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料理人

美味求真【食事】

夢を現実に「料理の鉄人」

2025-08-06
1995Mr.IronChef決定戦_道場登場
facebook なつかしの昭和平成♡投稿ランド♡
夢を現実に「料理の鉄人」
漫画の世界では「美味しんぼ」や「ミスター味っ子」などで料理対決テーマの作品はあったものの、テレビにそれを持ち込めないか、そして今までの料理番組のパロディにできないか、とのコンセプトで始まったのがご存知「料理の鉄人」です。
キッチンスタジアムは総工費4000万円。番組終了までの総食材費はなんとなんと8億4000万円!
そこに、権威ある料理人ろくさん亭「道場六三郎」四川飯店「陳健一」クイーンアリス「石鍋裕」(後にラ・ロシェル「坂井宏之」)が一流の挑戦者を迎え撃ちます。当初の半年はメイン食材は極秘。しかし料理人の負担を考えて五品の候補を伝えることに。
視聴率は23時という時間帯にもかかわらず最高23%越えという凄さ。「食材」「食感」という言葉もこの番組からひろがったといいます。
挑戦者も周富徳、神田川俊郎、山田宏巳など強者ばかり。特に山田氏は、イタリアンのスターシェフ時代に交通事故を起こしてしまい解雇されていたところを、この番組に出演する事で復活。自分の店を立ち上げて大繁盛店にし、沖縄サミットでの料理人にも選ばれています。
料理の鉄人といえば、やはり道場六三郎でしょう。素材を成仏させる、お品書きを達筆な字で書いて調理を始めることを旨としました。また、なんといっても独特のオーラがあるんです。挑戦者はそのオーラと素材の組み合わせの斬新さにペースを乱されたそうです。
審査員の高田万由子さんが道場氏の料理を評して「梅が利いていない」と言ったところ、道場氏「そんなら梅干しでも食ってやがれ!小娘が!」とやったのをリアルタイムで観ました。喝采したものです。コンプライアンスの無い時代でしたから。
道場氏が「鯛の兜を切れなくなった。潮時だ」といって勇退。後任になだ万「中村孝明」氏がつくものの、せっかくとった出汁を捨ててしまったり、調理法も格好良く見せようとして失敗したり。審査員の評価も予定調和の味といわれたり。やはり中村氏も道場氏の幻影に惑わされていたのかもしれません。
「料理の鉄人」は「道場六三郎」に始まり「道場六三郎」に終わったのだと思います。

中東久人氏

2025-06-16
伝統の「摘草料理」を 進化させる老舗の4代目
自然に囲まれた京奥のお宿 美山荘
美山荘(野草一味庵)【京都府・鞍馬・花背】

フランス料理とシェフ

2025-04-24
#734【お話編】ヌーベルキュイジーヌを目の当たりにしたシェフが語る”フランス料理とエスコフィエ”
#622【お話編】『恩師アラン・シャペル氏からのメッセージ』食材とは?レシピとは?ジャポニゼとは?|

あさイチのレシピ

2023-06-07
【あさイチ】酢豚のレシピ。シンプルだけど本格派!みんなゴハンだよ(6月7日)
酢豚のレシピ。シンプルだけど本格派!みんなゴハンだよ(6月7日)
教えてくれたのは中国料理店 龍圓(りゅうえん)のオーナーシェフ、栖原一之(すはらかずゆき)さん。シンプルだけど味は本格的、中華の定番酢豚レシピです。 
中国料理店 龍圓(りゅうえん)のオーナーシェフ、栖原一之(すはらかずゆき)さん

シェフ

栖原 一之すはら かずゆき

いまはなき名店で出会った味に感動し、迷うことなく中華の世界へ

1964年生まれ、東京都出身。小学生の頃、父に連れられて訪れた今はなき名店【中華第一楼】。そこで出会ったフカヒレスープの衝撃が、その後の道を決定づけることに。21歳から都内の上海料理店で修業を積み、28歳のとき出身地である浅草に【龍圓】を開店。当初は麺主体の店だったが、さまざまなジャンルのシェフとの交流を経て現在の創作中華のスタイルに変遷。創業20年を経て、今なお進化を続けている。


浅草 本格中国料理

龍圓 

あさイチのレシピ
NHKで放送されている『あさイチ』で放送されたレシピ一覧をまとめています。 
あさイチは、一日の始まりにピッタリの爽やかな朝の情報テレビで、生活情報や、社会問題などを、博多華丸大吉さんの軽やかなトークで、時にはユーモアを交え、わかりやすく説明してくれる番組です。
また、「みんな!ゴハンだよ」や「夢の3シェフ競演」、「ハレトケキッチン」など人気のレシピコーナーも多く、料理研究家やプロのシェフの皆さんが、プロの技やアイデア満載の絶品レシピを紹介してくれます。

上野 修 氏

2025-04-24
フレンチでの経験が、今の自分のスタイルを形づくった
浪速割烹 喜川 東心斎橋/心斎橋筋/和食 料理人 上野 修 氏 | ヒトサラ

1961年、大阪生まれ。
今年で50年目の節目を迎える老舗割烹【喜川】の2代目。
19歳で一度は店に入るが、世間を知るためにフレンチの世界へ。
約5年の修業の後、【喜川】へ戻る。
その後は、【喜川】ひと筋、30年。
フレンチの技法を織り交ぜながら、独自の浪速割烹を開花させる。
 
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