大谷派の取り組み
真宗大谷派の取り組みについて
【写真日記 全戦没者追弔法会が勤まりました】
2023-04-03
本日は御影堂にて「全戦没者追弔法会」(テーマ:人間はなぜ争うのか)が勤まりました。
4月2日(日)、京都は暖かな一日となりました。
本日は御影堂にて「全戦没者追弔法会」(テーマ:人間はなぜ争うのか)が勤まりました。
法要に先立ち、俳優の竹下景子氏により、作家の高史明氏作詞の「追弔の偈 戦争にいのち奪われたあなた方よ」の朗読がありました。戦争でいのちを奪われた方々を憶念し、私たちの今を問い直す願いを表現された詩の朗読に、参拝者は静かに耳を傾けていました。
法要に引き続き、「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず-物語を超えて-」と題して、四衢亮氏(岐阜高山教区不遠寺住職)より記念講演が行われました。
四衢氏は、世界の現状と私たち一人ひとりの生き方に丁寧に触れながら、『仏説無量寿経』に説かれる「強者伏弱」の世界、自分の正しさを誇り、力によって他を従わせることを繰り返す人間の悲しみと痛みについてや、人間の貪り、瞋り、愚かさを照らす仏教の智慧、本願に触れることの大切さ、宗教の役割について述べられました。
「兵戈無用」 泉 惠機(いずみ しげき)(助教授・解放の真宗学)
2023-03-09
これまでこの言葉は、日常生活の中でほとんど用いられてはこなかったかもしれない。最近になって時折見かけるようになった。“武器も軍隊もいらない”という意味である。浄土三部経のひとつ『大無量寿経』に出てくる言葉である。釈尊が悪を戒め信を勧められるところで語られるのだ。この背景には「不殺生」「殺すなかれ」という釈尊の思想がある。
釈尊の時代にも戦争はあった。大規模な戦ではなくとも、人が人を傷つけ、武器を持って殺しあうのは人間の最も愚かな行為でありながら、絶えることがない。そのような人間の有様のただ中で、釈尊の世の祈りを示す言葉として語られたといって良いだろう。
この言葉を聞いて、誰の心にも思い合わされるのは、昨年九月の「同時多発テロ」事件と、その後のアメリカによるアフガンへの空爆である。多くの命が奪われ、また今も奪われ続けている。自らの命を「兵戈」と化し、また先端のテクノロジーを駆使した「兵戈」を用いて、殺戮が行われている。そして世界は、それをとどめる術をもたないかのごとくである。しかも、いずれも「正義」を謳って「兵戈」を用い、殺戮が正当化される。しかし、いかなる事情があろうと、幾万言ついやそうと、何人も命を奪うことを正当化することはできない。また同時に、多くの戦争が「自らに正義あり」として行われたが、殺戮することに冠せられる「正義」はない。
幾たびもの戦争が繰り返された二十世紀に対して、二十一世紀は「平和と人権の世紀」であることが強く願われてきたにもかかわらず、最も愚かな行為によって幕を開けたことを悲しまざるを得ない。
またこの状況を見ると、『法句経』の次のような言葉が思い合わされる。
この世において、怨みに報いるに怨みをもってすれば、ついに怨みは息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。
今こそ、「兵戈無用」という釈尊の願いを心に入れて生きていきたい。