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当山の旧HPです。

2018年のページ

今年も、3月11日が巡ってきました。

2023-03-11
14:46、当山でも、「勿忘の鐘」が響きます。
「勿忘の鐘」 東日本大震災追弔
読売新聞、2023年3月11日の朝刊
2021.03.11、「勿忘の鐘」を撞きました。
震災直後の海楽寺です。
境内の様子、正面奥の建物が本堂です。
本堂内陣の様子です。
当代と住職修習の同輩、大友雄一郎君が住職をつとめる仙台市青葉区井土宇宅地の海楽寺です。
復興された海楽寺本堂内陣です。
寺のある井土宇宅地の現在の様子です。
真宗大谷派 仙台教区 海楽寺 住職 大友雄一郎くん 
2018/05/16付 西日本新聞朝刊より
大友くんとの思い出

5月の法要の頃となりました。
今年は12日です。
仙台の海楽寺住職、大友雄一郎君を迎えての法座です。
自然災害の続発する今日、あの東日本大震災から7年が経ちました。
ぜひ皆様とお話しがという大友君の思いがその根源にあります。
お誘いあわせの上、ぜひともご参詣ください。
=2018/05/16付 西日本新聞朝刊=

     東日本大震災で被災した仙台市若林区井土地区の海楽寺住職大友雄一郎さん(49)が、日田市隈の願正寺(南木仁住職)で「被災地から未災地へ」と題した法話を行った。震災を振り返りながら「どこで災害が起こってもおかしくない日本では、被災地以外は未災地だ」と述べて、災害への備えや人とのつながりの大切さを訴えた。

 小学校の教員でもある大友さんは2011年3月11日、小学6年の担任として校舎4階にいて「立っていられない揺れ」を感じた。海岸から700メートルほどの海楽寺を含む同地区は高さ2メートルの津波に襲われ、約300人の住民のうち36人が亡くなったという。

 前住職の父征夫さん=享年69=も本尊を守ろうと寺に残り津波にのまれた。境内のビワの木につかまって何とか自宅に戻ったが、救助を待つ間に「寒い、寒い」と言いながら亡くなったという。本堂にはがれきが流れ込み、自宅2階には松の木が刺さっていた。

 「本尊を守るのは住職の責任。父の死は寺に生まれた者の宿命だったのかなとも思う」と大友さん。ビワの木で作った数珠を手に「今をどう生きるかが大切だ、ということを父に教えてもらった」と話した。

 法話は、震災を忘れず教訓にしてもらおうと南木住職が親交のある大友さんに依頼し、12日の願正寺の法要で行った。2人はそれぞれ父親の死を受けて11年に住職となり、住職任命研修で出会った。大きな被害を受けた海楽寺のために、「何か力になれないか」と考えた南木住職は、浄土真宗の仏事「報恩講」で使う米60キロを16年まで6年間送り続けたという。

 「目の前の困った人を放っておけない南木住職のエネルギーに救われた」と大友さんは言う。自身も16年の熊本地震では熊本市などで支援活動を行った。「苦しみは続かない。前を向いていたら必ず誰かが救ってくれる。人とのつながりを大切にしながら経験から学ぶことが、震災で亡くなった人たちのためでもあるんです」と語った。

2023-07-14
巻頭のことば
5月の法要の頃となりました。 今年は12日です。 
仙台の海楽寺住職、大友雄一郎君を迎えての法座です。
 自然災害の続発する今日、あの東日本大震災から7年が経ちました。 
ぜひ皆様とお話しがという大友君の思いがその根源にあります。 
お誘いあわせの上、ぜひともご参詣ください。

父亡くし、寺は被害「それでも前を」 東日本大震災で被災・仙台の住職が日田で法話

2018-07-08
=2018/05/16付 西日本新聞朝刊=

     東日本大震災で被災した仙台市若林区井土地区の海楽寺住職大友雄一郎さん(49)が、日田市隈の願正寺(南木仁住職)で「被災地から未災地へ」と題した法話を行った。震災を振り返りながら「どこで災害が起こってもおかしくない日本では、被災地以外は未災地だ」と述べて、災害への備えや人とのつながりの大切さを訴えた。

 小学校の教員でもある大友さんは2011年3月11日、小学6年の担任として校舎4階にいて「立っていられない揺れ」を感じた。海岸から700メートルほどの海楽寺を含む同地区は高さ2メートルの津波に襲われ、約300人の住民のうち36人が亡くなったという。

 前住職の父征夫さん=享年69=も本尊を守ろうと寺に残り津波にのまれた。境内のビワの木につかまって何とか自宅に戻ったが、救助を待つ間に「寒い、寒い」と言いながら亡くなったという。本堂にはがれきが流れ込み、自宅2階には松の木が刺さっていた。

 「本尊を守るのは住職の責任。父の死は寺に生まれた者の宿命だったのかなとも思う」と大友さん。ビワの木で作った数珠を手に「今をどう生きるかが大切だ、ということを父に教えてもらった」と話した。

 法話は、震災を忘れず教訓にしてもらおうと南木住職が親交のある大友さんに依頼し、12日の願正寺の法要で行った。2人はそれぞれ父親の死を受けて11年に住職となり、住職任命研修で出会った。大きな被害を受けた海楽寺のために、「何か力になれないか」と考えた南木住職は、浄土真宗の仏事「報恩講」で使う米60キロを16年まで6年間送り続けたという。

 「目の前の困った人を放っておけない南木住職のエネルギーに救われた」と大友さんは言う。自身も16年の熊本地震では熊本市などで支援活動を行った。「苦しみは続かない。前を向いていたら必ず誰かが救ってくれる。人とのつながりを大切にしながら経験から学ぶことが、震災で亡くなった人たちのためでもあるんです」と語った。

五月の法要 「忘勿の法座」

2018-05-12
住職修習にて帯同の大友総代と
五月の法要2018は、
「忘勿の法座」として、
仙台教区仙台組 海楽寺住職 大友雄一郎くんを「語り部」として迎えました。
彼と当代住職とは、
真宗本廟での住職修習で出遇いました。
爾来7年が経ち、
311で壊滅的な被害を蒙った海楽寺も、
どうやら立ち上がりの兆しが見えてきました。
一度、みなさんに、御礼が、
そしてお話がしたいとの思いが、
結実いたしました。
井土地区 大友さんご一家 離れていても井土なんだと そこでつながる仲間をつくっていけたらいい
現在 井土に戻ってきている世帯は数軒。慶長三陸地震の津波後に現れた開拓者「井戸七軒」になぞらえ、「平成の井土七軒」になる!と雄一郎さん!
震災復興 地域かわら版「みらいん 若林」12号 2012年11月発行より
   自宅のリフォーム を進める大友雄一郎 いずみさんご夫妻。雄一郎は震災の犠牲となった 征夫さんの跡を継ぎ 、昨年真宗大谷派海楽寺の住職となりました。大破した本堂は手付かずですが、 庫裏は間もなくリフォームが完了します。この庫裏を井土地区の集会所として使ってもらいたいという雄一郎さん。
 地区の公会堂が取り壊され 地域をつな 東六郷小学校が使用できない今、地域をつなぐ約割はお寺に求められていると考えるご夫妻。地区の人については、「(地区の人については)戻ろうが戻るまいが ここに集まる人になってもらいたい 。 どういう形であれ心でつながっていれば それは地域と言えるんじゃないでしょうか 。お盆やお彼岸の法要などのほかに 勉強会や趣味などの教室もしていきたい 」と思いを語ってくれました。
一方「自宅リフォームの決断が子孫の代に果たしてよかったといえるのかどうか 」 と不安も口にする雄一郎さんですが、六郷中学校に通うご長男は、「この地域が大好き」と言ってくれているそうです。現在ご一家は泉区にお住まいですが、いずれは家族皆で現地へ戻る予定ですと語ってくださいました。

旧バージョン

2022-06-07
現在の当山HPは二代目バージョン、初代は、こんなページでした。
5月の法要の頃となりました。 今年は12日です。 仙台の海楽寺住職、大友雄一郎君を迎えての法座です。 自然災害の続発する今日、あの東日本大震災から7年が経ちました。 ぜひ皆様とお話しがという大友君の思いがその根源にあります。 お誘いあわせの上、ぜひともご参詣ください。

初代のHPでは、現在もお仕事中の迦陵頻伽(春夏担当)が、キャッチキャラクターしとして登場、活躍していました。
もう一方は、胡蝶(秋冬担当)です。
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