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政局について

日本の政局について

台湾は、国民党の国なんだ・・・。

2022-11-27
統一地方選/与党・民進党が大敗 首長ポスト減らす 蔡総統が党首辞任を表明/台湾

(台北中央社)統一地方選挙で与党・民進党が首長ポストを現有の7県市から5県市に減らしたのを受け、蔡英文(さいえいぶん)総統は26日夜、党主席(党首)の辞任を表明した。「期待通りにはならなかった。台湾の有権者の決定を受け入れる」と述べた。

22県市の首長や議員を決める地方選。首長選は、南部・嘉義市が候補者の死去で来月に延期されたため、この日は21県市で実施された。現有14県市で首長ポストを占める最大野党・国民党は、民進党が市政を担っていた北部・基隆市や桃園市で勝利した一方、澎湖県と苗栗県で敗北し、ポストを13県市とした。

(編集:名切千絵)

台湾与党・民進党が大敗 首長ポスト減らす 蔡総統が党首辞任を表明=同党のユーチューブチャンネルから

細田議長の責任、「国葬」問題…政界のご意見番・伊吹文明氏の考えは

2022-11-19
有料記事 国葬 岸田政権
聞き手=編集委員・石合力2022年11月16日 8時00分
「保守」を自任する政治家として、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党との関係をどう見るのか。細田博之衆院議長説明責任は。「国葬」をめぐる国会と内閣の関係はどうあるべきか――。衆院議長を務めた伊吹文明氏(84)に聞いた。


――教団と関係を持つ議員は、安倍晋三元首相の派閥、清和会系に多いですね。

 「それは(安倍氏の祖父で元首相の)岸信介先生から関係が始まっているわけだから。1960年代当時、東西冷戦だから、裏側にどういうこと(教義)があるかということよりも、共産党共産主義に対抗するために(戦前に右翼政治家として活動し、政界の黒幕とされる)笹川良一氏と、岸先生で関係をつくった。自民党の先輩たちがそういうものにひかれたことは否定しない。それが派閥の流れとして今につながっている」

「それ以来、全く没交渉だった」

――保守の立場から、教団の教義をどう見ますか。

 「保守の考えとは相いれないものだ。韓国はアダムの一番立派な国で日本はそれに従属すべき国だと。植民地化などでひどい目に遭わせたから我々に償いをするのは当たり前だという考えだ。保守が一番大事にしているのは、民族が醸成してきた伝統的な規範や良識。彼らはその伝達装置の一つとしての国家を辱めている」

 ――ご自身、政治家として旧統一教会側との関係はなかったのですか。

 「1983年の初当選後に地元市議の長老が、共産党と戦う団体があるから一度、のぞいてみませんかと。京都は共産党(などからなる革新)府政からやっと抜け出したところだった。それが国際勝共連合の事務所だった。霊感商法が当時、問題になる中で、統一教会の政治団体だということをだれかが教えてくれた。教義を少し調べてみたら、問題があるものだということが分かり、それ以来、全く没交渉だった」

 ――保守の顔だった安倍元首相が関連団体の会合に、ビデオメッセージを送っていました。

 「やはり安倍さんの政治信条からすると違和感がある。僕は、教義が保守の考えと相いれないという方に重きを置いて、関わりを断つ判断をした。安倍さんは、おかしいところがある団体だけれども、勝共(反共)の方に重きを置いたということかもしれない」

 ――安倍氏と団体の結びつきで、特定の宗教が政治に影響を与えていたのではありませんか。

 「ビデオメッセージが教団本体の信者獲得とか、霊感商法の物品販売とか高額寄付に対して、大変な恩恵を与えたのか、具体的な効果があったのか証明できないとなかなか難しい」

 ――元首相がメッセージを送るのは、やってはいけないことでは。

 「僕は、彼らが反社会的だと認識していますよ。けれども、けしからんというだけで政治をやりだしたら、とんでもないことになってしまう。何が問題なのか、どう線引きすべきかは、国会で議論をして決めたらいい」

 ――安倍氏本人と教団について話したことはありますか。

 「まったくない。ただ、安倍さんというより岸さんや福田(赳夫元首相)さんの流れの中で統一教会はやはり清和会との関係があるという漠然とした感じはあったけどね。安倍さんがそんな立場にいたってことも全く知らなかった」

 ――安倍氏による信者票の割り振りなどがあったのではないですか。党幹事長の経験者として知っていたのでは。

facebook中野 博美さん曰く

親父が亡くなったときに、何処でお聞きになったのか伊吹さんは直ぐに来られた。

父親は学部は違えど先輩後輩の関係を大事にしていたと思う。

いつも良く出来る後輩のことを冗談混じりに言ってたのは、

「伊吹はほんまにええこと言いよるえ。ええこと言いよるえ。しよらへんだけやw 」と。。。

野田元総理 国会で故・安倍元総理への追悼演説【ノーカット】

2022-11-07
(2022年10月25日)

安倍氏の追悼演説 立憲・野田佳彦元首相が受諾 自民「遺族の意向」

2022-10-07
毎日新聞 2022/10/07 10:46

自民党の高木毅国対委員長は7日午前、立憲民主党の安住淳国対委員長と国会内で会談し、安倍晋三元首相への追悼演説について、立憲の野田佳彦元首相に要請したいと申し入れた。「ご遺族の意向、自民党の総意だ」と伝えた。野田氏は立憲党内で協議後、要請を受諾した。

 野田氏は安住氏に「泉健太代表や党の要請であれば、荷の重い話ではあるが、受諾させていただく」と答えたという。近く議院運営委員会理事会で正式に決定する見通しだ。演説は月内にも衆院本会議で行われる。【李舜】

議会史に残る追悼演説 選挙区のライバルも登壇

議会史に残る追悼演説 選挙区のライバルも登壇

2022-10-07
「私は誰に向かって論争を挑めばよいのでありましょうか」と急逝を悼んだ。
国会の慣例

現職の国会議員が亡くなると、演説で追悼・哀悼の意を表することが国会の慣例として続いてきた。秋の臨時国会で7月の参院選の選挙期間中に銃撃され死去した安倍晋三元首相の追悼演説を予定する。過去の例をみると、議会史に残る名スピーチも少なくない。(一部の肩書は当時)

演説は衆院は「追悼演説」、参院は「哀悼演説」と呼ぶ。本会議場の傍聴席に遺族を招き、故人の生前の功績や人物像を紹介する。国会全体で追悼するムードが広がる。

演説とは別に衆参両院の議長による「弔詞」もある。安倍氏への弔詞は参院選後の8月の臨時国会ですでに両院の議長が読んだ。

浅沼氏の追悼演説に臨んだのが池田勇人首相だった。

1960年10月。社会党の浅沼稲次郎委員長が日比谷公会堂(東京・千代田)で演説中、少年に刃物で刺されて死亡した。衆院選が間近という政治情勢のなかでの事件で、日本中が衝撃を受けた。

浅沼氏の追悼演説に臨んだのが池田勇人首相だった。60年は前の首相の岸信介氏が主導した日米安保条約の改定を巡り自民党と社会党が激しく対立した。

池田内閣は「寛容と忍耐」を掲げたが、当時は資本主義か社会主義かというイデオロギーの対立が国会論戦にも色濃く反映した時代だった。

池田氏は浅沼氏を「好敵手」と呼び、浅沼氏がいない衆院本会議場で「私は誰に向かって論争を挑めばよいのでありましょうか」と急逝を悼んだ。

暴力に反対する姿勢も強調した。「私は目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬ」と誓った。

池田氏は演説の後半に、浅沼氏の友人が歌ったという歌を紹介した。浅沼氏が演説のため「きょうは本所の公会堂 あすは京都の辻の寺」と各地を東奔西走したという内容だった。

浅沼氏が東京の下町のアパートに住み愛犬の散歩が楽しみだったことなど本人の人となりも紹介した。自民党総裁という保守勢力のトップである池田氏が浅沼氏の学生時代からの社会主義運動の半生を振り返るのも追悼演説ならではだった。

社民党の村山富市元首相が追悼演説に立った。

与野党の垣根を越えた演説はほかにもある。小渕恵三前首相が2000年5月に62歳の若さで死去した。社民党の村山富市元首相が追悼演説に立った。

自社さ連立政権の枠組みで村山氏は首相に就任したが、小渕内閣のときの社民党は野党だった。同党は安全保障政策や国旗・国歌法などを巡り政権を厳しく批判した。それでも両氏の個人的な人間関係は続いていた。

村山氏は小渕氏による沖縄サミットの開催決定の実績を評価した。小渕氏が沖縄に熱い思いを持っていたと述べ「沖縄サミットだけは君の手で完結させてほしかった。悔やんでも悔やみ切れない」と早い死を悼んだ。

小渕氏が映画「男はつらいよ」のファンクラブ第1号を自慢していたなどこぼれ話もあった。村山氏の夫人の健康を心配してカーディガンを届けてくれたと披露。「人柄の小渕」「気配りの小渕」といわれた一面を紹介した。

参院の哀悼演説

参院の哀悼演説はいま参院議長を務める尾辻秀久氏がこれまで3回している。すべて非自民の議員への演説だった。

07年12月に58歳で亡くなった民主党の山本孝史参院議員への演説が有名だ。山本氏はがんを患いながら議員活動を続けてきた。

尾辻氏も山本氏も社会保障分野の専門家として知られる。尾辻氏は厚生労働相の在職時に山本氏と委員会などで論戦を交わしたことを回想した。

ときに委員会の質疑は「一対一の真剣勝負」だった。官僚が作成した答弁書を尾辻氏が読んだら山本氏は反発したという。

尾辻氏は「私の思いを率直にお答えいたしますと、幼稚な答えにも相づちを打ってくださいました。(山本)先生から、自分の言葉で自分の考えを誠実に説明する大切さを教えていただきました」と強調した。

永田町の関係者の記憶に特に残るのが演説の終盤の尾辻氏の語りかけだった。「先生、今日は外は雪です。随分やせておられましたから、寒くありませんか」

11年11月に現職の参院議長のまま亡くなった西岡武夫氏への演説は当時副議長の尾辻氏が担った。西岡氏が同年の東京電力福島第1原子力発電所事故の直後に菅直人首相のいる官邸に乗り込もうとした秘話などを明かした。

20年に新型コロナウイルスに感染し死去した羽田雄一郎元国土交通相への演説も尾辻氏が務めた。「先生はただただ平和を願っておられました」「さようならとは言いません。またお会いしましょう」と訴えた。

かつて衆院の選挙制度は中選挙区制で、自民党は複数の候補を擁立した。同じ政党でも議員同士が激しいライバル関係にあったといわれる。以前に中選挙区で戦った相手を追悼した例もあった。

船田元・元経済企画庁長官は1995年に渡辺美智雄元副総理へ追悼の辞を送った。両氏は旧栃木1区でしのぎを削ってきた。

船田氏は「一度は渡辺先生に総理大臣をやらせたかったと思う国民は決して少なくなかった」「同じ選挙区で戦ってきた私が胸をかりるようなつもりでいた」としのんだ。

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