かもめのページ
それは、ここから始まったのであります。
京都駅発着の特急といえば・・・。
2022-09-19
【貴重】気動車特急かもめ/長崎発・京都行 国鉄時代の懐かしい車内アナウンス
facebook 石川進さん曰く
朝 8:20 博多を発って
鹿児島本線–山陰本線–福知山線–東海道本線 と4つの線を
13時間半かけて巡り
21:51 京都駅に到着した 1002D まつかぜ。
ヘッドライトを減光した キハ82 106 (大ムコ) です。
*485系「かもめ」 国鉄長崎本線・多良〜肥前大浦 1982年(昭和57年)7月頃
2022-06-08
ありがとう「特急かもめ」 長崎へ無事にラストラン
2022-09-24
facebook 西日本新聞meさん曰く
ありがとう「特急かもめ」
長崎へ無事にラストラン
西九州新幹線の開業を受けて、46年にわたり博多-長崎間を駆けた特急「かもめ」はその愛称を譲ることになり、22日夜発の列車で特急としてのラストランを迎えました。
【ドキュメント西九州新幹線開業】
「かもめ」から「かもめ」へ
9/22-23 長崎ー佐賀ー福岡の動きをお伝えしています。⇒
「かもめ」の航跡
2022-09-24
facebook 鉄道博物館さん曰く
「かもめ」の航跡
本日、9月23日、西九州新幹線
武雄温泉~長崎間が開業し
「かもめ」が運行を開始しました
今回、新しく新幹線に仲間入りした「かもめ」の愛称のルーツは今から85年前までさかのぼります。1937年7月1日、東海道本線の特急列車の混雑緩和をはかるため、「富士」「櫻」「燕」に続く東海道第4の特急として東京~神戸間に特急「鷗」が設定されました。しかし直後に日中戦争が勃発、鉄道が戦時輸送体制となって旅客列車が削減されたのに伴い、わずか5年7か月後の1943年2月に「鷗」は廃止されました。
その10年後の1953年3月、「かもめ」の愛称は京都~博多間を結ぶ昼行客車特急として復活、1961年10月の「サンロクトオ」ダイヤ改正では、当時最新の特急用気動車キハ82形に置き換えられ、運転区間も京都~長崎・宮崎へと延長されました(九州側の発着駅は後年、長崎・西鹿児島→長崎・佐世保に変更)。
その後、1975年3月の山陽新幹線博多開業時に「かもめ」は再び姿を消しましたが、翌年7月の長崎・佐世保線の電化完成で小倉・博多~長崎間を結ぶ電車特急として、三たび復活を果たしました。以来46年間、「かもめ」は福岡と長崎を結ぶ特急列車として親しまれ、今日からは新幹線の愛称として新しい時代を迎えることになったのです。
さて、現在スペシャルギャラリーで開催中の鉄道開業150年記念企画展「鉄道の作った日本の旅150年」では、85年前の特急「鷗」の運転初日に食堂車で配布された記念品類、そして運転開始を告知するポスターを展示しています。東海道線の特急列車から新幹線へと羽ばたいていった「かもめ」の航跡をたどる貴重な資料です。ご来館の際は是非ご覧ください。
鉄道開業150年記念企画展「鉄道の作った日本の旅150年」
●期 間
【前期】~10月24日(月)まで
鉄道開業前から1940年代までの旅を紹介
【後期】10月29日(土)~1月30日(月)
1950年代から現代までの旅を紹介