥陀仏をとなうるは、仏をほめたてまつるになるとなり。『尊号真像銘文 』 念仏申せたか申せんか 
人間に生まれからには、お念仏申せ 親に会いたいと思ったら、お念仏申せ 
仏教は、決して祈願の教えではない。 自分の深い願いを、教えてもらう教え。 
教えてもらって初めて自分が何を求めていたかに出会うこと。

8:58 / 37:09 法話 伊藤元_01

2022-07-29
2019年12月4日 蓮照寺 報恩講 昼座_1
諸行無常
 浄土真宗が開かれて、仏教が完成する。宗教が完成する。 
聞即信 
 今、現に、与えられている恩恵は失うまで分からない。 失われるまで分からん、ということを分からなければならない。 一度の出会いではだめ、何回も何回も出会い直す。 仏様の教えを聞くということは出会うための準備。 「ひとたび、仏法をたしなみそうろうひとは、大様になれども、おどろきやすきなり。」『蓮如上人御一代記聞書』
法話 伊藤元_02
2019年12月4日蓮照寺 報恩講 昼座_2
 浄土真宗という仏道は、念仏を申して、念仏のいわれを聞いていくことで、救われていく道。 修行をするわけではありません。
浄土真宗にとっては「聞く」ことが修行に相当する。 
この世に もし一人でも自分よりも劣っている人がいると思っているような人には本願念仏の教えは響いてきませんよ。 
「我以外皆我師(われ以外みなわが師なり)」吉川英治 
  世阿弥 『風姿花伝』『花鏡』 
  初心忘るべからず 法然上人「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」
  是非初心不可忘 
  時々初心不可忘 
  老後初心不可忘
法話 伊藤元_03
2019年12月5日蓮照寺報恩講昼座1 
在家 出家 
一心専念弥陀名号 善導大師 
在家といふは、五欲を貪求すること相続してこれ常なり。 
たと(縦)ひ清心を発こせども、なほ水に画くがごとし。 『観経序分義』 
五欲 財欲 色欲 名欲 飲食欲 睡眠欲 
「とうとむ人より、とうとがる人ぞ とうとかりける」『蓮如上人御一代記聞書』
  尊敬できる人間を持ってる人間が光るんです。尊敬される人間は別に光らない。 倉本聰
法話 伊藤元_04
法話 伊藤元_05
2019年12月5日 蓮照寺 報恩講 昼座 2 
エリザベス・キューブラー・ロス 精神科医 
『散善義』 西に向かひて行かんと欲する 
『華厳経』 この身 今生において度せずんば、さらにいずれの生においてか この身を度せん。 
『涅槃経』 「二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慙、二つには愧なり。「慙」は自ら罪を作らず、「愧」は他を教えて作さしめず。「慙」は内に自ら羞恥す、「愧」は発露して人に向かう。「慙」は人に羞ず、「愧」は天に羞ず。これを「慙愧」と名づく。「無慙愧」は名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす。慙愧あるがゆえに、すなわちよく父母・師長を恭敬す。慙愧あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。善いかな大王、具に慙愧あり、と。乃至 
『論語』に云わく、季路問わく、「鬼神に事えんか」と。子の曰わく、「事うることあたわず。人いずくんぞ能く鬼神に事えんや
法話 伊藤元_05
 2019年12月5日 蓮照寺 報恩講 夜座 
人が救われていく道に二つある。猿の道。猫の道 思いが満たされることと、自分自身が満たされることとは事柄が別。 
ドナルド・キーン アメリカ合衆国出身の日本文学者・日本学者。 惻隠の情 寛容な心 ウエリントン 宗教なき教育は賢い悪魔を生む 
この世とはどんなところか この世は雑会(ぞうえ)、さまざまなことに出会うところ。何に出会うか選べん。ただし自分の身に起こってきたことを、どう受け取るかはその人に与えられた 自由です。そこに働くのが念仏の教えです。 
人間とはどういう存在か 随縁存在 触れたものによって育てられる存在、 人間は育てられて仏にもなるようなことができる身である、 同時に育てられんやったら、人間に生まれたんだけど、 人間になれんまま畜生として終わることもある。
 迦羅求羅虫
 仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。自爾以来、口に世事をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし。『御伝鈔』覚如

みどう法話 澤田秀丸先生

2022-07-29
報恩講が各地で縮小実施される中、少しでも報恩講のご法話をお届けしたいと、守口市・清澤寺前住職の澤田秀丸先生にお話しいただきました。 題名は「恩を知る人」です。

藤原正寿「濁世を生きる立脚地」(1時間5分)

2022-07-29
南御堂オンライン法話配信3

【大谷大学として在る、意味。】~第28代木越康学長×第29代一楽真学長 対談動画

2022-03-18
【お知らせ/学長対談】 4/1から大谷大学第29代学長に就任される一楽理事長と現学長の木越教授との対談動画がアップされています。
Facebook大谷大学同窓会 【お知らせ/学長対談】

大谷大学が掲げるメッセージ「Be Real―寄りそう知性―」。
 大谷大学の人間教育の基盤は、誰もが当たり前だと考えている物事を、今一度見つめ直し、問い直すこと。
 初代学長 清沢満之が開学して以来、120年以上にわたり、かわらず受け継がれている建学の精神、大谷大学としての在り方について、第28代学長木越康と第29代学長一楽真が語る。

仰せを蒙りて【アーカイブス 音声・映像データ編】

帰依三宝

2021-04-04
Facebookしんらん響流館さん曰く
「全戦没者追弔法会2021」で焼香される修如上人

報恩ということ

2020-11-15

資料検索のページ 資料室

2022-06-07

★「ともしび」を更新(2022年04月15日)
★「大谷学報」を更新(2022年04月14日)
★「真宗総合研究所紀要」を更新(2022年04月14日)
 「研究所報」を更新(2022年04月14日)
★「大谷大學研究年報」を更新(2022年04月14日)
★「親鸞教学」を更新(2022年04月14日)
★「現代と親鸞」を追加(2022年04月13日)等々

★全ての論文の著作権は著作者と発行団体に所属します。
利用されるときは必ず出典を明記して下さい。

大谷大学キャンパスツアー/第5回親鸞フォーラム-親鸞仏教が開く世界-

2022-08-03
本学の設置母体である真宗大谷派(東本願寺)では、2011年3月19日(土)~5月28日(土)で厳修される「宗祖親鸞聖人750回御遠忌」に向け、「親鸞フォーラム」を開催しています。 今回で第5回を数える「親鸞フォーラム」では、「仏教と生命-いのちのゆくえ-」をテーマとして以下の概要でシンポジウムが開催され、本学より織田顕祐【パネリスト】、木越康【コーディネーター】が参加しましたので、動画でご紹介します。
大谷大学キャンパスツアー/第9回親鸞フォーラム-親鸞仏教が開く世界-
本学の設置母体である真宗大谷派(東本願寺)の真宗会館(東京都練馬区所在)が、2014年8月31日(日)に「親鸞フォーラム」を開催いたしました。 今回で第9回を数えるこの「親鸞フォーラム」において、「生×死×仏教‐私たちに力をあたえるとき‐」をテーマとしてシンポジウムが開催され、本学より木越康教授【コーディネーター】が参加しましたので、動画でご紹介します。
 ○日時  2014年8月31日(日)13:20~16:30 
○会場  六本木アカデミーヒルズ タワーホール  
○全体テーマ  親鸞仏教が開く世界 
○シンポジウムテーマ  生×死×仏教-私たちに力をあたえるとき-
○パネリスト  徳永 進(医師)  天童 荒太(作家)  安冨 信哉(真宗大谷派 教学研究所長) 
○コーディネーター  木越 康(大谷大学教授)
大谷大学キャンパスツアー/第8回親鸞フォーラム-親鸞仏教が開く世界-
 本学の設置母体である真宗大谷派(東本願寺)の真宗会館(東京都練馬区所在)が、2013年6月9日(日)に「親鸞フォーラム」を開催いたしました。

今回で第8回を数えるこの「親鸞フォーラム」において、「震災×経済×仏教-私たちは今、何を問われているのか-」をテーマとしてシンポジウムが開催され、本学より鷲田清一教授【パネリスト】、木越康教授【コーディネーター】が参加しましたので、動画でご紹介します。

○日時
 2013年6月9日(日)13:20~16:30

○会場
 六本木アカデミーヒルズ49 タワーホール 

○全体テーマ
 親鸞仏教が開く世界

○シンポジウムテーマ
 震災×経済×仏教-私たちは今、何を問われているのか-

○パネリスト
 高橋 源一郎(小説家)
 平川 克美(事業家・文筆家)
 鷲田 清一(大谷大学教授)

○コーディネーター
 木越 康(大谷大学教授)


もう一つの近代真宗教学 -宗教としての真宗を求めた人、野々村直太郎-

2022-06-28
木越 康 (大谷大学准教授)
はじめに

おはようございます。大谷大学からまいりました木越と申します。
しばらくの時間ですけれども、最近考えておりますことを少しお話ししたいと思います。

今日の題名は「もう一つの近代真宗教学」です。今日の話は、前回の日曜講演の続きというかたちになっております。昨年度、こちらで「近代化と浄土理解」というテーマでお話をさせていただきました。それは、明治から大正という、日本における近代化過程のなかで、日本人のものの考え方が大きく変わっていくわけですが、そこでは真宗教学もかなりの 影響を受けるわけです。そのことについて、特に「浄土理解」の問題をめぐってお話ししたことです。

明治期以降、浄土理解は、それまでに抱いていたような感覚とは大きく違って捉えられるようになってきました。たくさんの人々が近代的な発想、思索のなかで浄土というものを受け止めていこうと苦労されたわけです。その中で昨年はお2人の方に焦点をしぼって考えました。それは、本願寺派の野々村直太郎という方と、金子大榮先生です。このお2人の先生方の諸説を紹介し、どういうふうに「浄土」を受け止めていこうとされたのかについて尋ねたことです。それについては、『ともしび』(2006年3月号)に掲載していただいておりますので、関心のある方はお読みいただきたいと思います。

今日はその続きであると、先ほどお話しいたしました。しかし、明治から大正、大正から昭和、昭和から平成へと、研究も順調に進んでいけばよかったのですけれども、実は逆に、昭和初期から大正、大正から明治、明治から江戸へと、わたし自身の研究の関心がどんどん時代的には遡ってしまいました。現在は、ちょうど明治の初めぐらいでピタッと止まってしまっている状態です。そして、そこの足下に穴を掘りはじめるという、実に面倒な方向に研究が進んでしまっているわけです。今日はですから、ちょっと後ずさりして掘り下げているところの問題について、また話が途中になりますが、「もう一つの近代真宗教学」というテーマで話をさせていただきたいと思います。



2017年6月2日 交流館17 (2007年6月)2017-09-11 教えにふれる読み物, ともしび, 教えにふれる より
もう一つの近代真宗教学

「もう一つ」という言葉をつけました。これは、「近代真宗教学」と言いますと、まず頭に浮かぶのは、清沢満之先生でしょうか。あるいは、その跡を継いで曽我量深先生や金子大榮先生、そして安田理深先生などが浮かびますでしょうか。そのような清沢先生からはじまる1つの教学の流れがございます。近代教学イコール清沢教学というふうに了解するわけなのですが、今日話題とします「近代真宗教学」というのは、それとはまったく別の流れから生まれたものです。

前回でも注目しましたが、特に野々村直太郎という方に焦点を当てて尋ねていきたいと思っているわけです。まったく別の近代教学であると言いましても、おそらく同じ問題に取り組んでいこうとされた、ある意味、願いは両者に通じるものがあるのだと思っています。清沢先生と同じような願いを持って、しかし違う取り組み方をなされたのが、今日話題とします野々村直太郎だと思うのです。異安心とされて、その伝統は切れてしまいました。しかし、この方を取り上げることによって、当時の時代が求めた真宗、時代が明らかにしようとした宗教というものについて考えていきたいと思うのです。

今日は「宗教としての真宗を求めた人、野々村直太郎」というサブタイトルをつけております。おそらく今、「宗教としての真宗」と言いますと、あまりピンとこないかもしれません。真宗を、説明なしに「宗教」と言おうとすることに対して、違和感や抵抗感がひょっとしたら、あるかもしれません。

しかし、今日お話しさせていただく時代にあっては、「宗教」という言葉が何を指すのか、まだ明確ではありませんでした。「宗教」という言葉、あるいは「宗教」というものが何なのかを探そうとしていた時代です。「宗教」という言葉が少しずつ定着していったのは、明治10年以降と言われます。それまでは「教法」だとか「宗旨」だとか、そういう言葉が使われていました。

ですから、今日のサブテーマ「宗教としての真宗を求めた人」は、今のわれわれの認識からすると、何かよくわからないタイトルになり、抵抗感をも抱いてしまうかも知れませんが、野々村の時代からしますと、ある意味,明確な願いや課題を示すことになると考えています。


『浄土教批判』について

前回と重なる点もございますが、復習をかねて野々村先生について確かめていきます。まず、先生をもっとも有名にしたのが『浄土教批判』という本です。これは、もともとは「浄土教革新論」というタイトルで、大正末に『中外日報』に掲載された論文です。そこで野々村先生は何を主張したのでしょうか。

往生思想を歓迎するの時代はモハヤ恐らく永久に去ったのである。……中略……往生思想は過去の思想であって、モハヤ現代及び将来に容れらるべき思想ではない。(『浄土教批判』)

このように主張されます。往生思想というのは、阿弥陀仏を念じて浄土に往生していくという信仰ですね。阿弥陀さまを念じて、浄土に生まれていこうという信心をたもつ、そういう思想はもう終ったのだと言うわけです。野々村先生は、このような思想は過去の思想であって、現代や将来にはもはや受け入れらないとおっしゃったわけです。

野々村直太郎という方は、明治4年(1871)に島根県に生まれ、明治30年(1897)に東京帝国大学文科大学哲学科を卒業しています。清沢先生の10年後輩になるわけです。卒業して、しばらく東京におられ、明治の末になって龍谷大学に奉職されたようです。当時は仏教大学と言っておりましたけれども、そこで職に就かれ、宗教学を講じておられました。そして、大正12年(1923)に、今のような発言をされ始めたわけです。次のようにも言われます。

真宗は吾人の信心を以て阿弥陀如来への他力回向なりと主張する。果してしからば、この回向の信心のうちには、阿弥陀如来の存在を認むることも、その如来の浄土たる極楽世界の存在を認むることも……中略……すべて是等のものを一々包含しているのであるか。……中略……絶対他力教たる真宗はここに至りて聖道諸宗も遙かに及ばざる難行難修の無理法門たるの外はない。(同上)

信心というのは如来回向の信心であると真宗では言うのだけれども、もしそうならば、回向の主体である阿弥陀如来の存在をまず認めなければいけないではないかと。そして、信心をいただいて浄土に往生するということであるならば、浄土や極楽世界の存在を認めなくてはいけないことになってしまうのではないか、ということです。

大正期は、近代化が進み、近代的な教育が進んでいく時代です。そういうなかで阿弥陀を信じなさい、浄土に生まれたいと念じなさいと主張し続けるならば、聖道門の仏教よりもはるかに難しいものとなってしまう。それを、「難行難修の無理法門」とおっしゃいます。簡単に言うと、阿弥陀仏や浄土は時代に合わないから、説くことを改めようという主張です。

新聞で「浄土教革新論」という論を1月末まで連載し、5月に入るとすぐにそれが『浄土教批判』として出版されました。浄土教の革新という題名で展開した論を、浄土教を批判するという題に変えてしまったわけです。そうしますと、当然、それに対する厳しい反発もくるわけです。

出版された『浄土教批判』は、第1章 封建時代と浄土教、第2章 現代とヒュマニズム、第3章 往生思想は宗教に非ず、第4章 浄土教は何故に宗教なるか(上)、第5章 浄土教は何故に宗教なるか(下)、第6章 過去の宗学と将来の宗学、となっています。ここで宗教という言葉が第3~5章にあります。

実は野々村先生は、自分の心中に、宗教とは何であるのかという概念を、この時すでにはっきりとお持ちなわけです。そしてその上に立って、当時の往生思想を宗教ではないとおっしゃるのです。第1~3章までを、野々村先生は破壊論と呼びます。そして第4~6章を建設論と言います。野々村先生は、宗教というものを大事にし、宗教というものを求めた方なのです。

けれども、そのため逆に、似て非なる宗教を徹底的に洗い出し、払拭していこうとされました。これについては後で詳しくみますが、今簡単に言いますと、『浄土教批判』では、浄土教の非宗教的側面を破壊し、本来の宗教性に基づく姿を再建したいと願われたわけです。
ところが、当然、これは議論を呼ぶわけです。特に阿弥陀や浄土を拒絶するということになりますと、真宗教団そのものを否定するということにもなるわけです。

野々村先生は僧籍をお持ちでした。僧侶であり、しかも宗門の龍谷大学の教員である野々村先生が浄土教批判を展開するわけですから、多くの非難が浴びせられることになるわけです。

論争があった大正12年というのは非常に大事な年でありまして、立教開宗700年をひかえた年でした。立教開宗ということで、親鸞に帰ろうという気運がたかまる時代です。近代化が進んでいくなかで、真宗や宗門を問い直そうという時代であったわけです。同じ頃に金子先生も、「親鸞に帰れ」という主旨の論文を『中外』に書いておられます。

金子先生は、「釈尊入滅の後、七百年たって龍樹が誕生した」とおっしゃいます。そして龍樹が、釈尊の思想を再活性化させたのだと言います。今、われわれは同じく立教開宗の700年を迎えようとしているのであるが、まさに「今龍樹」が望まれているとおっしゃいました。そういうなかで野々村先生は、これからは阿弥陀や浄土を説かない形で浄土真宗を再建しようではないかと主張したわけです。

結論から言いますと、野々村先生の試みは社会的には失敗することになりました。論を書きはじめたのが1月で、5月に出版、しかし8月にはもう僧籍剥奪になります。そして、12月には龍谷大学も依願退職というかたちでお辞めになっておられます。1年で、宗門からも大学からも退かなくてはならなくなりました。

先日、大谷大学で大きな学会がありました。そこで、今からお話をさせていただいく野々村の思想について紹介させていただきました。その折りに、本学の安冨信哉先生からコメントを頂きました。「安田先生は、ご自分の先生は野々村直太郎と曽我量深だとよく言っておられましたよ」とおっしゃったのですね。私は、もう3年ぐらい野々村先生のことを研究しておりますが、安田先生が野々村先生に触れておられたことを知ってはいました。しかし、そこまでのことは知りませんでした。

野々村先生は、最後は立命館大学におられたようですが、そこに安田先生も話を聞きに行っておられたようです。ともかく、たいへん誤解されやすい方ですが、大谷派近代教学に対しても、大切な意味を持つ思索を展開した方だと思うわけです。野々村先生は早くに宗門から退くことになるのですが、今でも名誉回復はされていないのだと、お西の先生からうかがったこともあります。

当時、全員が野々村先生に反対をしたのかというと、実はそうではないのです。多くの方々が賛同もしたわけです。私が大学で学生に野々村先生の話をすると、学生はよく理解できると言うのですね。浄土や阿弥陀を、そういうふうなかたちで一端破壊するという発想が、彼等には理解しやすいのですね。

当時も、少ないですが野々村先生の賛成に回る方もおられました。なかでも、独特なかたちで野々村先生に呼応したのが、梅原真隆という方です。この方はお西の「勧学」になられ、富山大学の学長もなさった方です。教学の最高責任者ですね。梅原先生は、野々村先生について、こうおっしゃっています。

曾つて、かの摂論学派の別時意趣の念仏観を縁として、古今独歩の批判たる善導大師の六字釈があらはれたやうに、この浄土教批判の刺激を受けて真実の浄土教学の建立せられんことを希念せずには居られない。(『親鸞聖人研究』)

別時意趣というのは、念仏をしても救われないという、浄土教に対する批判ですね。その批判に対して、善導大師が六字釈を出されたわけです。「南無」が願であり、「阿弥陀仏」が行だと。南無阿弥陀仏という六字の名号は願行具足であり、往生浄土を願う行であることに間違いないのだ、という主張です。「正信偈」では「善導独明仏正意」とありますが、そういうふうなかたちでお名号を解釈され、念仏を位置づけられたのです。

この善導大師の六字釈は、摂論学派の別時意趣の批判を受けて生まれました。梅原先生は、野々村先生の浄土教批判を契機として、近代において、真宗とは何であるのかということが、いよいよはっきりするはずなのだとおっしゃったのです。野々村先生の浄土教批判は、大事な意味を持つ批判であると梅原先生はみたわけです。
ところが、先ほど言いましたように、残念ながら十分に議論が展開されないまま問題は終息していったわけです。


「宗教科学」という視点

さて、それでは野々村先生が「宗教」というものをどのように考え、浄土教に対して何故このようなことを主張したのでしょうか。
野々村先生は、東京大学で哲学を学びました。清沢先生の10年後輩です。清沢先生のことも、当然知っておられます。ところが、野々村先生は、宗教、あるいは真宗に対して、哲学ではなく「宗教科学」という方法で取り組みました。宗教科学、Science of Religionです。これは今は、ほとんど使わない言葉です。宗教と科学が一緒になるというような言葉ですね。あえて野々村先生は、これをやるのだとおっしゃったのです。なぜ哲学を勉強していた野々村先生が、宗教科学という方法を取るのか。野々村先生は哲学について次のように語ります。

哲学に至りては、科学と大にその固有の面目を異にする。

哲学は科学と違うのだということですね。

即ち哲学は十人十色を以て特質とするが、科学はこれに反して十人一色なるべきを以て精神とする。換言すれば、哲学は個性の発揮を徹底せしむるところに満足があるが、科学は個性の影響を拒絶するところに成功がある。(『宗教学要論』)

哲学は、10人いれば10人の哲学がある。みなさんもそれぞれ哲学という言葉は使わないにしても、「私はこうなのだ」、「私はこう生きるのだ」という人生哲学をお持ちだと思います。それは、他の者が簡単に否定できるものではないわけですね。けれども科学は違う。10人が10人とも納得できる事実を探すのが科学だと。「私はこう思う」ではなく、みんなが間違いないと言える、10人が1つのものを掴まえることが出来るのが科学なのだと言うわけです。そして野々村先生は、そういう「宗教」を見つけたかったわけです。あるいは、そういうものとして「真宗」を明らかにしたかったわけです。

この当時、先ほど言いましたように、宗教とはいったい何かを探している時代であるわけで、たくさんの人がこれこそが宗教だというふうに言い合うわけです。明治以降ですから、信教の自由ということで、多くの新しい宗教も出てきます。そういう中で、哲学によって個の宗教を明らかにすることは、妄信とどこが違うのか、峻別されないわけです。そういう状況をおそらく意識して、あえて非常に冷たい言葉、嫌な言葉なのですけれども、宗教科学という方法を取るわけです。逆に言うと、「私は宗教哲学という方法を取らないのだ」という形で、近代真宗教学を打ち出そうとした、それが野々村でしょうか。それが「もう一つの近代真宗教学」です。大谷派の近代真宗教学というのは、清沢先生の宗教哲学というものを出発点としました。それとまったく違う形で、野々村先生は近代に挑戦したのですね。

野々村直太郎の宗教観(1)

では何を宗教と見ているか。ここが1番大事なところ…次頁へ

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