本文へ移動

資料編

【駅の物語】駅前編

阪急電車

2023-07-18
阪急電鉄の創業者「 小林一三 」


小林一三が、鉄道の開業と共に展開した様々な事業は、私鉄経営のビジネスモデルの創造として語られることが多いですが、目指したのは、便利で環境の良い住宅に暮らし、デパートで買い物をしたり、観劇を楽しんだり、ゆとりある生活をする、現代に繋がる理想のライフスタイルの創造でした。

そんな「小林一三」と「阪急」とのエピソードをいくつかご紹介。また、一三をもっとよく知る事のできるグループ施設も合わせてご紹介いたします。

電車に百貨店に、歌劇団まで経営! 阪急だけでなく鉄道会社全体に影響を与えた「小林一三」
宝塚を通る阪急今津線。奥の建物は、宝塚歌劇団の本拠地、宝塚劇場です © 鉄道コム

【鉄道網変遷】北海道

2022-07-28
北海道の鉄道網を町営軌道などの小規模なものを除き大方まとめて地図でアニメーションとしてみました。1950年代あたりまでは石炭資源を背景に各地を網羅する巨大な鉄道網が形成されており、1980年代に過疎化を背景として大規模な廃止が起こりました。政治的な背景から複雑な様相を見せる個所もあり、例えば白糠線や美幸線、根北線などは過疎化の進行がすでに顕著であったにもかかわらず建設が行われています。白糠線は最終延伸からわずか数年で廃止となっています。これらのような興味深い背景をもった廃線などを是非お楽しみください。 今までの動画では一番頑張りました!よろしければ、、差し支えございませんでしたら、、高評価をして頂けると検索上位に出やすくなりより多く再生され、嬉しいので、お願いしたいです。。!

東海道本線全線電化完成

2022-11-20
東海道本線全線電化完成当日、記念祝賀列車「つばめ」出発式前の東京駅。記念ヘッドマークを掲げたEF58形57号機が先頭に立つ 1956年11月19日
facebook鉄道博物館さん曰く
鉄道150年 あの日、あの時  東海道本線全線電化完成
今から66年前の今日、
1956年11月19日
東海道本線の全線電化が完成しまし
 東海道本線は1934年12月の丹那トンネル開通の際に東京から沼津まで電化されていましたが、戦前はそれ以上の進展はありませんでした。戦後、国内の石炭不足が顕著となり、国鉄は他の産業に石炭を供給すること、国鉄自前での電力供給量に余裕があったこと、さらに電化によって経営を合理化することから主要幹線の電化を計画します。しかし、鉄道電化に難色を示した連合軍の反対などにより、日本が主権を回復する1952年まで、電化計画はなかなか進みませんでした。
 このような状況下でも、東海道本線は1949年2月に沼津~静岡間、同年5月に静岡~浜松間と少しずつ電化区間を延ばしていき、1956年11月19日、米原~京都間の電化をもって東海道本線の全線電化が完成しました。これにより、東京~大阪間の特急「つばめ」「はと」の所要時間が30分短縮され7時間30分となったことをはじめ、全線で電気機関車けん引列車が使用されることで、大幅なスピードアップや輸送力増強が実現しました。2年後の1958年11月には、さらなる輸送力増強のために国鉄初の電車特急「こだま」が運転を開始、その後の新幹線の開業へとつながっていきます。
 今回は当館の収蔵資料の中から、東海道本線電化完成関連の資料をご紹介いたします。
東海道線全線電化開通「つばめ」ヘッドマーク
東海道本線の全線電化に合わせ、特急「つばめ」「はと」に使用されるEF58形電気機関車と客車は明るい緑色に塗装され、
やがて「青大将」というニックネームで呼ばれるようになった
東海道電化完成記念切手と台紙
当館で展示中のEF58形89号機 東海道本線全線電化に合わせて1956年に製造された。全線電化完成当日の大阪発上り「つばめ」一番列車をけん引した経歴を持つ
東海道電化完成記念乗車券 1956年
東海道電化完成記念乗車券(特別急行券) 1956年

昭和2年の日本初地下鉄(上野-浅草間)開通時のポスター

2022-06-19
Facebook 宇都宮晶彦  さん曰く

これは、昭和2年の日本初地下鉄
(上野-浅草間)開通時のポスターに描かれたモダンファミリーです。
最後は昭和の少し前の大正10年の上野松坂屋のポスターですが、まだ和の感じです。
TOPへ戻る