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ちょんまげ卒業に「やっと結えました。うれしいですね」
「大相撲初場所」(12日初日、両国国技館)
土俵祭りと優勝額贈呈式が国技館で行われ、昨年秋場所で2度目の賜杯を抱いた大関大の里、九州場所で初優勝を飾った大関琴桜が出席した。
大の里は初めての大銀杏を披露。ファンから「似合っているよ」という声が飛び、照れくさそうな表情を見せた。
大の里はこの日の朝に初めて髪を結ったといい「やっと結えました。うれしいですね」と話していた。
大の里 大銀杏を初披露「うれしい。完全に結ったのは今日が初めて」…優勝額贈呈式
大相撲初場所を翌日に控えた11日、東京・両国国技館で15日間の安全を祈願する土俵祭と優勝額贈呈式が行われ、秋場所優勝の大の里(二所ノ関)と九州場所優勝の琴桜(佐渡ヶ嶽)が出席した。
高さ3メートルを超す大きな優勝額の前で大の里は関取の証しである大銀杏を初めて披露した。
「うれしいですね。やっとできたかなという印象です。完全に結ったのは今日が初めて。長い付き合いになる? そうですね。もっと(髪を)伸ばさないといけない。師匠にはまだ見せていないです」。
今場所は琴桜と豊昇龍のダブルでの綱取りに話題が集中している。「しっかり調整して稽古もできたので、明日から15日間、発揮できるように頑張りたい。自分は自分のペースでがんばりたい」と話した。
9者連続三振の偉業を達成
「さみしいですね…」
2024年の期間内(対象:2024年9月~2024年12月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。格闘技部門の第2位は、こちら!(初公開日 2024年11月26日/肩書などはすべて当時)。
元大関の貴景勝が、新米親方”湊川”として、初めての本場所を迎えていた。紺色のジャンパーに身を包んで花道の警備をしながら、つい先場所まで自身が立っていた土俵を見つめていた。
「さみしいですね。もう戦えないんだなって……」
かつて、土俵上で吊り上がっていたはずの目は穏やかになり、28歳の青年らしい笑顔を見せる。
先の9月秋場所14日目。潔く引退を表明しての記者会見。貴景勝が紡ぐ一言一句に、報道陣の誰もが聞き入った。あるベテランカメラマンが、「近年稀にみるかっこいい会見だったなぁ」と感嘆する。28歳という若さで土俵を去ることに、「年齢で相撲を取っていたわけではない。自分が目指すものに対しての体力と気力がなくなったので、そこが引き時だな、と。横綱になることだけを考えてきて手をいっぱい伸ばしたんだけど、届きませんでした」。
カラーで見るヒトラー
ナベツネ死す!!
『独占告白 渡辺恒雄 戦後政治はこうして作られた』の渡辺氏のインタビューにもどりたい。学徒出陣の際に持参したのは、カントの『実践理性批判』だった。
「この『実践理性批判』の結語の冒頭だったわね。僕は、いつも自分の手帳に書き写した。『一生を考えて、いまだに敬意を表しているものが二つある。一つはわが上なる星の輝く空、一つはわが内なる道徳律である』」
「軍隊に行って死にに行くんだから、そういうときに一番の価値は『わが内なる道徳律』。これは上官や将校などの軍人になんかに分からん。俺だけが持っている心の価値である。それが死に対抗する」
「棺(かん)を蓋(おお)いて事定まる」―蓋棺事定。渡辺氏の棺に蓋(ふた)がされるとはいえ、数え年で昭和100年を来年に控えて逝ったのは象徴的である。その評価が定まるまでには、まだまだ時の砂が落ちるのを待たなければならないだろう。
戦後の政治報道で存在感を発揮し、「プロ野球界のドン」としても知られた渡辺恒雄(わたなべ・つねお)読売新聞グループ本社代表取締役主筆が19日、肺炎のため死去した。98歳。葬儀は近親者のみで営む。お別れの会を後日開く。喪主は長男睦(むつみ)さん。
1926年5月、東京生まれ。東大文学部哲学科卒。学生時代に共産党に入党したが、路線対立から脱党。その後は共産主義に対して一貫して否定的な立場を取った。
読売新聞社に入社後は、政治部を中心に活動。自民党の故大野伴睦元副総裁や故中曽根康弘元首相との盟友関係が知られた。日韓国交正常化では、大野氏と韓国政府高官の仲介役を務めるなど、政府・与党の権力者と一体化した取材手法を取り、国交正常化の大枠を決めた62年の「金(鍾泌韓国中央情報部長)・大平(正芳外相=いずれも当時)メモ」の存在などをスクープした。半面、ロッキード事件に関与した右翼の大物、故児玉誉士夫氏との交流などが問題視されたこともある。
ワシントン特派員、政治部長、論説委員長などを経て91年に社長に就任し、政界への幅広い影響力を保ち続けた。2007年参院選で自民党の大敗後、福田康夫首相(当時)と民主党の小沢一郎代表(同)の間で話し合われた「大連立」構想では、福田氏の名代役の森喜朗元首相と小沢氏の会談に同席。構想の破談後は小沢氏への批判を強めた。