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大場政夫とボクシング

【 ボクシング編 】(アーカイブス)

絶頂期23歳の世界王者が交通事故死…

2023-07-28
永遠の王者”大場政夫はなぜ首都高で散ったのか?「強気な性格」「運転中、必ず抜き返さないと収まらなかった」
帝拳ジム初の世界チャンピオンとなった大場政夫。50年前にわずか23歳で生涯を閉じた“永遠の王者”の足跡を振り返る © Number Web 提供
前田衷 によるストーリー

 50年前の1月、不慮の交通事故で世界王者のまま、この世を去った大場政夫(享年23)。強気な性格で帝拳ジム初の世界チャンプとなった「永遠の王者」の歩みを秘話とともに振り返る。

 ※初出は2017年5月28日発売Number927号掲載の連載「[私を通り過ぎた王者たち。]#7 大場政夫」 肩書き、年齢は掲載当時のもの

 寺山修司の著作でもユニークな『みんなを怒らせろ』というスポーツ・エッセイがある。この中でボクシングに言及した寺山は、怒れる若者と飢える若者を同一視し、「アトム畑井よ、愛されようと思ってはならないのだ。おそれられることだけが、チャンピオンになる条件なのだから」と書く。

 この本を読むと決まって大場政夫のことを思い出すのはなぜだろう。「飢え」と「怒り」がひとつの時代に重なるからだろうか

大場政夫Masao Ohba

1949年10月21日、東京都生まれ

[戦績]38戦35勝(16KO)2敗1分

[獲得タイトル]

WBA世界フライ級王座

中学卒業後、ジムに入門。1966年、17歳でプロデビューすると、1970年に21歳でベルクレック・チャルバンチャイ(タイ)を13回KOで破りWBA世界フライ級タイトルを獲得。2年3カ月の間に5度防衛。在位中、世界ランカー相手のノンタイトル戦でも4勝。5度目の防衛戦から23日後の1973年1月25日、首都高速で不慮の事故死を遂げた。

【再アップ】" 永遠のチャンピオン " 大場政夫 世界戦5試合

【ボクシング】大場政夫という生き様

2023-07-28
【ボクシング】大場政夫 永遠の王者

ファイトの足跡

2023-03-09
私は、ボクシングといえば大場命です。
故大場政夫氏

大場政夫

2020-10-07
【 昭和の大ヒーロー ♪ 伝説のボクサー:大場政夫 大特集 ♪ 1998年放送 】
https://youtu.be/07POis-2g2k

1973年1月25日、3週間ほど前に逆転KOで5度目の防衛を果たしたばかりの大場は、首都高速5号線でカーブを曲がり切れずに中央分離帯を乗りこえ対向車のトラックと正面衝突。 愛車のシボレー・コルベットと共にチャンピオン・ベルトを巻いたままあの世へと旅立ちました。23歳でした。

永遠のチャンプ

2020-06-25
永遠のチャンプ・大場政夫。

私が最も敬愛するボクサーです。

1949年10月21日東京都足立区生まれ。

実父がギャンブル好きで、幼少期の暮らしは相当に貧しかったようです。

その実父がボクシングファンだった影響から、なんと小学校の入る頃には既に、将来は世界チャンピオンになり、両親に家を贈ろうと決めていました。

その後も決意はブレることなく、1965年の中学卒業と同時に帝拳ジムに入門、プロボクサーへの第一歩を踏み出すことに。

翌年には、渡辺和喜に1回KO勝ちでプロデビュー。

以降は、持ち前の負けん気と豊富な練習量で頭角を現し、次々と難敵を退けて世界ランキング上位へと駆け上がりました。

そして、プロ28戦(25勝2敗1分8KO)で、念願の世界タイトル初挑戦の切符を手中にします。

1970年10月22日、タイのベルクレック・チャルバンチャイを13回KOで倒し、WBA世界フライ級王座を獲得。

この時、大場は21歳。

プロキャリア4年で小学生の頃抱いていた夢を叶えました

その後、2年半足らずで王座を4度防衛。

そして1973年1月2日、WBA世界フライ級5度目の防衛戦を迎えます。

相手は「稲妻小僧」の異名を持つ元WBC世界フライ級チャンピオン、タイの英雄チャチャイ・チオノイ。

大場は1Rにチオノイの豪快な右フックを食いダウン。

その際に右足首を捻挫し、以降は足を引きずりながらのファイトを強いられます。

しかし、大場は驚異的な粘りで劣勢を挽回、8Rからは優勢に立ち、12Rを迎えます。

前半は打ちつ打たれつでしたが、中盤に機を見て大場が猛ラッシュ。

ロープ際で連打を浴びせられたチオノイは、遂に崩れ落ちます。

その後、チオノイは半ば戦意喪失状態になり、最後はレフェリーが試合を止め、大場は大逆転で5度目の防衛に成功しました。

1月2日のゴールデン枠に、人気ボクサーの世界戦生中継とあって、祖母の家に集まっていた親戚一堂はTVに釘付け。

終盤は皆が「大場〜っ!」と絶叫するほどの大熱戦でした

小学校3年生だった私も、感動で泣きそうになりました。

決して器用ではなく、打たれて強いわけでもなく、スピードもそれ程ではない……が、

猛練習で培った旺盛なスタミナと折れない心で、ただ愚直に左右のワンツーを繰り出す。

いつまでも、いつまでも、相手が倒れるまで繰り出す。

その闘志を前面に押し出したボクシングスタイルは、観る者の心まで奮い立たせる迫力がありました。

この試合の23日後、1973年1月25日。

大場は愛車シボレー・コルベット・スティングレーで首都高速5号池袋線を走行中、大曲カーブを曲がり切れず中央分離帯を乗り越え、反対車線に出たところを大型トラックと正面衝突。

現役世界チャンピオンのままこの世を去りました。

大場は3度目の防衛戦後に、それまでで得たファイトマネーで埼玉県に一戸建を新築購入し、両親に贈っています。

また、実弟の高校までの学費も全額支払い終えていました

中学卒業後、ボクシングに総てを賭けてきた大場が、4度目の防衛成功後に生涯で初めて自分自身へ贈ったご褒美が、当時日本に2台しかなかったシボレー・コルベット・ステイングレーでした。

大場政夫 
プロボクシング生涯戦績
38戦35勝16KO2敗1分
第25代WBA世界フライ級王座5度防衛
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