アーカイブス in NBA
【野球は巨人という時代がございましたが・・・】
プロ野球で「背番号30」といえば「監督の背番号」と言われた時代がありました。
2024-11-10
facebook 島本文美さん曰く
プロ野球で「背番号30」といえば「監督の背番号」と言われた時代がありました。昭和30年代まではその傾向が強くて、代表的な監督は巨人の水原茂監督、南海の鶴岡一人監督は背番号30でした。
最後に監督として背番号30を背負っていたのは阪急とオリックスで監督を勤めていた上田利治監督で阪急では第一次(昭和49年〜昭和53年)第二次(昭和56年〜昭和63年)とオリックスの初代監督時代(平成元年、2年)に背番号30を背負っていました。
昭和49年度プロ野球日本シリーズ
2024-11-11
facebook 島本文美さん曰く
今から50年前の、昭和49年度プロ野球日本シリーズは巨人のV10を阻止した中日ドラゴンズとパリーグ後期優勝でプレーオフを制したロッテオリオンズとの間で争われました。
結果は4勝2敗でロッテオリオンズが前身の毎日オリオンズが昭和25年に制覇して以来24年ぶりに日本一に輝きました。
当時ロッテオリオンズは、現在の楽天イーグルスの本拠地楽天生命パークである宮城県営球場が本拠地でしたが、宮城県営球場では日本シリーズが開催できる規格に達していたいという理由で開催されず後楽園球場がロッテの開催球場になり、優勝後の祝賀パレードも仙台市で開催されず(東京都内で行ったそうです。)いずれも仙台市が無視される形になってロッテ球団と仙台市民のファンの間に隙間風が吹く事態が起こりました…。その後ロッテは1978年に大洋ホエールズの横浜球場移転で空いた川崎球場に移転し、宮城県営球場にはたまに開催試合を行う程度になりました。
「自分でもびっくり…鳥肌が立ちました」
2024-05-23
筒香嘉智がいま明かすDeNA復帰戦ホームランの真相
メジャーへの挑戦の長い旅に終止符を打ち、5年ぶりに古巣・横浜DeNAベイスターズに帰還した筒香嘉智外野手が、復帰後初のインタビューに答えてくれた。一時は巨人説も流れた中で古巣復帰を決めた背景、あのドラマチックな復帰戦での逆転3ランとバッティングの現状、そして5年ぶりに戻ってきたベイスターズのチームメイト、横浜スタジアムを埋めるファンへの思い――。筒香の「いま」を2回にわたりお届けする。<NumberWebインタビュー全2回の前編/後編へ>