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アーカイブス in NBA

【野球は巨人という時代がございましたが・・・】

・野球界の「親分」。

2025-04-29
facebook 熱血野球ニュース さんより
・監督として23年もの間、南海ホークスを率いて優勝11回、日本一2回、通算勝利数1773勝(歴代1位)、Aクラス22回。
・野球界の「親分」。
・監督として23年もの間、南海ホークスを率いて優勝11回、日本一2回、通算勝利数1773勝(歴代1位)、Aクラス22回。
・「グラウンドにはゼニが落ちている」や「指揮官が悪ければ部隊は絶滅する」といった名言を残す。
・実は選手としては一年目に本塁打王になるなど活躍。
・29歳で選手兼任監督に就任。
・監督20年で一旦退任するが、後任監督が就任直後に亡くなったため、続けて3年契約を結んだ。
通算記録:754試合、790安打、打率.295、61本塁打、467打点
獲得タイトル:本塁打王 1回、打点王 1回
表彰:MVP 3回、ベストナイン 1回

・日本人初のメジャーリーガー。

2025-04-29
facebook 熱血野球ニュースさんより
村上雅則(南海ホークス - サンフランシスコ・ジャイアンツ - 南海ホークス - 阪神タイガース - 日本ハムファイターズ)
村上雅則(南海ホークス - サンフランシスコ・ジャイアンツ - 南海ホークス - 阪神タイガース - 日本ハムファイターズ)
・日本人初のメジャーリーガー。
・1964年に鶴岡一人監督が「若手に経験を積ませる」目的でメジャーのサンフランシスコ・ジャイアンツのスプリングキャンプへ村上と高橋博、田中達彦の3名を送り込む。村上は1Aでリリーフとして49試合11勝7敗、防御率1.78の好成績を残すと、当時ジャイアンツの監督であったアルビン・ダークから「優秀な左投手はいないか」との依頼に推薦されるかたちで、2A・3Aを経ずにメジャー昇格という前代未聞の偉業で日本人初のメジャーリーガーとなる。
・メジャーに昇格した1964年の成績は、9試合1勝0敗1セーブ、防御率1.80であった。
・1965年は、45試合4勝1敗8セーブ、防御率3.75の成績を残す。6月29日にはメジャー初安打を記録。終戦記念日である8月15日には「村上デー」として唯一の先発登板を果たした。

西武ライオンズに管理野球を持ち込み 選手とぶつかりながら快進撃を見せた広岡達朗監督。

2025-04-27
でもいざ優勝してみたら嬉しすぎて 広岡さんを落とすことをみんな忘れてた。
正論パンチで殴ってくる嫌味な監督だったから、当然選手たちも「こんちくしょー」と思いながら戦ってて
「優勝して胴上げの時、みんなで落としてやろう」と示し合わせていたらしい。
でもいざ優勝してみたら嬉しすぎて
広岡さんを落とすことをみんな忘れてた。

1958年(昭和33年)都市対抗野球大会、京都大丸の足立光宏投手です。

2025-04-02
facebook Kazuhiro Takadaさん曰く、阪急の山田久志投手と並ぶサブマリン投手。 阪急ブレーブスの黄金時代を作りました。

足立光宏(阪急)

2025-03-20
facebook 熱血野球ニュースさん曰く
・若いころは速球派、スピードが落ちてからはシンカーを武器に活躍したアンダースロー投手。
・日本シリーズでは巨人戦に強かった「日本シリーズ男」でもある。
・4年目の1962年には広瀬、野村らがクリーンアップに並ぶ南海の強力打線相手に当時の日本記録となる1試合17奪三振を奪い、無四球被安打2の107球で完封勝利を記録する。
・1967年には20勝10敗、防御率1.75の成績で優勝に貢献し、最優秀防御率とMVPを獲得。
・1976、1977年の日本シリーズでは2年連続でシリーズ最優秀投手賞を受賞している。
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