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ちょっと気になる逸品の世界

【没後50年】

2023-10-19
ブルース・リーは他人には見せない「努力」がスゴかった…「妻を相手に夜遅くまでアクションの予習」「老子や宮本武蔵の本を熟読」

「'73年に『燃えよドラゴン』を観たとき、超人的な身体能力を持ち、不死鳥のような存在でありながら、すでにこの世にいない儚さを感じたことを覚えています」

こう語るのは、ブルース・リーに大きな影響を受けた映画監督の阪本順治氏だ。

「彼のアクションは映画のために訓練したものではない。危険なスタントも全て自身で行う、本物の武術を極めた人間が映画の世界に入ってきたわけです」

リーは撮影から映画音楽の演奏、吹き替えのアフレコまでこなしていた。

「映画界の慣習にとらわれなかったからこそ、独自の世界観を作り上げられたと思います」

最初にリーが注目を浴びたのは、'66年に26歳で出演した米ドラマ『グリーン・ホーネット』だ。アクションが面白い中国人青年がいると話題を呼び、スティーブ・マックイーンやロマン・ポランスキーら大物映画人が、彼の弟子になった。

創業200年の八代目

2023-10-18
越前の漆椀 漆琳堂
ツートンカラーな高台は手塗りの証

小磯良平(1903年7月25日-1988年12月16日) 昭和期に活躍した洋画家。

2023-07-25
facebook 井上直哉さん曰く
小磯良平(1903年7月25日-1988年12月16日)
昭和期に活躍した洋画家。
肖像画、特に群像を多く手がけたことで知られます。
旧三田藩の旧家で貿易に携わっていた岸上家の8人兄弟姉妹の次男として、
神戸市神戸(現在の中央区)の中山手通に生誕。
東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)西洋画科に進み、
在学中の1925年(大正14年)に親戚の小磯吉人の養子となり改姓し、
同年「兄妹」が帝展入選、
1926年(大正15年)「T嬢の像」が帝展特選を果たします。
首席で卒業後の1928年(昭和3年)、
フランスに留学。
ルーブル美術館のパオロ・ヴェロネーゼ「カナの婚礼」に衝撃を受け、
群像表現を極めることを生涯のテーマとします。
帰国後の1936年(昭和11年)、
「新制作派協会」(現・新制作協会)の結成に加わり、
1938年(昭和13年)から1年間藤田嗣治らとともに
陸軍省嘱託の身分で従軍画家として中国に渡り、
帰国後戦争画を製作。
1941年(昭和16年)に
群像画の傑作「娘子関を征く」と「斉唱」(第4回新文展に出品)を相次いで発表。
良平自身は群像を書くため精力的に戦争画に取り組みましたが、
戦後は画集に収録せず。
戦後は
東京藝術大学教授などを務めて後進の指導にあたり、
定年退官後も迎賓館(赤坂)大広間の壁画「絵画」「音楽」を制作するなど
長きにわたり日本の洋画界に大きく貢献し、
同大学名誉教授の号を授与されました。
1992年(平成4年)に創設された「小磯良平大賞展」は
国内最高賞金の公募展として知られています。
1933年(昭和8年)に
神戸でキリスト教(組合教会系)の洗礼を受けており、
1970年(昭和45年)には日本聖書協会の依頼により
32点の聖書の挿絵を完成させました。
その他、
1941年(昭和16年)出版の『東京八景』(太宰治)の装丁や
1947年(昭和22年)に制定された「兵庫県民歌」楽譜の表紙画を手がけています。
1988年12月16日、
肺炎のため神戸市東灘区の甲南病院で死去。
享年85。
(小磯良平)

長艸 繍巧房|京繍

2023-05-31
「刺繍で読み解く人々の生活」

棟方志功の世界(昭和45年放送)

2023-03-04
【棟方志功記念館】秋の展示「発見!日本の風景」前編
【棟方志功記念館】春の展示「祝祭/祈り」後編
【棟方志功記念館】春の展示「AOMORI NO KO」後編
【棟方志功記念館】夏の展示「模様化の魅力―大自然・縄文―」前編
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