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かもめのページ

それは、ここから始まったのであります。

*485系「かもめ」 国鉄長崎本線・多良〜肥前大浦 1982年(昭和57年)7月頃

2022-06-08
Facebook 山元剛 さん曰く、(色鉛筆描写・完成)
*485系「かもめ・みどり」 国鉄長崎本線・佐賀駅 1976年(昭和51年)7月頃
*485系・かもめ9号長崎行き 国鉄長崎本線・肥前鹿島駅 1984年(昭和59年)7月頃
*485系「かもめ」 国鉄長崎本線・肥前大浦駅 1984年(昭和59年)7月頃
*485系(クロ481)みどり 国鉄佐世保線・武雄温泉〜永尾 1986年(昭和61年)7月頃
*583系(クハネ581)有明 国鉄鹿児島本線・湯之元駅 1981年(昭和56年)頃
(鉛筆描写) *キハ82「かもめ」とC60「さくら」 国鉄長崎本線・肥前七浦駅 1964年(昭和39年)頃

ありがとう「特急かもめ」 長崎へ無事にラストラン

2022-09-24
多くの鉄道ファンらが見守る中、長崎駅に到着する特急「かもめ」の最終列車=23日午前0時17分

facebook 西日本新聞meさん曰く

 

ありがとう「特急かもめ」
長崎へ無事にラストラン
 西九州新幹線の開業を受けて、46年にわたり博多-長崎間を駆けた特急「かもめ」はその愛称を譲ることになり、22日夜発の列車で特急としてのラストランを迎えました。
 新幹線に愛称を譲る特急「かもめ」は、1937年に東海道線で運行を始めた客車特急「鷗(かもめ)」が初代。戦後は九州と本州を結ぶ特急として活躍し、75年に山陽新幹線が博多まで開通すると、76年に博多-長崎間に投入され地域の発展を支えました。22日は沿線に鉄道ファンらが駆け付け、JR九州を代表する特急列車を見送りました。
【ドキュメント西九州新幹線開業】
「かもめ」から「かもめ」へ
9/22-23 長崎ー佐賀ー福岡の動きをお伝えしています。⇒
鉄道ファンらに見送られ、博多駅を出発する長崎行き特急「かもめ」最終便=22日午後10時18分、福岡市博多区

「かもめ」の航跡

2022-09-24
戦前の特急「鷗」 三ノ宮付近 1937年頃

facebook 鉄道博物館さん曰く

「かもめ」の航跡
本日、9月23日、西九州新幹線
武雄温泉~長崎間が開業し
「かもめ」が運行を開始しました
 博多~武雄温泉間は在来線特急「リレーかもめ」が運行され、武雄温泉駅では在来線と新幹線が同一ホーム乗り換えで接続、博多~長崎間は最短1時間20分で結ばれます。
 今回、新しく新幹線に仲間入りした「かもめ」の愛称のルーツは今から85年前までさかのぼります。1937年7月1日、東海道本線の特急列車の混雑緩和をはかるため、「富士」「櫻」「燕」に続く東海道第4の特急として東京~神戸間に特急「鷗」が設定されました。しかし直後に日中戦争が勃発、鉄道が戦時輸送体制となって旅客列車が削減されたのに伴い、わずか5年7か月後の1943年2月に「鷗」は廃止されました。
 その10年後の1953年3月、「かもめ」の愛称は京都~博多間を結ぶ昼行客車特急として復活、1961年10月の「サンロクトオ」ダイヤ改正では、当時最新の特急用気動車キハ82形に置き換えられ、運転区間も京都~長崎・宮崎へと延長されました(九州側の発着駅は後年、長崎・西鹿児島→長崎・佐世保に変更)。
 その後、1975年3月の山陽新幹線博多開業時に「かもめ」は再び姿を消しましたが、翌年7月の長崎・佐世保線の電化完成で小倉・博多~長崎間を結ぶ電車特急として、三たび復活を果たしました。以来46年間、「かもめ」は福岡と長崎を結ぶ特急列車として親しまれ、今日からは新幹線の愛称として新しい時代を迎えることになったのです。
 さて、現在スペシャルギャラリーで開催中の鉄道開業150年記念企画展「鉄道の作った日本の旅150年」では、85年前の特急「鷗」の運転初日に食堂車で配布された記念品類、そして運転開始を告知するポスターを展示しています。東海道線の特急列車から新幹線へと羽ばたいていった「かもめ」の航跡をたどる貴重な資料です。ご来館の際は是非ご覧ください。
鉄道開業150年記念企画展「鉄道の作った日本の旅150年」
●期 間
【前期】~10月24日(月)まで
 鉄道開業前から1940年代までの旅を紹介
【後期】10月29日(土)~1月30日(月)
 1950年代から現代までの旅を紹介
ポスター「7月1日より新設各等特急鷗」 1937年 企画展「鉄道の作った日本の旅150年」で展示中
特急「鷗」運転初日の食堂車の「御献立表」と絵はがき 1937年 企画展「鉄道の作った日本の旅150年」で展示中
C62形蒸気機関車がけん引する特急「かもめ」
京都駅に停車中のキハ82形「かもめ」
485系電車の特急「かもめ」 博多駅 1991年7月

「かもめ」物語

2022-09-22

facebook JTB 時刻表【Official】さん曰く

 


【JTB時刻表100年へ ~時刻表クロニクル~ 】 
9月23日、いよいよ西九州新幹線・武雄温泉―長崎間が開業します。開業に際して、今回は「かもめ」の歴史を振り返ってみます。どうぞ、お楽しみください。 
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第30回 「かもめ」物語
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 いよいよ西九州新幹線・武雄温泉―長崎間が9月23日に開業する。新幹線の列車名は「かもめ」。長崎にはおなじみの名前であり、新幹線開業までは博多―長崎間の列車名であった。しかし「かもめ」の愛称名のルーツは東海道本線、東京―神戸間の特急列車まで遡る。
 「かもめ」は1937(昭和12)年7月、東京―神戸間で、「富士」「櫻」「燕」につづく第4の特急列車「鴎」としてデビューした。戦後、「つばめ」と「はと」が姉妹列車のようにペアで語られることも多く、実際のダイヤも両方が東海道本線の中心列車として君臨していた時代があったが、実は「燕」の次に東海道本線の特急として登場したのは「鴎」なのであった。しかし戦局の悪化とともに1943(昭和18)年2月、臨戦ダイヤ・陸運非常体制の実施により「鴎」は廃止されてしまった。
 戦後もようやく落ち着き、国鉄も復興の軌道に乗り始めていた1953(昭和28)年3月、山陽本線・鹿児島本線の特急として京都―博多間に「かもめ」が新設された。愛称名も漢字からひらがなとなり、親しみやすくなった。なおこの時すでに東海道本線では「つばめ」、「はと」(1950(昭和25)年5月新設)の2本体制ができあがっており、「かもめ」は山陽本線の特急列車復活という使命を担っての登場であった。そして東海道本線を離れ、山陽・九州特急としての運転開始がのちに長崎特急~西九州新幹線へと発展していく布石となったのであった。
 しかしこの「かもめ」は特急の象徴である1等展望車の連結はなく、2等車4両、3等車3両、3等と荷物車の合造車1両、食堂車1両の9両編成であった。山陽本線は東海道本線のような絶対的な旅客数は多くなく、また展望車も新製の話はあったものの、利用客数に多くを見込むことはできず、見送りとなってしまった。
 1961(昭和36)年10月1日、いわゆる「さんろくとお」のダイヤ改正で「かもめ」は気動車化され、運転区間も京都―長崎・宮崎間に延長された。この改正は全国に特急列車網が構築され、「かもめ」もその一環として運転区間が拡大したのである。前年に東北本線の特急「はつかり」(上野―青森)でデビューしたキハ80系気動車がこの改正の立役者となり、非電化区間にも特急の運転拡大が推進された。また正面が貫通型先頭車のキハ82形が新製され、分割併合が容易になり、複数の行先を持つことが可能になった。「かもめ」もキハ82形を含むキハ80系12両で編成され、長崎行、宮崎行ともに6両ずつに分割、それぞれ1等車1両、2等車4両、食堂車1両となった。下りの時刻は京都発800→大阪発835→小倉着1632、(長崎行)小倉発1635→博多着1730→長崎着2005、(宮崎行)小倉発1638→大分着1842→宮崎着2200となり、当時最新鋭の気動車特急でもほぼ一日中走り続けているようなダイヤとなっていた。1965(昭和40)年には西鹿児島(現鹿児島中央)・長崎行に、1968(昭和43)年10月には長崎・佐世保(筑豊本線経由)行と行先の変更はあったものの、「かもめ」は長崎には必ず乗り入れていた。そして1975(昭和50)年3月、山陽新幹線・岡山―博多間延伸開業により「かもめ」は一旦姿を消すことになった。
 1976(昭和51)年7月、長崎本線・佐世保線の全線電化開業に伴い特急列車が新設されることになり、博多(小倉)―長崎間に「かもめ」7往復、同佐世保間には「みどり」6往復が運転を開始した。「かもめ」のうち6往復は途中肥前山口(9月23日から江北)まで「みどり」と併結運転された。また両列車ともエル特急の指定を受けての登場であった。車両は485系電車で、8両(グリーン車1両、普通車7両)が「かもめ」、4両(グリーン車1両、普通車3両)が「みどり」となった。なおこの「みどり」の4両編成は当時全国の特急列車の中では最短であった。今は2両や3両の特急列車も珍しくないが、当時としては異例の短編成の特急列車の登場であり、その後の短編成の特急列車の先駆けともなったのであった。
 以後「かもめ」と「みどり」はそれぞれが単独運転となったり、また併結が復活したり、などの変化を繰り返した。車両面でいえば、1989(平成元)年3月に初めて783系ハイパーサルーンが投入され、翌1990(平成2年)3月には783系の増備により、使用列車には「ハイパーかもめ」の愛称名も付いた。1994(平成6)年3月にはつばめ型787系が投入され、さらに2000(平成12)年3月には、当時「かもめ」専用車両ともいうべき885系(白いかもめ)が投入された。このように専用の新車が投入されるなど「かもめ」は九州内の特急列車として、その中心的存在の一角を担ってきた。また博多―長崎間の所要時間も徐々に短縮していき、ついには最速列車が2時間の壁を破った。また7往復でスタートした列車本数も、最大26往復(2008年3月改正)を数えたが、この年の7月にはJR九州全体でエル特急の呼称が解除され、「かもめ」はエル特急の要件のひとつである「数自慢」が最大になったにもかかわらずエル特急ではなくなったのも皮肉な現象であった。
 新幹線開業前最後の2022(令和4)年3月改正では、「かもめ」は博多―長崎間に22往復が運転され、うち885系が11往復、787系が11往復という陣容であった。博多―長崎間は最速1時間53分(12、16号)、全列車が単独運転となっていた。
 途中1年半ほどブランクはあったものの、1961(昭和36)年10月の改正以降、一歩も長崎の地を離れなかった「かもめ」。連載前回の愛称名の話から言えば、鳥の名前から命名された特急列車王道の愛称名を持ち、長年走っているうちに長崎という地域に根付いた愛称名といえる。急行列車が沿線の地名・山河や旧国名の名称から命名され、はじめから地域に根付いていたのとは逆のプロセスにより長崎のご当地愛称名となった「かもめ」。来るべき西九州新幹線の愛称名としてもしっかりと長崎の地と結びついて発展していくことを期待したいものである。
 最後に前回の問題、昭和43年の愛称名整理でも生き残り、現在も運転中の列車のうち、当時とはまったく異なる区間を運転している列車は?
答えは ①つるぎ でした。
※つるぎは大阪―富山間の夜行準急列車として1961(昭和36)年10月に運転開始。その後ずっと関西~北陸の夜行列車として活躍。1972(昭和47)年3月には大阪―新潟間の寝台特急(ブルートレイン)にまでなったが、1994(平成6)年12月臨時列車格下げののち96年廃止。そして2015(平成27)年3月からは北陸新幹線・富山―金沢間の区間列車として活躍中である。愛称名は北アルプスの剱岳から。
次回は付録(特集)ページあれこれ を配信予定です。
(筆者:JTB時刻表 元・編集長 木村嘉男)

西九州新幹線 N700S『かもめ』

2022-09-11
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