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約20年ぶりの4気筒スカイライン!! ファン感涙もまさかのベンツ製…なんか違くないか!?!?

2024-06-15
インフィニティバッジを付けたV37スカイライン(2014年~2019年限り)
 R32スカイライン以来20年以上も存在しなかった4気筒エンジン。2014年に復活したものの、日産のエンジンではなくまさかのダイムラー製。4気筒復活は素直に嬉しいニュースだったけど、これじゃない感も……一体このモヤモヤはなに!?!?!? 文:小鮒康一/写真:日産
初代スカイラインは4気筒エンジンで始まった
1957年登場の初代スカイライン

最近はやや元気がないものの、日産を代表する車種のひとつであることは間違いないスカイライン。現在もセダン不人気の中、日産唯一のセダンとして踏ん張っており、欧州のスポーツセダンに肩を並べるポテンシャルを秘めた「400R」や「NISMO」も存在感を放っている。

 そんなスカイラインのアイデンティティとしては6気筒エンジンや丸型4灯のテールランプにGT-Rなど、さまざまな要素が存在しているが、実はあまり知られていないアイデンティティが存在する。それが“4気筒エンジン”だ。

 スカイラインの車名が登場したのは1957年のことで、プリンス自動車の前身である富士精密工業から販売された。搭載されていたエンジンは1484ccの排気量を持つ直列4気筒エンジンで、最高出力は60PSとなっていた。

 現在の水準からすれば小排気量に思えるかもしれないが、当時は1.5Lを超えると5ナンバー枠を超えてしまうこともあり、当時としてはフルサイズの排気量ということになる。

 その後、規格が改められて1900ccのエンジンを搭載する「スカイライン1900」が登場するが、こちらも4気筒であることは変わりなかった。

■GTの名を冠したスカイライン

 そして2代目にフルモデルチェンジを果たしたスカイラインは、1964年5月にGTの名を冠し、6気筒エンジンを搭載したモデルをリリース。

 ここからスカイライン=6気筒というイメージがスタートするワケだが、4気筒エンジンは常にラインナップされ続け、8代目となるR32型までずっと存在し続けたのである。

モデルチェンジいたしました!!

2024-05-18
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篠塚死す!!

2024-03-19
篠塚建次郎さん(2001年撮影) © 日刊スポーツ新聞社

自動車耐久レースのダカール・ラリーで1997年に日本人初の総合優勝を果たした篠塚建次郎(しのづか・けんじろう)さんが18日午前、膵臓(すいぞう)がんのため長野県諏訪市の病院で死去した。75歳だった。東京都出身。葬儀・告別式は家族葬で行い、お別れの会を後日開くという。

71年に三菱自動車に入社し、社員ドライバーに。世界一過酷とされたパリ・ダカール・ラリー(当時)に86年、パジェロで初出場。48歳の時に制するなど17度の出場で14度も完走した。91年には世界ラリー選手権(WRC)のアイボリーコースト・ラリーで日本人初優勝し、翌年2連覇。02年に三菱自動車を退社した。

40歳ごろ山梨移住し、ソーラーカーにも挑戦。70代になってもサハラ砂漠のラリーに参戦するなど生涯現役を貫いた。三菱自動車は「当社のクルマでも沢山の名シーンを残してくださった篠塚氏のご冥福を謹んでお祈り申し上げます」と追悼した。俳優三浦友和の義兄としても知られた。



佐藤琢磨選手、2度目のINDY500優勝!

2021-06-21
佐藤琢磨選手、2度目のINDY500優勝!
2020年のINDY500で自身2度目の優勝を果たした佐藤琢磨選手。レース直後に独占インタビューをすることができました。

岸田内閣総理大臣警護車列

2024-02-25
警視庁警護課が防弾センチュリーと防弾LSで車列を編成し総理を警護!【警護】
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