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アーカイブス in NBA

【野球は巨人という時代がございましたが・・・】

もし40年前にWBCがあったなら...

2024-02-02

2023年の日本はWBC優勝に始まり、バスケのW杯では48年ぶりに自力での五輪出場権を獲得、ラグビーのW杯でも奮闘を見せた。様々な世界大会が行なわれ、スポーツ界は大いなる盛り上がりを見せた。そんななか、スポルティーバではどんな記事が多くの方に読まれたのか。昨年、反響の大きかった人気記事を再公開します(2023年3月20日配信)。

※記事内容は配信日当時のものになります。

 大谷翔平、ダルビッシュ有、さらに侍ジャパン初の日系人選手、ラーズ・ヌートバーらの活躍により、日本中を熱狂の渦に巻き込んでいる第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)。そんな彼らの活躍を見るたびに思うのが、もし昔からWBCがあったならどんな選手が選ばれているのかということだ。そこで、今から40年前の1983年にWBCがあったらと仮定して、独断と偏見で"最強ジャパン"をつくってみた。


「高校生のなかにひとりだけメジャーリーガーがいる」

2024-02-02
2年秋の栃木大会を制し、優勝旗を持って場内一周する江川卓(写真左から2人目)
Shimotsuke Shimbun/Kyodo News Images © Sportiva 提供

連載 怪物・江川卓伝〜衝撃の高校2年生(後編)

 3年生が引退し、先輩たちに変な気を遣っていた江川卓もとうとう最上級生になり、新チームが結成された。高校2年夏の勢いのまま、栃木県秋季大会を危なげなく勝ち進み、翌春のセンバツ大会出場が決まる関東大会に進んだ。

「裏切り者のチームに負けるな」

連載 怪物・江川卓伝〜衝撃の高校2年生(前編)

 甲子園大会が開催されてから108年、地方大会を見ても3試合連続ノーヒット・ノーラン(うち完全試合1)の大記録を達成しているのは、江川卓ただひとりである。1972年夏の栃木県ブロック大会決勝は、「前人未到の4試合連続ノーヒット・ノーランなるか?」に注目が集まっていた。

「江川と小山(高)でバッテリーを組んでいたら、夏の甲子園は優勝でしたよ」

 かつて栃木県ナンバーワン捕手として県下にその名を轟かせ、のちに法政大で江川とチームメイトとなる小山高のキャッチャー・金久保孝治。彼に当時のことを聞くと、第一声がこの言葉だった。

「怪物伝説」の始まり

連載 怪物・江川卓伝〜伝説の始まり(前編)

 プロ野球が誕生しておよそ1世紀、幾多の戦歴を重ね、数々の名投手が誕生した。沢村栄治、スタルヒン、金田正一、稲尾和久、江夏豊......昭和のレジェンドに至っては、スピードガンがなく、映像もほとんど残っていないため、誰が一番速かったのかはもはや永遠のテーマである。

 実際160キロ以上投げていたレジェンドもいたかもしれない。ただ、プロも驚くほどのすごい球を投げていたピッチャーといえば、ひとりしかいないのではないか。とにかくボールが速いのもさることながら「バットに当たらない」と、プロの一流のバッターたちが口々に言うのだ。あの三冠王を3度獲得した落合博満でさえも、悠然とストレートを待っていたがかすりともしなかった

桑田真澄 × 清原和博

2023-12-26
ドラフト戦争の舞台裏!桑田真澄と清原和博の真実に迫る!
清原と桑田 ~18歳の大物ルーキー~

【敬遠四球のドラマ】原を敬遠、まさかの落合勝負…プライドを賭けた勝負の行方は!?

2023-10-16
9回裏、松井を敬遠して清原と勝負した結果
【敬遠四球のドラマ】原辰徳★目の前で連続敬遠される屈辱…怒れ、タツノリ!

「イチローを止めることはできなかった」

2023-12-09
ボビー・バレンタインが明かす、1995年イチローの衝撃「もっと早くメジャーに行くべきだった」
1994年にシーズン200本安打を達成したイチロー。翌シーズンにロッテの監督となったバレンタインはイチローを見て驚愕した
ボビー・バレンタインが明かす、1995年イチローの衝撃「もっと早くメジャーに行くべきだった」

 2005年にロッテを日本一に導いたボビー・バレンタイン監督。最初に指揮を執った1995年はチームを2位に導くも1年のみの“短命”で終わった。その1年でボビーは伊良部秀輝、イチローといった後のメジャーリーガーと出会う。『ボビー・バレンタイン自伝』(東洋館出版社)で語られたその衝撃とは――。(全6回の第5回/#6につづく)
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