アーカイブス in NBA
【野球は巨人という時代がございましたが・・・】
80歳とか嘘だろ
西武のOB戦が開催…通算2452安打、465安打の土井正博氏が沸かせた
西武のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」が16日、ベルーナドームで行われた。なかでも最もファンを驚かせたのは、近鉄と西武で通算2452安打、465本塁打をマークした土井正博氏。御年80歳ながら112キロを外野に弾き返すライトゴロに、「信じられるか?」との声があがっている。
「3番・指名打者」で先発出場すると、往年と変わらぬフォームで堂々の威圧感。カウント1-1から潮崎哲也氏が投じた112キロをバットで捉えた。美しい流し打ちの打球が右翼手の前に落ちたが、大友進氏がすぐさま一塁に送球。土井氏は全力疾走を見せたがライトゴロに倒れ、まさかの真剣勝負に球場も沸いた。
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【追悼・杉下茂さん】
「フォークボールの神様」の異名があった、中日の元投手で監督も務めた杉下茂さんが、12日に東京都内の病院で間質性肺炎のため亡くなっていたことが分かった。97歳。中日球団が16日に発表した。現役通算215勝、引退後も指導者として後進の育成に尽力し、1985年に野球殿堂入り。そんなレジェンドの巨人投手コーチ時代の教え子で、フォーム改造により大きく飛躍した角盈男氏が、故人を悼んだ。
【追悼・杉下茂さん】球界タブー破って長嶋監督へ直訴! 「サイドスロー角盈男」が生まれた日 (msn.com)
僕の中で杉下さんは「不死身」だと思っていた。最後にお会いしたのは今から5~6年前。江夏豊さんのゴルフコンペでご一緒し、当時でも90歳すぎというのにフルラウンドを元気いっぱいで回っていた姿に驚かされた。「〝お父さん〟みたいな年の取り方をしたいです」と私が言うと、杉下さんは「お~そうかあ~」と笑みを浮かべ、これまでとずっと変わらない口調で返してくれたことを思い出す。だから100歳どころか110歳ぐらいまで長生きされ、僕のほうが逆に早く逝くんじゃないかと思うぐらいにいつも「凛(りん)」とされていた。
恩師の1人だった。巨人時代の1979年シーズン終了後に「地獄の伊東キャンプ」へ参加し、投手コーチだった杉下さんが目を光らせる中、マンツーマンでフォーム改造に励んだ。そこで出された結論が、このころは球界でタブーとされていたサイドスロー。杉下さんは当時の長嶋茂雄監督のところまで直談判に行くと「角を横手投げにさせたいので、何とか了承してもらえませんか」と頼み込み、最終的に「よし分かった。俺が責任を取る」とゴーサインをもらった。杉下さんとの出会いがなければ、その後の僕は間違いなく存在しなかった。
コーチ時代からピッチングに関しても難しいことは一切言わず怒られた記憶はほとんどない。とても穏やかな性格で非常に接しやすく、選手にとっては「癒やし系」の優しい方だった。これは当時の余談だが、食堂などで出された好物のアンパンがなくなってしまうと「俺のアンパン、誰か食ったか?」とたびたび口にし、僕ら選手を笑わせていたことも今となっては懐かしい思い出だ。現役を退いて以降は親しみを込め「お父さん」と呼んでいたように、杉下さんは年齢をいくつ重ねようとも「お父さん以上、お爺ちゃん以下」というイメージがぴったりの方だった。
97歳は確かに大往生ですが、やっぱり訃報を聞いて残念でなりません。杉下さん、どうか安らかに――。合掌。