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19 Apr, 2021 パリ、Les 3 Chocolats 佐野恵美子シェフインタビュー ~ 祖父、父、私
LGBTQ、モード関係者、ユダヤ人など、様々な文化が交じり合うパリ・マレ地区。フランス革命の発端となったバスティーユ広場から歩いて徒歩5分ほどのところに、佐野恵美子シェフの「Les 3 Chocolats (レ・トロワ・ショコラ) 」はある。午前11時の開店前から待っていた二人組の女性がたくさんのチョコレートとケーキを前にして、どれにしたらよいのか決められずに迷っていて、店員の説明を聞きながら楽しそうに会話をしている。そんななか、店の奥から佐野恵美子シェフが出てきた。
文:三谷裕子
写真:齋藤事務所
ちょうど日本のバレンタイン催事を終えてフランスに帰国したばかり。
「コロナもあって帰ろうかどうしようか迷ったけど、皆さんにお帰りなさいと言ってもらえて本当に嬉しかったです。一年に一度会えるのを楽しみにしています、と言ってくださるお客様もいたり」
実家は福岡の有名なチョコレートショップで、彼女の祖父が1942年に創業。現在は父親の二代目になる。では、幼少の頃からさぞかしショコラティエの英才教育を受けてきたのかと思うとそうではなく、大学卒業後は一般企業で外商としての仕事についた。
「25歳のときにショコラティエになって三代目を継ぎたいと父に告げると、職人をなめるなと言われました。フランスにいって一人前になってから帰ってこい、と。父のそばで修行をするという選択は与えてくれなかった。あとで聞いてみると、1、2年経ったら尻尾を巻いて逃げ帰ってくるだろうと思っていたらしいです(笑)」
1、2年どころかすでに在仏13年目。辛いことはなかったかの質問に対して、
「博多に住んでいた私にとってフランス人なんて宇宙人だと思っていたけれど、箱を開いてみたら皆同じなんだな、と。優しくしてくれる人が多かったですね。それに宇宙人と仲良くなるだけでも新鮮でした。大変なこともあったと思うんですけど、それより楽しいことの方が多かったですね」
フランスで一番美しいフランス語を話す地方と言われるトゥール市で、語学学校とパティシエの職業学校に通い、パティシエの資格取得後は、フランス各地をまわった。そして、大好きだったミシャラックが働いていたプラザアテネで彼の下で働くことになってパリへ引っ越してきた。
修行を経て、このマレ地区に自分の店をオープンして4年目になる。インタビューしている間も平日の午前中だというのに、ひっきりなしに「Bonjour !」と笑顔で客が入ってくる。
「客層の7割が地元の人で、毎日来て決まった1、2粒を購入していかれる人もいるから、チョコレートの種類はよく替えるし、新作も多いんですよ」と、教えてくれる。
日本では輸入するとどうしても値段が高くなってしまう為、贈答品になりがちなチョコレートも、本国フランスでは気軽に一粒から購入できるから、デザートやおやつとして自分用に買う人が半数以上を占める。