時代と女性
時代・社会の中で女性はいかに生きたか・・・。
良原安美さんの「“自分らしい生き方 ”を追求するということ」
神奈川県横浜市出身。明治学院高等学校、立教大学経済学部経済学科卒業。
大学在学中の2015年11月1日、友人の勧めで応募した同年度の『ミス立教大学』に選出されたのを機にセント・フォースにスカウトされ、2016年1月には同事務所に所属した。3月からは日本テレビの『NEWS ZERO』のお天気キャスターに就任し1年間出演していた。さらに『ビッグコミックスピリッツ』2016年39号では、当時同番組の同僚キャスターだった井上清華(現:フジテレビアナウンサー)とともに表紙および巻頭グラビアを担当した。
2018年4月にTBSテレビ入社。同期入社のアナウンサーは宇賀神メグ、小林廣輝(2022年7月31日退社)、田村真子。
同年8月24日、同期と共にTBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』において、公式にメディア初出演した。
TBS江藤愛アナ(TBSテレビの管理職アナウンサー)
入学できます。
卒業です。
厳しいレッスンを終えた39人が巣立ちました。
第111期卒業生総代・光田悠那さん:
「清く正しく美しく」の教えを守り、宝塚を愛してくださる全てのお客さまに舞台から喜びをお届けできる舞台人を目指して精進してまいります。
兵庫県の宝塚音楽学校で卒業式が行われ、39人のタカラジェンヌが誕生しました。
2年間、歌やダンス、礼儀作法など厳しいレッスンを乗り越えた39人は、4月にも初舞台を迎える予定です。
いしだあゆみさん 記録にも記憶にも残る歌手、女優人生
ヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」などで知られる歌手で女優の、いしだあゆみ(本名・石田良子=いしだ・よしこ)さんが11日に甲状腺機能低下症のため都内の病院で死去した。76歳だった。所属事務所が17日、発表した。通夜・葬儀は近親者で行った。お別れの会などの予定はない。「金曜日の妻たちへ」(TBS系)や「北の国から」(フジテレビ系)など多数のドラマにも出演し、幅広い分野で活躍した。
独特の歌声と多彩な演技で、長く芸能界で活躍したいしださんが、天国へ旅立った。
所属事務所は「令和7年3月11日4時48分、甲状腺機能低下症のため、東京都内の病院にて76歳で永眠いたしました」と報告し、「これまでいしだあゆみを応援してくださった皆様に、心より感謝申し上げます」とつづった。関係者によると、いしださんは若い時に肝臓を患い、療養したことはあったが、近年は持病などは見られなかったという。今年に入り体調を崩し、今月になって入院したまま帰らぬ人になったという
長崎出身のいしださんは、60年に大阪で初舞台を踏み、62年に上京。作曲家のいずみたく氏に師事した。68年に発表した筒美京平さん作曲、橋本淳さん作詞のシングル「ブルー・ライト・ヨコハマ」が100万枚超の大ヒット。鼻にかかる声と抑揚を抑えた歌い方で人気を集め、同曲は現在でも横浜市のご当地ソングとして歌い継がれている。翌69年にNHK紅白歌合戦に初出場し、その後も「あなたならどうする」(70年)や「砂漠のような東京で」(71年)などの名曲を歌い、紅白には計10度出場した。
女優業にも活動の幅を広げ、77年の「青春の門 自立篇」で報知映画賞助演女優賞、86年の「火宅の人」では同主演女優賞を受賞した。
その後も話題作に多数出演。特に「北の国から」(81年~)では田中邦衛さん演じる主人公の妻、「金曜日の妻たちへ」(83年)では古谷一行さん演じる夫に不倫される妻を演じ、ともに社会現象になった。遺作は昨年公開の映画「室井慎次 敗れざる者」「室井慎次 生き続ける者」で、柳葉敏郎演じる主人公の故郷・秋田にある商店の店主役を演じた。
私生活では、日本テレビ系ドラマ「祭ばやしが聞こえる」で共演した萩原健一さん(19年死去)と1980年に事実婚したが、84年には離婚。記録にも、記憶にも残る歌手、女優人生だった。
◆自覚症状なく進行か…近大病院内分泌・代謝・糖尿病内科主任教授・前田法一氏
甲状腺機能低下症は甲状腺から出てくる甲状腺ホルモンの分泌が低下する病気。全身倦怠(けんたい)感や、体重の急な増加、手足のむくみ、寒がりになるなどの症状が見られ、高齢の女性に多く見られます。
甲状腺ホルモンの低下により亡くなる場合は、最終的には心不全を引き起こすケースがほとんどですが、一般的にはよほど進行しない限りこの病気で死ぬということはありません。症状が出て、病院を受診し、飲み薬をしっかり飲めばまず死因になることはないため、いしださんの場合は、自覚症状がなく進行していた可能性が考えられます。
【桧山珠美 あれもこれも言わせて】
いしだあゆみが亡くなった。享年76。昨年公開された柳葉敏郎の主演映画「室井慎次 敗れざる者」「室井慎次 生き続ける者」への出演が最後になった。
そういえば、先月放送された「懐かしのNHK紅白歌合戦~第20回」(リマスター版)で1969年に初出場のいしだあゆみが「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌っていた。その姿は大人びていてとても21歳とは思えない。あの頃の日本人は年相応というか、ちゃんと成熟していたのだなあと感心していたところだった。
半世紀以上も前の歌が、今も京急電鉄「横浜」駅の発車メロディーに使われるなどご当地ソングとして愛され続けている。歌の魅力、いしだのあの鼻にかかったような独特の歌声あってこそだ。
俳優としても映画「日本沈没」の令嬢や「青春の門─自立篇」の娼婦カオル、作家・檀一雄をモデルとした「火宅の人」の妻・ヨリ子など意志の強い、凛とした女性がぴったりとハマっていた。マドンナを演じた「男はつらいよ」(29作)の寅さんに迫る寂しげなかがりさんもよかった。
テレビドラマも「七人の孫」や「冬の運動会」「阿修羅のごとく」「氷点」「金曜日の妻たちへ」など挙げればキリがない。とくに社会現象となった「金妻Ⅲ 恋におちて」では親友の夫(古谷一行)を奪うといういかにも主婦に反感を買いそうな役柄だが、いしだが演じることで魅力あるキャラクターとして昇華された。この時の出演者もまた随分と大人に見えた。
「北の国から」では黒板五郎(田中邦衛)の妻・令子を演じた。令子は家を出るが、別れる原因は令子の不倫だった。
その昔、不倫ドラマはよろめきドラマと呼ばれたが、「不倫が似合う」というよりは「よろめかせたい女優」だった。
彼女の毅然とした面を見たのは夫・萩原健一との離婚会見の時。大麻不法所持や人身事故などやらかし屋のショーケンと離婚の際、一人で会見を行い、夫を責めることなく「家庭をおろそかにして主婦失格です」と毅然と話し、男前な一面も見せた。
訃報の翌18日「徹子の部屋」では2011年に出演した際、鎌倉の一軒家から東京の1LDKに引っ越して断捨離、食器は皿1枚、コーヒーカップだけと語った。自分の物はすべて処分しても母親の遺品は全部残しているとも語った。最愛の母親が亡くなった際には「もし(私に)最大のプレゼントをしてくれるなら……お母ちゃんとしゃべりたいです」と涙した。
また、22年に出演した際は夜7時に寝て4時前に起きる、仕事に行く時も移動はすべて地下鉄と大女優とは思えない暮らしぶりも。「74ですし、いつ何があってもおかしくない……やりたいことはやって、いやなことはやらない。そういう生き方をしたい」とキッパリ。
女優としてだけでなく、その生き方もすてきな人だった。
(桧山珠美/コラムニスト)