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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

浄土真宗の教え

2022-08-29

宗祖親鸞聖人しんらんしょうにんは、師である法然上人ほうねんしょうにんとの出遇いをとおして、阿弥陀仏に帰依きえして「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」と称えることが、すべての人に開かれた平等な救いの道であるといただかれました。

聖人は、生涯にわたる聞思もんしのなかで『顕浄土真実教行証文類けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい教行信証きょうぎょうしんしょう)』を撰述し、その教えを「浄土真宗」とあきらかにされました。浄土がまこと(真)のむね(宗)である、浄土こそがほんとうの依りどころであるということです。

浄土は、日ごろのわたしたちの欲望に左右されることなく、どんな状況でも変わらず、失われることのない依りどころです。また「南無阿弥陀仏」のお念仏は、いつでも、どこでも、だれでもできる、普遍の仏道です。

苦しみ、悲しみ、悩むわたしたちは、浄土を願いお念仏を申すことで、人として生まれ生きていく意味、すべての人々とともに今生きているということを知らされるのではないでしょうか。

顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)

2022-01-17
教行信証(きょうぎょうしんしょう)【国宝(坂東本)】

親鸞聖人の主著であり、浄土真宗の根本聖典こんぽんせいてんで、『教行信証』と略称されています。「教巻」・「行巻」・「信巻」・「証巻」・「真仏土巻」・「化身土巻」の6巻からなっており、冒頭に総序そうじょ、信巻の前に別序べつじょ、巻末には後序ごじょが置かれています。
真宗大谷派には、親鸞聖人自筆の「坂東本ばんどうぼん」が伝わっており、国宝に指定されています。

総序之文

讚嘆とは

2022-11-29
金子大榮師
金子大榮師
讚嘆とは供養讚嘆の意味で亡き人をご縁に仏法聴聞する事です。
懺悔とは今日迄作り続けた悪業煩悩に振り回されている自己自身を知ることです。
お念仏は無い物ねだりの呪文ではありません。念仏は自分の口から出てくるものですが、私の
計らいを一切超えたものです。
ただ念仏する身になることが真実に生きる事です。
1人、、「15:43 4G 投稿を作成 88% 投稿 草川廣江 公開 アルバム お念仏は讚嘆で あり懺悔である 金子大榮師 戻る 画面メモ アプリ履歴」というテキストの画像のようです




落在者

2022-11-25
Facebook Yasuda Rizinさん曰く
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落ちてないから怖れる。
落ちはしないかとね。
落ちた人間は怖がりはしない。
地獄を背負うて立つ。
地獄が我だというのが落在者です。
そういうものでないとこの資本主義の中にあってしかも資本主義から逃げずに、資本主義を超えて資本主義に随順していく道は無いのです。
それだけのハラがないとね。
人間の考えたハラくらいでは資本主義は破れないのです。

仏を仏たらしめた法というものは

2021-04-21
釈迦仏が発明したのではない。

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


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仏を仏たらしめた法というものは
釈迦仏が発明したのではない。
発明したのなら法とは言わないのです。
釈迦仏が出遇った。
見出した。
作ったのではないのです。
そういう真理がある。
真理といっても理論的な真理という意味ではない。
本来的な真理です。
われわれが忘れていた真理です
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