アーカイブス in NBA
【野球は巨人という時代がございましたが・・・】
「自分でもびっくり…鳥肌が立ちました」
2024-05-23
筒香嘉智がいま明かすDeNA復帰戦ホームランの真相
メジャーへの挑戦の長い旅に終止符を打ち、5年ぶりに古巣・横浜DeNAベイスターズに帰還した筒香嘉智外野手が、復帰後初のインタビューに答えてくれた。一時は巨人説も流れた中で古巣復帰を決めた背景、あのドラマチックな復帰戦での逆転3ランとバッティングの現状、そして5年ぶりに戻ってきたベイスターズのチームメイト、横浜スタジアムを埋めるファンへの思い――。筒香の「いま」を2回にわたりお届けする。<NumberWebインタビュー全2回の前編/後編へ>
「バケモンかいな」
2024-05-27
あの江夏豊が絶賛「最後の300勝投手」鈴木啓示とは何者だったのか?
球史に残る大投手の生涯ベストシーズンの成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。沢村栄治、江夏豊、江川卓、山本由伸らに続く第16回は、「最後の300勝投手」鈴木啓示(近鉄)だ。
「成績文句なし」も沢村賞なぜ獲れず?
鈴木啓示は“記録に残る大投手”である。通算317勝は史上4位。通算奪三振3061個も史上4位。通算被本塁打560本と通算無四球試合78試合はともに日本記録。6年連続最多奪三振も江夏豊と並ぶ日本記録。最多奪三振8回はパ・リーグ記録である。
そんな「記録男」の鈴木だが、その年の最高の先発型投手に贈られる「沢村賞」に限っては、一度も手にしていない。沢村賞は、1988年まで選考対象がセ・リーグの投手に限られていたため、1966年から85年にかけて近鉄一筋で活躍した鈴木は対象外だったのだ。
筆者の検証では、仮にパ・リーグの投手も沢村賞の対象だった場合、鈴木は1969年、77年、78年と、3度受賞していた可能性が高い。そのとおり受賞していれば、杉下茂(中日)、金田正一(国鉄他)、村山実(阪神)、斎藤雅樹(巨人)、山本由伸(オリックス)と並ぶ史上最多受賞である。
あの江夏豊が絶賛「最後の300勝投手」鈴木啓示とは何者だったのか?「
1995年5月2日、野茂英雄がメジャー初登板を果たしてから29年が経つ。
2024-05-05
1995年5月2日、野茂英雄がメジャー初登板を果たしてから29年が経つ。ポスティングシステムもない当時、プロ6年目に突入する野茂が1995年も日本でプレーすることは当然と目されていた。
一体、近鉄のラストシーズンに何が起きていたのか。第3回に引き続き、近鉄時代の番記者が1994年12月からスタートした近鉄と野茂との「契約更改交渉」を振り返る――。【連載第4回/初回から読む】
打倒巨人に燃えたライバルたち
2024-05-25
今年、球団創設90周年を迎える読売巨人軍の歴史は、多くのライバルとの戦いで紡がれた物語でもある。「鉄腕」こと、長嶋茂雄と名勝負を演じた村山実、打倒巨人に燃えた星野仙一、データを駆使した「ID野球」で挑んだ野村克也――。阪急(現オリックス)の主力投手として、日本シリーズで4度、巨人と激闘を繰り広げた山田久志さん(75)に当時を振り返ってもらった。