兵器・武器
矢でも、鉄砲でも・・・。
護衛艦 みくま
2024-10-26
【一角ステルス】海上自衛隊 最新鋭護衛艦 みくま『三隈』長崎港出港 JMSDF " Mikuma " FFM-4
FFM護衛艦「みくま」迫力の接岸長崎入港!
初めて見た!速力を上げて航行する「みくま」の甲板へ哨戒ヘリが着艦する!
2024-01-22
【引渡式・自衛艦旗授与式】護衛艦「みくま」引渡式・自衛艦旗授与式
【命名式・進水式】護衛艦「あがの」
護衛艦「あがの」ロゴマーク募集
護衛艦「あがの」ロゴマークの概要
■考案者:
南原 一徳 様(宮崎県)
■デザイン意図:
阿賀野川は、福島県会津地方を源流とし、新潟県を流れて日本海に注ぎ込む河川である。流水は越後平野を潤すほか、流域にはハヤブサ科の猛禽類であるチョウゲンボウなども生息する。
全体をブルー系の配色でまとめることにより、阿賀野川とその流水及び日本海の白波を表現し、また、体の小ささに似合わず、果敢に獲物をとる習性のあるチョウゲンボウを意匠に織り込むことにより、護衛艦「あがの」も勇猛果敢であるよう願いをこめた。
5番艦「やはぎ」・6番艦「あがの」の儀装状況
【フライト時間は驚異の「45時間」! 米空軍の最新給油機 “ノンストップ“で世界一周飛行達成 航空自衛隊も同型機を導入】
2024-07-08
最新鋭空中給油機であるKC-46A「ペガサス」が、無着陸での世界一周飛行を達成したと発表
2日間をかけて世界一周
アメリカ空軍は2024年7月1日、同空軍の最新鋭空中給油機であるKC-46A「ペガサス」が、無着陸での世界一周飛行を達成したと発表しました。フライト時間はなんと45時間だそうです。
C-17 Globemaster Refueling Mission! KC-135R Stratotanker Perspective
【アーカイブス 航空機編】
飛行機の時代の到来
2024-09-28
急降下爆撃機が空母を沈めたミッドウェー海戦
85機の飛行機 vs 2隻の軍艦
B-29
2024-06-05
B-29 SuperFortress Engine Start / Maintenance Check Flight
Restored B-29 takes to the air
B-29 FIFI Arrival Flight
Birth of the Boeing B-29 Superfortress - 1945
B-17
2024-06-05
Full start-up and take-off of the B-17 Sentimental Journey (Raw engine sound, no music)
B-17F「フライング·フォートレス」の内部
When a Tailgunner and Sabotage Saved a B-17
【アーカイブス 艦船編】
Sink the Bismarck!
2024-11-04
1960 Film in English Full HD, Kenneth More, Dana Wynter, Carl Möhner
The Search For the Battleship Bismarck w/Robert Ballard 2005
【戦艦大和 起工から87年】
2024-11-01
facebook NHKアーカイブスさん曰く
日本海軍が建造した世界最大の戦艦、大和。1937年に起工されました。
全長263メートル、世界最大の46センチ砲は、1発で戦艦1隻を沈める威力があるとされていました。
広島県の呉海軍工廠で造船部に配属された西畑作太郎さんは、のちに「大和」と呼ばれる戦艦の設計作業に携わりました。
「大和を設計する部屋には、囲いを設けて、その入り口に守衛が立っていました。『関係者以外は口外一切まかりならん』と。海軍工廠にとっても、どんな船を造りよるんかいう事は一切口にしてはならんと。線図というか艤装図(船の装備などの詳細を記した図面)を見るとね、今の船と全然様子が違うんで、学校で習った船の様子とちょっとかけ離れておるなという気はしておったんですがね」。
「鉄板の厚さが40ミリとか35ミリとかで、なんでこんな頑丈な船を造る必要があるんかいなとは思いましたよ。それで、昭和16年にアメリカに宣戦布告したんだという話を聞いて、あぁ、それでだな、あんなでかい船を造ったのはいうのはね。その瞬間に思い当たりましたね」。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001150094_00000
呉海軍工廠で「大和」の部品製造に携わった徳川敏明さんは、製造工程が偽装されていたことを明かしています。
「船体が出来たときに、なんか船体が半分は隠されとるげないうようなやったけん、そうしたら見たいですよね。今度は。どんぐらいにやっとんだ思って。そうしたら全く上をカムフラージュしておりましたね、偽装。偽装して。ほやけん約300メートルあるんだけど、150メートルぐらいは偽装して、大和の船体じゃないようにしてこっちを造るいうような方法をとっておられましたね」。
「僕らも号艦いうのを造っているからね、僕も海軍へ出るいうことになっとると思おてから、ほいじゃけ絶対にそういう船、僕は乗せてもらいたいなと思いましたよ」。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001150093_00000
1943年12月、「大和」はトラック諸島近海で魚雷を受け、西畑さんは呉のドックで復旧作業に携わります。
「もう悲惨ですよ。だってその穴から現場へ出入りしていたんでね。ですから、穴の大きさもこの部屋以上の穴が空いていましたから。『不沈戦艦、不沈戦艦』って言うのが軍人さんですよ。だって、海に浮かんでいるものが沈むのは当たり前な話でね。ですから造った人とか技術者が『不沈戦艦大和』いう言葉を使う事はないんですよ。それは沈みにくい船じゃ言うのは分かるんですがね」。
太平洋戦争末期の1945年4月、大和に特別な命令が下ります。「海上特攻隊」として沖縄に突入せよ。それは、生きて再び帰ることを望んではならない作戦でした。最後は浅瀬に乗り上げてでも、砲撃を続けるよう求められたのです。
4月6日に出撃した大和は、翌7日、鹿児島県の沖合でアメリカ軍艦載機の激しい攻撃を受けました。左舷に魚雷を集中して撃ち込まれ、決定的な打撃を受けた大和は大きく傾き、沈没しました。この時、乗り組んでいた3332人の9割以上が船と運命をともにしました。
「大和」の乗組員だった鶴谷游健さんは、「総員退去」の命令が出たときのことを、こう証言しています。
「総員退去になったら、自分ら鉄かぶと脱いですぐにもう外に飛び出られる。だけど、下におる者はばっちり上ってくるところを蓋されて閉められて、1階から下の者はもう、生きとっていたかってもう生き埋めやわな。あんなかわいそうなと思うわ。露天甲板以上はな、助かる率は多いんやけどな。ほんま生き埋めの者がほとんどやわな」。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001150090_00000
「大和」の設計に携わった西畑さんは、戦後も造船関係の仕事に就きました。
「今から考えてみるとね、あぁ、私も微力ながら日本の一大プロジェクトに参加できた一員じゃったんじゃなあ思うて。誇りに思っていますよ」。
巨大戦艦 大和 ~乗組員たちが見つめた生と死~
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001230007_00000
全長263メートル、世界最大の46センチ砲は、1発で戦艦1隻を沈める威力があるとされていました。
広島県の呉海軍工廠で造船部に配属された西畑作太郎さんは、のちに「大和」と呼ばれる戦艦の設計作業に携わりました。
「大和を設計する部屋には、囲いを設けて、その入り口に守衛が立っていました。『関係者以外は口外一切まかりならん』と。海軍工廠にとっても、どんな船を造りよるんかいう事は一切口にしてはならんと。線図というか艤装図(船の装備などの詳細を記した図面)を見るとね、今の船と全然様子が違うんで、学校で習った船の様子とちょっとかけ離れておるなという気はしておったんですがね」。
「鉄板の厚さが40ミリとか35ミリとかで、なんでこんな頑丈な船を造る必要があるんかいなとは思いましたよ。それで、昭和16年にアメリカに宣戦布告したんだという話を聞いて、あぁ、それでだな、あんなでかい船を造ったのはいうのはね。その瞬間に思い当たりましたね」。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001150094_00000
呉海軍工廠で「大和」の部品製造に携わった徳川敏明さんは、製造工程が偽装されていたことを明かしています。
「船体が出来たときに、なんか船体が半分は隠されとるげないうようなやったけん、そうしたら見たいですよね。今度は。どんぐらいにやっとんだ思って。そうしたら全く上をカムフラージュしておりましたね、偽装。偽装して。ほやけん約300メートルあるんだけど、150メートルぐらいは偽装して、大和の船体じゃないようにしてこっちを造るいうような方法をとっておられましたね」。
「僕らも号艦いうのを造っているからね、僕も海軍へ出るいうことになっとると思おてから、ほいじゃけ絶対にそういう船、僕は乗せてもらいたいなと思いましたよ」。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001150093_00000
1943年12月、「大和」はトラック諸島近海で魚雷を受け、西畑さんは呉のドックで復旧作業に携わります。
「もう悲惨ですよ。だってその穴から現場へ出入りしていたんでね。ですから、穴の大きさもこの部屋以上の穴が空いていましたから。『不沈戦艦、不沈戦艦』って言うのが軍人さんですよ。だって、海に浮かんでいるものが沈むのは当たり前な話でね。ですから造った人とか技術者が『不沈戦艦大和』いう言葉を使う事はないんですよ。それは沈みにくい船じゃ言うのは分かるんですがね」。
太平洋戦争末期の1945年4月、大和に特別な命令が下ります。「海上特攻隊」として沖縄に突入せよ。それは、生きて再び帰ることを望んではならない作戦でした。最後は浅瀬に乗り上げてでも、砲撃を続けるよう求められたのです。
4月6日に出撃した大和は、翌7日、鹿児島県の沖合でアメリカ軍艦載機の激しい攻撃を受けました。左舷に魚雷を集中して撃ち込まれ、決定的な打撃を受けた大和は大きく傾き、沈没しました。この時、乗り組んでいた3332人の9割以上が船と運命をともにしました。
「大和」の乗組員だった鶴谷游健さんは、「総員退去」の命令が出たときのことを、こう証言しています。
「総員退去になったら、自分ら鉄かぶと脱いですぐにもう外に飛び出られる。だけど、下におる者はばっちり上ってくるところを蓋されて閉められて、1階から下の者はもう、生きとっていたかってもう生き埋めやわな。あんなかわいそうなと思うわ。露天甲板以上はな、助かる率は多いんやけどな。ほんま生き埋めの者がほとんどやわな」。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001150090_00000
「大和」の設計に携わった西畑さんは、戦後も造船関係の仕事に就きました。
「今から考えてみるとね、あぁ、私も微力ながら日本の一大プロジェクトに参加できた一員じゃったんじゃなあ思うて。誇りに思っていますよ」。
巨大戦艦 大和 ~乗組員たちが見つめた生と死~
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001230007_00000
【アーカイブス】作戦の記録
[NHKスペシャル] ミッドウェー海戦を追体験する 敗軍の将・山本五十六と海に沈んだ若き命
2024-04-27
真珠湾攻撃の後、連戦連勝を重ねた日本。しかし1942年6月、ミッドウェー海戦で大敗北を喫する。空母「赤城」に乗り組んだ兵士の手記を元に、壮絶な戦いを追体験する。
[NHKスペシャル] ”玉砕”の報を受け、国民は戦い抜くことを決意した | 新・ドキュメント太平洋戦争1943 国家総力戦の真実(前編) | NHK
NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争1943 国家総力戦の真実 前編」
NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争1943 国家総力戦の真実 前編」の情報はこちら https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2Q...
戦争の時代を生きた人々の日記や手記「エゴドキュメント」から、1年ごとに歴史を追体験するシリーズ。
戦死者が増加する中、若者や子供が戦力として国家総力戦の渦に巻き込まれていく1943年を描く。
戦場では将兵たちが「愛する妻よ、さようなら」と遺書を残しアメリカ軍に突撃していく。
部隊の全滅が「玉砕」と美化される中、市民は「祖国重大な時」「あとに続け」と戦争協力を強め、十代の若者たちが兵士へと志願していく。
[NHKスペシャル] 日本兵は爆弾を抱えてアメリカ軍の戦車部隊に自爆攻撃をしかけた | 新・ドキュメント太平洋戦争 1943 国家総力戦の真実(後編) |
新・ドキュメント太平洋戦争 1943 国家総力戦の真実 後編
1943年11月、中部太平洋で、その後の戦局に大きな影響を与える戦いが起きた。
タラワの戦いといい、アメリカ人の対日観を一変させたといわれる激戦である。
また、ブーケンビル島では、連合国軍の攻撃にさらされることになった。
そして多くの人が飢えと疫病で命を失っていくことになる。
新・ドキュメント太平洋戦争は、戦争の時代を生きた人々の日記や手記「エゴドキュメント」から、1年ごとに歴史を追体験するシリーズ。
戦死者が増加する中、若者や子供が戦力として国家総力戦の渦に巻き込まれていく1943年を描く。
[NHKスペシャル] 戦局打開のため、国は少年たちに目を向けた | 新・ドキュメント太平洋戦争1943 国家総力戦の真実(後編) | NHK
NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争1943 国家総力戦の真実 後編」の情報
NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争1943 国家総力戦の真実 後編」の情報はこちら https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2Q...
80年前の1943年、敗北を重ね、戦力を消耗していった日本。
際限なき戦争動員が市民の暮らしを一変させ、戦火から遠かった若者や子どもが巻き込まれていく。
海軍は、パイロット養成機関である予科練の募集を強化。中学生ら3万人が名乗りをあげた。
ノルマに応じて、志願を呼びかけた学校。
教師や親は、苦渋の決断を迫られる。秋には、学徒出陣が決まり、大学生も学業半ばで戦場へ向かう。
その先には、過酷な運命が待っていた。
ロケーションは戦艦長門艦上
2024-05-28
トラ・トラ・トラ!(Tora! Tora! Tora!) 淵田中佐(Commander Fuchida)
【大日本帝国】
海行かば・昭和12年・映画「Tora! Tora! Tora!」から・作詞:大伴家持・作曲:信時 潔(無信託)
映画「トラ・トラ・トラ」 - オープニング
狙撃
2024-05-16
抗日映画|5000人の日本軍が総攻撃を開始するが、中国軍によって全滅した。
日本海海戦の戦艦「三笠」=“艦オタのワンダーランド” になっていた! リピーター続出 “歴史のスルメ” 的艦内!
2024-05-28
日露戦争でロシアのバルチック艦隊を旧日本海軍の連合艦隊が打ち破った日本海海戦。このとき旗艦を務めた「三笠」は、いまも横須賀市内で保存展示されています。日本海海戦記念日である5月27日を前に訪れてみました。
オタにとっては至福のひと時
横須賀に今も残る、旧日本海軍の戦艦「三笠」。実はその艦内には多くの歴史的資料が展示されており、博物館としても楽しめるようになっています。
とはいえ、建物内を歩く博物館と違い「三笠」は艦内そのものが展示物と言えるものです。かつ収蔵品や艦内模型など、歴史に関する資料もかなりの点数があるため、情報量がものすごく、見れば見るほど深みにハマっていくのが自分でもわかるほど。たとえるなら、噛めば噛むほど味が染み出るスルメのような施設なんです。なので、私も含め、リピーターが多いのも頷けます。
歴史散策:戦艦三笠とヴェルニー公園(横須賀)
Battle of Tsushima (Empire of Japan vs Russian Empire)
【TBSスパークル】1902年5月18日 軍艦三笠をイギリスから譲り受ける(明治35年)
【アーカイブス 一線を越えてしまった兵器】
核爆弾
2024-05-28
カメラに映った核実験トップ10
Hiroshima – Short Film
【原爆】原子爆弾はどのような仕組みで大爆発を起こすのかゼロから解説 原爆 | 太平洋戦争 | 日本史
【核兵器/核爆弾】原子爆弾の仕組みを詳しく解説【ロシアが使いそう・・・】
ビキニ被ばく船員訴訟
2024-07-18
「核のない世界を」有志らがビキニ被ばくの本を出版
ビキニ被ばく船員訴訟について
マーシャルの報告(ビキニ被ばく船員訴訟 原告団長 下本節子さん)
ビキニ被ばく船員訴訟報告
《60年隠された「ビキニ事件」の真相とは》
「ビキニ事件」を知って…!室戸市で被ばく者が当時の状況を語る【高知】 (22/05/09 19:00)
「言葉にできんような腹立ち」水爆実験で被曝した元マグロ漁船員
「核兵器のない世界を」水爆実験で高知のカツオ漁船を含む多くの日本の漁船が被ばく “ビキニ被ばく”伝える展示
ビキニ水爆実験で強制移住
2024-07-18
ビキニ水爆実験で強制移住 除染の島・ロンゲラップ
「戻れない」亡き母に語れなかった真実 ビキニ水爆実験から70年、続く核汚染
ビキニ水爆70年で追悼式 マーシャル諸島、「死の灰」で島民帰還できず
【ビキニ水爆実験から70年】広島の若者が現地で見た被害
ビキニ水爆実験
戦後最初の核実験(ビキニ水着の由来)[4Kカラー化] 1946年
ビキニ事件
2024-07-18
第五福竜丸の内部を公開 水爆実験で被ばく、建造70年
アーカイブ 第五福竜丸の元乗組員 大石又七さんの講演 ビキニ水爆実験に遭遇
【検証】第五福竜丸被ばくはアメリカの人体実験だった?ビキニ事件の真実|ABEMAドキュメンタリー
核の傷痕、戻れぬビキニ 水爆実験から60年
【核兵器・核爆弾】水素爆弾の仕組み 原爆の短所を克服した?【水爆】
【原爆】原子爆弾はどのような仕組みで大爆発を起こすのかゼロから解説 原爆 | 太平洋戦争 | 日本史
【衝撃】史上初の核実験、文明をも滅ぼしうる最強兵器誕生の瞬間
カメラがとらえた核実験 トップ9
カメラに映った核実験トップ10
日本本土爆撃
2024-07-10
東京空襲(日本 サイパン島のB29、本土空襲)
【B-29東京大空襲】映像と解説 / アメリカ軍B-29による日本本土への空襲 - 太平洋戦争 第二次世界大戦
ふるさとを焼き尽くした劫火(ごうか)~徳島大空襲75年~【徳島新聞・YAHOO!ニュース合同企画】
堺大空襲
横浜空襲の跡 記録映像
広島;破壊状況、全体的様子 記録映像
「広島平和記念資料館」原爆投下CG映像 - Hiroshima PeaceMemorial Museum
原爆投下直後の広島•長崎 1945年の貴重な映像をカラー化【太平洋戦争】/ Hiroshima and Nagasaki in 194