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人間と戦争

闘諍堅固、人間は闘い続けます・・・

facebook 闘諍堅固のカバー写真

2024-08-01
ベトナム戦争と人
バロン西 in ロサンゼルス五輪 by facebook 田幡 雅人さん
バロン西中佐と愛馬ウラヌスとの金メダル
facebook 闘諍堅固

【戦争と人間】闘いの歴史の中で、人はどう生きたか?

小野田寛郎(おのだ ひろお)という一人の将校だけは、それを受け入れませんでした。

2025-12-20
Facebook Vineさん曰く
1945年8月、日本が降伏を宣言したとき、ほとんどの兵士は武器を置きました。
しかし、小野田寛郎(おのだ ひろお)という一人の将校だけは、それを受け入れませんでした。彼は旧日本陸軍の情報将校としてフィリピン・ルバング島に派遣され、「決して降伏するな、命令があるまで戦え」と指示を受けていたのです。
戦争が終わったことを知らぬまま、小野田はジャングルに潜み、約30年間にわたりゲリラ活動を続けました。敵と信じた現地住民の家畜を盗み、ココナッツやバナナで命をつなぎながら、孤独な「戦い」を続けたのです。
飛行機から投下されたチラシや新聞には「戦争は終わった」と書かれていましたが、彼はそれを敵の欺瞞工作と信じませんでした。仲間たちは次々と降伏し、やがて彼は一人きりになりました。
そして1974年、日本の青年鈴木紀夫が彼を発見。鈴木は日本に戻り、小野田の元上官・谷口義美少佐を連れて再び島へ向かいました。谷口の「任務解除」の言葉を聞いたとき、ようやく小野田は銃と軍刀、そしてまだ使える軍服を差し出し、正式に降伏したのです。
日本に帰還した小野田は、忠誠の象徴であり、過ぎ去った戦争の生き証人として迎えられました。彼の物語は、軍事史の中でも類を見ない「信念と使命感、そして人間の極限的な忍耐」の記録として語り継がれています。

台湾で病死の皇族軍人

2025-12-12
西日本新聞 2025.12.12朝刊

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2025-12-08
佐久市出身の医師=軍医 小池勇助隊長 最期の地 沖縄の壕を整備

魂の早稲田大学校歌【早稲田健児、出陣す】伊東彩のヒストリカ大学

2025-10-12

ナベツネさんの戦争観

2025-08-19
「読売新聞 」2025年8月15日朝刊
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