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鉄の友

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【アーカイブス編】思い出の鉄路

Facebook 思い出の鉄路

2021-02-01
国鉄長崎本線 諫早付近
特急かもめ号 長崎・佐世保⇔京都
【設計を間違えて加速できない…】パワーがありすぎて本気を出せなかったディーゼル特急
当初、特急列車の評定速度に見合ったダイヤで運行できるエンジンがなかなか開発できず、気動車による特急運用はされてきませんでした。 
そんななか、日本初の特急形気動車として開発されたのが、国鉄キハ80系気動車です。
 しかしながら、エンジン故障による火災が発生したりと、開発期間があまりにも短すぎたことが原因によるトラブルが多発していたのです。
 こうしたことを踏まえ、大出力改良型エンジンを搭載し、さらなる安定性・速達性を目指して開発されたのが、国鉄キハ181系気動車です。
 試作車であるキハ90系における大出力エンジン開発の成果を踏まえ、国鉄の量産型気動車としては初の500馬力級エンジンを搭載し、非電化路線の高速化が行われました。 
しかし、キハ80系・キハ181系共に、大きな欠点を抱えていました。 
それは、エンジンのオーバーヒートを防ぐため、フルパワーで使用可能な時間に制限が設けられていることです。
 今回は、耐久試験を行わずに新技術を導入した結果、フルパワーで使用できなかった悲しき気動車特急をご紹介いたします。

特急かもめ出発です。

2022-06-20
1953年(昭和28年)3月15日: 京都駅 - 博多駅間を山陽本線・鹿児島本線経由で運転する特急「かもめ」が運行開始。
京都~博多間を結ぶ特急「かもめ」出発式 京都駅 1953年3月15日撮影

56年前になってしまったが、この日から東海道・山陽本線に特急「かもめ」が運行を開始した。今では掃いても捨てきれないぐらい日本全国特急だらけで、新幹線や特急に乗らずに旅ができるもんならやってみろといわれているのと同じ。急行が激減し、準急は消滅してしまった。1953年時点の国鉄には、特急と名が付く列車は東海道本線東京―大阪間の「つばめ」「はと」のみ。この「かもめ」が実に敗戦後3番目の特急だったのである。


1953年3月15日特急「かもめ」処女列車

下りは京都始発8時30分、広島14時15分着、20分発。門司17時54分着、58分発、博多終着19時10分。停車駅は他に大阪、神戸、姫路、岡山、小郡、下関のみ。上りは博多10時00分、広島14時48分着、53分発。京都終着20時40分である。

機関車は処女列車用に綺麗に磨き上げられ、煙室扉ハンドルが梅小路にちなみ梅模様の真鍮磨きだしと御召し並みのC59100だった。スハニ、スハ3両、マシ、スロ3両、最後尾スハフで一等車がないところが「つばめ」「はと」と差がついた。運転局では将来展望車を新製したかった由だが、これは遂に叶わなかった。

特急かもめ号列車食堂御案内 日本食堂メニュー表 昭和29年

2022-06-13
東京-博多 時刻表 食堂車 チラシ パンフレット お土産

正面衝突事故

2022-07-31

Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1991(h3)年】-2
◎信楽高原鉄道事故
*1991.5.14/ 信楽高原鉄道で、列車同士の正面衝突事故が起こり42人が死亡する。
 1991(h3)年5月14日10時35分頃、滋賀県甲賀郡信楽町(現甲賀市信楽町)の「信楽高原鉄道」信楽線小野谷信号場 ~ 紫香楽宮跡駅間で、信楽発貴生川行きの上り普通列車(4両編成)と、京都発信楽行きのJR西日本の直通下り臨時快速列車「世界陶芸祭しがらき号」(3両編成)とが正面衝突した。
 両方の先頭車両は原形をとどめないぐらい押しつぶされ、JR西日本側乗客の30名、信楽高原鉄道側乗員乗客の12名、合わせて計42名が死亡し、双方の乗員乗客600名以上が重軽傷を負う大惨事となった。臨時快速列車は乗客で超満員の状態(定員の約2.8倍)であったため、人的被害が非常に大きくなった。
 信楽高原鉄道は、JR西日本草津線の貴生川駅から分岐し、 信楽駅に至る全長14.7kmの非電化単線路線で、もとはJR西の信楽線が転換され、第三セクター鉄道事業者の信楽高原鉄道(株)によって運営されていた。
 信楽町は滋賀県の南東(甲賀地方)に位置し、奈良時代には聖武天皇の「紫香楽宮」が存在したとされ、現在は狸の陶磁器などの「信楽焼」で有名である。普段は山間にあるひっそりとした町だが、当時は「世界陶芸祭しがらき'91」が4月20日から開催されており、信楽高原鉄道の輸送能力をはるかに超える来場者輸送に追われていた。
 「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」の開催にあたって、信楽高原鉄道の輸送力が不足するので、実行委員会は信楽高原鉄道とJR西日本に対し協力を要請し、信楽高原鉄道は行き違いのできる無人の「小野谷信号場」を設けるなど、大幅な増強工事を実施するとともに、JR特別列車が直接乗り入れることを可能なシステムを構築した。
 しかしそのために複雑な信号システムとなり、そこに信楽高原鉄道とJR西日本という運転システムが異なる慣れない乗務員が乗り入れることになり、十分な事前訓練もなされないまま、世界陶芸祭への臨時運行ダイヤが組まれた。
 改修した急造の信号システムはトラブル続きで、その都度信楽高原鉄道の社員が、非常時対応マニュアルも整備されないまま手動で対応することになった。その上、信楽高原鉄道・JR西はそれぞれ別個に、各自無許可で信号制御の改造をしており、両社の意思疎通も取られていなかった。
 このような状況で5月14日10時18分、JR西の京都駅発下り臨時列車「世界陶芸祭しがらき号」は、2分遅れで貴生川駅を発車した。一方、信楽高原鉄道上り普通列車は、信楽駅の出発信号機が出発指示に変わらず待機していたが、10時24分手動信号に切り替え、10分遅れで列車を出発させた。
 「貴生川駅」から「信楽駅」を結ぶ信楽高原鉄道は全線単線区間で、交互入れ替えできるのは新規設置された「小野谷信号場」だけであった。したがって、小野谷信号場より下り区間(信楽駅側)及び、信号機より上り区間(貴生川駅側)のそれぞれの区間は信号機による閉塞方式として、決して両側からの列車が同時に入らない仕組みとされていた。
 出発信号が出ないため信号トラブルと考えた信楽高原鉄道側は、手動制御に切り替えるため小谷野信号場に車で社員を向かわせたが、渋滞で信号場に到着しない間に見切り発車させてしまった。これは明らかに運行手順違反であり、事故の第一の原因は信楽鉄道側にあるとされた。
 しかし信楽駅からの上り列車の誤出発が検知された場合、小野谷信号場の下り列車用の信号が赤になるはずであったが、小野谷信号場の信号は青になっており、唯一生き延びたJR特別列車の運転士は、信号を信用して信号場を通過した。
 信楽駅から信号場の区間には幾つかの小駅があるが、すべて単線通過駅であり、行き違い線は設けられていない。しかも信号場に最寄りの紫香楽宮跡駅を、信楽鉄道普通列車はすでに通過していた。そして10時35分、JR西快速501D列車と信楽鉄道534D列車とは正面衝突し、多数の犠牲者を出す大事故が発生した。
(この年の出来事)
*1991.4.26/ 自衛隊のペルシャ湾への掃海艇派遣部隊が出発する。
*1991.6.3/ 雲仙普賢岳の噴火で、大火砕流発生し死者・行方不明者43人を出す。
*1991.9.17/ 南北朝鮮が国連に同時加盟する。
*1991.1.5/ 宮沢喜一内閣が発足する。
タブレット交換
徳永 裕明さん曰く
一過性の催事対応なら、複雑な信号システムではなく、国鉄単線区間で用いられていた「タブレット交換」を導入していたら事故を防げたかもしれませんね。

【鉄道網変遷】北海道

2022-07-28
北海道の鉄道網を町営軌道などの小規模なものを除き大方まとめて地図でアニメーションとしてみました。1950年代あたりまでは石炭資源を背景に各地を網羅する巨大な鉄道網が形成されており、1980年代に過疎化を背景として大規模な廃止が起こりました。政治的な背景から複雑な様相を見せる個所もあり、例えば白糠線や美幸線、根北線などは過疎化の進行がすでに顕著であったにもかかわらず建設が行われています。白糠線は最終延伸からわずか数年で廃止となっています。これらのような興味深い背景をもった廃線などを是非お楽しみください。 今までの動画では一番頑張りました!よろしければ、、差し支えございませんでしたら、、高評価をして頂けると検索上位に出やすくなりより多く再生され、嬉しいので、お願いしたいです。。!
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