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始まりの物語

美味求真【食事】

神戸です。

2024-04-26
大井肉店 博物館明治村
大井肉店 神戸元町

京の食べ物探索【04.鯖寿司とバッテラ】

2023-10-20
facebook 佐々木信雄さん曰く
京都紫野の今宮神社では、毎年5月初めから15日にかけて、「今宮祭」が行われる。紫野御霊会に起源をもち、京都を代表する機業地である西陣の祭礼として発展したもので、近世には祇園祭にも匹敵する盛大な祭りだった。
 子供の頃、今宮神社の氏子区域住む伯母が、毎年の今宮祭の時期になると、料理屋に作らせた「鯖寿司」を持ってきてくれた。竹の皮に包まれ、大きな脂ののった〆め鯖を丸ごと使った豪華な鯖寿司で、大阪のバッテラを始め、各地に鯖を使った寿司はあるようだが、私にとっては、これが唯一無二の鯖寿司だった。
 海から遠く離れた京都の町では、日本海側の福井県若狭地方で水揚げされた真鯖に一塩して、大至急で山を越えて運ばれた高級魚であり、その道筋は「鯖街道」と呼ばれた。鯖寿司は有名な京料理の一つでもあり、古来から京都の家庭では、祭りなどの「ハレ」の日に食されたご馳走であり、まだ冷蔵庫のない時期には、塩と酢でしめた保存食品でもあった。
 一方、同じく鯖を使った大阪のバッテラは、その起源をまったく異にする。明治半ばに大阪の寿司店が、コノシロの片身を開き舟形にしたものを使った寿司を作ったのが、その始まりといわれ、コノシロを開くと尾の方は細いので、飯も片側を尖らせたその姿が小舟に似ていた。このことから、ポルトガル語の 「バテイラ(小舟/ボート)」からバッテラと呼ばれるようになったとされる。その後、コノシロの価格が急騰し、サバを使うようになったのが、今の「バッテラ」なのだとか。
  バッテラは、酢飯に酢締めにした鯖を乗せ、さらに薄く削られた白板昆布を重ねた押し寿司で、鯖の身が足りない部分には、へいだ身を添えるなど、あまりこだわりのない作り方で、庶民の寿司とされている。
 一方、鯖寿司は、酢飯に立派な真鯖の酢締めした半身をのせ、巻き簾や布巾で形を整えたもので、羅臼昆布のような、やわらかい高級昆布で包んだものが多い。バッテラのような枠で押す工程がなく、四角い切り口になるバッテラに対して、鯖寿司の切り口は角のない丸みを帯びた形となる。
 かつては庶民の家でも、祭礼などハレの日のために鯖寿司を作っていたが、その風習も廃れ、祇園の「いづう」や「いづ重」などの高級鯖寿司が、贈答用に用いられることが多くなっている。これじゃ、われわれ庶民は気軽に鯖寿司を食べられない、ということで、安いノルウェー産塩鯖で「焼鯖寿司」を作ってみた。まあ、なんとかなる(笑)
「鯖街道」&「今宮祭」

【帝国ホテル レセゾン】

2024-06-18
【帝国ホテル】伝統のフルコース
【帝国ホテル レセゾン】ワインブックス前場がなんと帝国ホテルに突撃!名門フレンチの魅力を果たして120%引き出せるのか!?

帝国ホテル特製カレー

2024-06-18

Imperial Style ~帝国ホテル定番の人気メニュー~ | レストランプラン | オールデイダイニング パークサイドダイナーレストラン・バーラウンジ | 帝国ホテル 東京 (imperialhotel.co.jp)


帝国ホテルのカレーの歴史は古く、メニューに登場したのは1931年頃。第8代料理長の石渡文治郎がヨーロッパ修行中に“近代フランス料理の父オーギュスト・エスコフィエ”の直弟子として修得しました。カレーソースを裏ごしせず、野菜のつぶつぶ感を残し、素材の旨味と食感を活かしているのが特徴です。

料金
野菜カレー(写真)

3,200円

ビーフカレー

3,200円

【帝国ホテル】初めて一人でカレー食べてみた
【これが憧れのホテルカレー】自宅で再現!帝国ホテルの伝統ビーフカレー【第14代 帝国ホテル東京 料理長 杉本雄】

京の食べ物探索【12.年の暮れ餅つきと正月の雑煮】

2024-02-05
facebook 佐々木信雄さん曰く
 京都の実家での子供時代には、毎年、師走の暮れ30日になると、家族総出で自宅の土間で「餅つき」をすることになっていた。朝早くから家族で準備をし、「おくどさん(カマド/竈)」に「せいろ(蒸篭)」を何段にも積み上げて、もち米を蒸し上げる。
 蒸しあがったセイロの餅米を、木または石の「うす(臼)」の上にひっくり返して、父親や兄が「きね(杵)」でつく。きねの合間に、脇で餅に水をつけたり返したりする役目は「てもと(手許)」と言っただろうか、母親や祖母の担当だが、ベテランでないと手をつかれたりする。たまに子供も餅をつく真似事をさせてもらった。
 つき上げた餅は、基本は小さくちぎって「丸餅」に丸める。「ふね(舟)」と呼ばれる木枠の平べったい長方形の入れ物の上に、片栗粉をひろげて、ちぎったり丸めたりするのは子供や老人の仕事。まれに、ひと臼分は平たく広げた「のしもち」にして、数日後に「角餅」に切る。同じ「のしもち」でも長細く棒状に伸ばして、色粉などで色付けした「のし餅(なまこ餅)」もつくる。これは薄く切って、干して乾燥させて「かきもち」にする。
 最後のひと臼で「鏡餅」をつくる。これはベテランの大人でないと形を作るのが難しい。三段重ねの上に「だいだい(橙/小さめの柑橘類)」を乗せて奥の「床の間」に飾る。餅つきの途中で、ちょいとした腹ごしらえに「おろし餅」を食べるのも楽しみ。つき上げた臼から、つき手が一口大にちぎった餅を、大根おろし醤油の鉢に投げ込んでくれる。熱々の餅を、おろし醤油で冷やしながらパクつく。餡やきな粉でくるむ「おはぎ」もあった。
 さて本題は、丸餅と角餅の分布である。おおむね見当をつけていた通り、西日本は「丸餅」・東日本は「角餅(切り餅)」であった。
 さて年が明け、元旦には「お雑煮」を食べることになる。この雑煮にも、丸餅・角餅の違いに加えて、それを焼いて入れるかそのまま煮込むかの違いがあり、さらには「味噌仕立て」か「すまし仕立て」かの分布がある。その味噌でも、京都では白味噌仕立ての汁で食べるが、場所によっては田舎味噌や赤味噌などもあるかもしれない。
 七日正月には、すまし汁に水菜を入れて、白餅を煮たものを食べた。七草粥の変形なのだろうか。この頃になると、鏡餅を割ってしまわないと固くなってどうしようもなくなる。すでに赤カビ青カビのついたのを削りながら割るのはかなりの力仕事だった。
 京庶民の雑煮はこんなもん。昆布だし白みそに、大根と金時人参煮て、丸餅いれる。
  初雑煮 寝ぼけまなこに 昼すぎて   何爺
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