能登地震災害復興のページ
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被災した本堂を解体したら築163年と判明 七尾の寺で
2024-06-06
七尾の寺で「文久元年」の棟札
寺は創建360年とされ、本堂は築150年ほどと伝わっていたが、163年前の建立が明確になった。
地震で、本堂は柱が損壊して大きく傾き、鐘楼堂は全壊。周辺は住宅が密集し、本堂は倒壊の恐れがあるため取り壊すことにした。
棟札は、2月24日に解体作業員が発見。表面に大きく「天下太平國家安全」と書かれ、裏面に建立年と、13代目の住職の時であったと記されていた。昨年11月に書家の三藤観映さん(77)から継いだ了映住職は24代目で「13代目の住職によって、高度な技術で建てられていたなんて。貴重な歴史を残せて良かった」と語る。
解体だけでも多額の費用がかかり「宗教法人は行政の支援の対象から外れている」と、クラウドファンディングで再建費用を募っている。目標は4月末までに2千万円。寄付は本堂の再建に充て、避難所として使えるようバリアフリーにする予定。「地震で門徒の皆さんの役に立てず悔しい思いをした。見かけにこだわらず、よりどころとなる本堂をつくりたい」と決意する。(大野沙羅)
「誰も戻ってこないかも」 それでも限界集落で暮らす夫婦
2024-05-19
facebook ミタ ライさん曰く
日本海を望む猿山岬(石川県輪島市)は、国内有数のユキワリソウの群生地として知られる。その近く、門前町吉浦地区の海に面した斜面には、数十軒の木造の建物が並ぶ。今、この限界集落には夫婦2人しか暮らしていない。
住んでいたのは8世帯15人
集落にはこれまで、8世帯15人が住んでいた。ユキワリソウは例年、3月下旬ごろに見ごろを迎え、植物の愛好家が県内外からバスで訪れる。住民は遊歩道で愛好家を案内したり、盗掘されないよう見守ったりしていた。
本堂や住居は被災免れる
浄土真宗の覚成寺は大きな揺れにより本尊の阿弥陀(あみだ)仏が倒れて割れ、鐘突き堂も崩れた。ただ、本堂や隣接する住居は倒壊を免れた。地震から1カ月近くたった1月27日、夫婦は自宅に帰宅することにした。翌日は親鸞聖人の月命日とされている日。法要を催すためだった。
それから、夫婦は自宅で敷地の井戸水を利用して生活している。道路は既に開通したが、集落では断水が続いていることもあり、他の住民はまだ誰も戻ってこない。
【写真日記 大谷暢裕門首が能登教区をお見舞い(2日目)】
2024-03-26
22日は、珠洲市を中心に可能な範囲で各被災地を訪れるべく、早朝から出発。
最初に、大谷派有志で設置する「奥能登ボランティアセンター(能登町)」を訪れ、現地での活動について懇談されました。
廣榮寺様では、坊守様、前住職様、お寺の関係者の方々と面会され、門首夫妻からお見舞いの言葉がかけられました。
前住職様の案内で土砂に流された本堂などを視察され、夫妻は発災時に廣榮寺住職が亡くなられた時の様子などを聞きながら時折涙を浮かべ、本堂跡に向かい手を合わせておられました。
その後、ご門徒も多く避難生活をおくられている若山小学校にお見舞に伺い、最後に大谷婦人会支部のある正福寺様に伺いました。
正福寺様では、本堂から庫裏へ移動されたご本尊に手を合わされ、その後本堂の様子も見学されました。
【写真日記 大谷暢裕門首が能登教区をお見舞い(1日目)】
2024-03-22
3月21・22日、大谷暢裕門首とサチカ夫人が、震災後はじめて能登の地を訪れました。
お二人は震災発生直後から少しでも早い現地入りを希望されていましたが、ようやく環境が整い、2日間の日程で被災地のお見舞いに伺いました。
門首からは、全国の真宗門徒が心を一つに寄り添うことが大切だと思いを述べられ、一日も早く聞法の場と安らかな日々が回復することを願う旨、ご挨拶がありました。
能登教区は特に大谷婦人会の活動が活発な地域です。
会長を務めるサチカ夫人もことさら心配されていた旨を告げられ、「このような時だからこそお念仏を心の拠り所に、ともにお念仏するお仲間が心を寄せ合い、支えあっていけることを強く念じています」と伝えられました。
お二人からの挨拶のあとは、ご住職やご門徒の代表から、地震発生時の状況や現在の様子などについて報告があり、お二人とも真剣な眼差しで耳を傾けられました。
門首から「皆さんの光となっている能登の念仏を途絶えさせないように」と、時折声を詰まらせながら言葉がかけられ、約80人の参加者も、深く聞き入っておられました。