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大谷派のお給仕

日常生活で出来ること

お内仏の荘厳 - 真宗大谷派 西福寺

2022-10-04

お内仏のお飾りは次の写真が標準です
各家庭のお内仏の大きさ・付属の仏具の範囲でお飾り下さい

本尊・脇掛は本山より受けることができます
買い替え・修理等で不明なことは寺に電話でご相談下さい

真宗大谷派における仏具の名称、荘厳作法、御本尊や法名軸などが、解説文とともに掲載されています。

2022-11-11
facebook名古屋教区教化センターさん曰く


 

真宗大谷派における仏具の名称、荘厳作法(平常、年忌法要、報恩講、通夜・葬儀、中陰法要)、御本尊や法名軸などが、解説文とともに大きなカラー写真で掲載されています。1部100円です。購入を希望される方は窓口にお越しいただくか、お電話にてお問い合わせください。

お盆の頃となりました。

2022-07-18

Facebook(株)小堀 京都店さん曰く


浄土真宗大谷派用 切籠灯籠
(手漉き和紙・本漆黒塗)
上部火袋一辺約12㎝
写真では、50代の金仏壇の前にお荘りしています。

畳肩衣の結び方

2022-11-22
真宗大谷派東本願寺【公式】

私が真宗大谷派・常願寺の住職に就任して、今年で51年経ちました。

2022-07-06
日常の問いかけについて

Facebook 伊勢谷功さん曰く


《供養とは何か?》2
私が真宗大谷派・常願寺の住職に就任して、今年で51年経ちました。
その長い年月のあいだに、「佛教の救いとは、どのようになることなのか?」とか「南無阿弥陀佛とは、どんな意味か?」などという質問を受けたことは、めったにありませんでした。
しかし、次のようなたぐいの質問は、何度も受けました。
「墓参りに、親父が好きだったビールをお供えしようと思うのですが、ビールのセンは抜いておいたほうが良いでしょうか?」
江戸時代以来、300年以上にもわたる佛教教団や、その寺院や僧侶の営みを見てきて、日本に住む多くの人々は、死者を供養することが、お坊さんの専門的な業務だと思って来ました。
人間に近い、かなり「進化」した哺乳類でも、仲間の死を見て、人間のように、ありもしない “妄想” を抱くことはしないと思います。
ですから、このように問われて、私はいつも大いに戸惑ってしまうのです。
この重症の患者に対しては、どのような薬を処方すれば良いだろうか、と思案するお医者さんのように、私は考え込んでしまうのです。
ですから今までに、私は相手によって実にいろいろに答えて来ました。
「あなたは、亡くなったお父さんが、3年も経った今でも、ビールを飲みたがっていると思っているのですか?」
「ビール瓶の横に栓抜きとグラスを置いてみたら如何でしょう」
「お父さんは、いのちを終えた自分のことよりも、あとに遺(のこ)ったあなた方のことを心配していらっしゃったのではないでしょうか?」
「たとえば、あなたが亡くなった場合、あなたはあとに残った人たちに何を願うかを、考えて見て下さい」
「亡くなった人は、自分がいなくなったあとに遺された者たちが、いい人生を生きて、いい生涯を送ってくれることを願って先だたれたのではありませんか?」
「だとすれば、あとに遺った者が、その願いを引き受けることが、真の供養なのではないてしょうか?」
「つまり、その願いを引き受けて生きることが、あとに遺った者たちのつとめでしょう」
亡くなった人を供養するということは、そのあとを生きる “つれ合い” や “子どもたち” や “孫たち” 一人一人が、亡くなった人の、“あとを引き受ける” ということなのです。
「本家の兄貴が坊さんを呼んでお経を読んでもらったから、供養は終わった」などというようなものではないでしょう。
「いい生涯を生きてほしい」というのが、先だって逝った親たちの真の願いであるとするならば、あなたはそれを引き受けることができるのか、どうなのでしょうか?
いい生涯とは、また、いい人生とは、どんな生き方を、言うのでしょうか?
今は亡き親たちにとっても、あなた自身にとっても、また、他のすべての人々にとってもいいと言えるような生涯や人生をあなた自身が生きることを、あなたは引き受けられるのでしょうか?
いい生涯、いい人生とは、どのような生き方を言うのでしょうか?
このような問は、学問のある人も無い人も、善人も悪人も、金持ちも貧乏人も、すべての人が学ばねばならない「人間が、人間として生きるための課題」なのです。
それを説いて来たのが「佛教」であり、「経典」です。
ですから、「そのために」お坊さんがお経を読むのですが……。
残念ながら、それだけでは、「佛教」ではなくて、ただの「まじない」にしかなりません。
なぜなら、お経は、2500年前にお釈迦さまが説かれた教えを、当時のインドの言葉から2000年近くも前の中国語に翻訳されたもので、日本ではほとんどの場合、そこに記された漢字を順番に読んでいるだけですから、現代の日本人が、ただ音声として聞いていても、内容が理解できるようなものではありません。
まず、そこに何が教えられているかを学ばねばなりません。
それを指南することがお坊さんの務めなのです。
ですから、供養を心がける人は、まず佛教を学んで下さい。佛さまの教えによって “供養とは何か” を学ぶことが、供養の第一歩です。
そして、当然のことですが、お坊さんは “佛教” を説いて下さい。それが本業なのですから。
お坊さんには「まじない」をやってもらうためにではなく「佛さまの教え」を説いてもらうために「御布施」を出して下さい。
そして、 “あの世” だの “霊の世界” だのという、人類古来の “迷いの歴史” がたれ流しできた “妄想” なんぞに執(とら)われませんように。
お坊さんに失望しても、佛教には失望なさらないで下さい。
目の覚めた勉強は今からです。ゼロから始めねばなりません。
「供養とは何でしょうか?」
「人間の、人間としての願いとは何でしょうか?」
「いい人生、いい生涯とは、どのような生き方を言うのでしょうか?」
人生には、やり直しも続きもありません。一度限りのものです。だからいのちはかけがえなく尊いのです。
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