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栄光の巨人軍

闘魂こめて

讀賣巨人軍球団歌

2023-11-17
闘魂こめて 〜読売巨人軍球団歌〜
「PV」読売ジャイアンツ.闘魂込めて
2023 06 17 東京ドーム 巨人 闘魂こめて(7回)
闘魂こめて
「闘魂こめて」ジャイアンツ応援歌(巨人軍球団歌・1番~3番まで歌詞付き)東京ドーム7回ライトスタンド2021年~2016年 現地撮影
巨人軍~闘魂こめて~

栄光の巨人軍

2023-11-17
讀賣巨人軍 創設50周年 栄光の歴史!! 1934年~1984年

『ドジャースの戦法』を熟知した男

2023-12-10
牧野茂(右)コーチと川上監督。あうんの呼吸だった
牧野茂

川上はドジャースで実践され、成功を収めた組織野球戦術「ドジャース戦法」(スモールベースボールの礎)をチームに根ざすことを考えていた。牧野の執筆した記事を読んだ川上はその野球理論に惚れ、ドジャース戦法導入のキーマンと考え、コーチとして入団させた。それまで「特別練習」と呼んでいた練習をより強い意味にしようという思いから「特別訓練」、略して「特訓」という言葉を生み出した。これがマスコミによって喧伝され、現在では誰もが当たり前に使う言葉として定着した。この年の巨人のキャンプはドジャースがスプリングトレーニングを当時実施していたフロリダ州ベロビーチで行われた。

牧野はチームの帰国後もアメリカに残り、ドジャース戦法をはじめとした組織野球戦法の研究に努めた。ボロボロになるまで『ドジャースの戦法』を読み耽り、その内容をすっかり丸暗記してしまった。1963年春にはベロビーチでその著者であるアル・キャンパニスから直接指導を受け、「守備練習こそが勝利への直通路だ」と結論付けた。そしてその成果は1965年から1973年までの9連覇という形で現れる。V9になった1973年には作戦コーチとして活躍し、川上自ら「牧野がいなかったら、V9は達成出来なかっただろう」と語ったことがあるほど、川上巨人の名参謀として川上の絶対的な信頼を得た。川上は後に『知ってるつもり?!』で牧野が取り上げられた際にも「もし牧野がいなかったら、巨人の『V9』は達成できていなかっただろう」と話していた。


ドジャースの戦法』(ドジャースのせんぽう、原題: The Dodgers' Way to Play Baseball)は、メジャーリーグベースボール(MLB)球団、ブルックリン・ドジャーススプリングトレーニングにおける訓練係を長年担当してきたアル・キャンパニス1954年に著した野球技術書かつ野球指導書。スモールベースボールの礎となった[1]

日本語に翻訳したのは内村鑑三の息子でのちに第3代日本プロ野球コミッショナーとなる内村祐之である。9年連続日本シリーズ制覇という偉業を成し遂げた読売ジャイアンツ監督川上哲治がその戦法を導入し、徹底して実践したことで日本でも野球教本として広く知られるようになった。

9年連続日本シリーズ制覇という偉業を成し遂げた読売ジャイアンツの監督、川上哲治がその戦法を導入し、徹底して実践した
伝説のプロ野球選手  牧野 茂
藤田、牧野 チームで生まれた“双生児”
ベンチで指揮する藤田監督(左)と牧野コーチ=昭和58年撮影【拡大】
牧野茂 (野球)

巨人軍のリジェンド

(落合さんの年俸)どうかと思う

2024-02-18
1994年12月19日、現状維持(1億1500万円)で契約更改した原辰徳(当時36歳)。記者会見で巨人ナインの不満を代弁する © Number Web 提供

40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。

あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。連載第13回(前編・後編)、落合の移籍1年目に巨人は日本一に輝いた。しかしそのオフ、原辰徳が落合の“年俸4億円超”に不満を漏らす。【連載第13回の前編/後編も公開中】

「原がしっかりしてたら巨人移籍なかった」

40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。連載第13回(前編・後編)、1994年オフ、いきなり原辰徳が落合の「年俸4億円超」に不満を漏らした。「はっきり言って、原辰徳」41歳になった落合も反撃する。【連載第13回の後編/前編も公開中

「なにィ!?」感情むき出しの原辰徳

<原辰徳は1994年12月19日の契約交渉で「僕自身は現状維持(1億1500万円)で仕方ないけど、パッと(FAで)来た人(※落合)が、自分の何倍ももらうというのはどうかと思う」と言い切った。>

 この約2週間前、原は同僚の緒方耕一の結婚式で、長嶋監督が「緒方君は1番で、来年の4番は落合、広沢、新外国人に争ってもらう」とお祝いの言葉を送ると、直後に挨拶に立ち、「ボクは来季、いらないといわれているようだから」と口にしていた。94年はアキレス腱の故障で出遅れたものの、67試合で打率.290、14本塁打、36打点と落合とほぼ同数の本塁打を放ったにもかかわらず、背番号8は構想外のような扱いを受けたのだ。

G戦士は紳士たれ!!

2024-01-20
あんな男が、ジャイアンツのユニフォームを着ていていいのか?」広岡達朗が大乱闘に激怒
“鉄仮面”を貫いたヤクルト監督時代の広岡達朗。「巨人の広岡として死にたい」と語るなど、古巣への思いは並々ならぬものがあった © Number Web 提供
八重樫幸雄が見た“笑わない監督”のヤクルト時代 (msn.com)

ヤクルトの選手として広岡達朗の指導を受けた八重樫幸雄は、「広岡さんが笑ったところを見たことがなかった」と往年を振り返った。巨人に猛烈な対抗意識を燃やす広岡と、コンプレックスを払拭しようと奮闘したヤクルトナインの情熱はやがて“大乱闘”へと発展し……。八重樫の証言から、1978年当時の巨人とヤクルトの関係、そして現役時代に「巨人の広岡として死にたい」と語った広岡の屈折した思いに迫った。(連載第19回・八重樫幸雄編の#3/#1、#2、#4へ)※文中敬称略、名称や肩書きなどは当時
【廣岡流】内野守備の極意!
広岡達朗【 さらば、愛しきプロ野球 … 。 vol.8 】

超大型補強です。

2023-12-09
(カラー版)晩年の金田正一 読売巨人軍時代
金田正一 間違えなく155キロは超えていた! 投球練習+対長嶋4三振
(カラー版) 全盛期の金田正一(国鉄スワローズ時代)Part2
400勝投手・金田正一さんお別れの会 原監督ら参列(20/01/21)

達人同士が真剣に対談するとこうなる

2023-11-17
長嶋茂雄 打撃フォーム集
王貞治 打撃フォーム
2003/12/31 松井秀喜、長嶋茂雄と語る
プロ野球史上空前の強打者【長嶋茂雄】

「投手5冠」スゴすぎた江川卓の全盛期…

2023-11-19
「スピードガン表示は140キロだから今の投手が上」は本当か? “史上最高のストレート”た理由
巨人で活躍した江川卓。ベストシーズンは「プロ3年目」だった

球史に残る大投手の生涯ベストシーズン成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。金田正一や田中将大、大谷翔平らに続く第7回は、「高校野球史上最高の投手」江川卓(巨人)だ。
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