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政局について

日本の政局について

総崩れです!!

2023-12-11
安倍派の閣僚・党幹部“更迭”案浮上「一掃やむを得ない」(2023年12月10日)

立憲民主党の野田佳彦元首相は22日の衆院予算委員会で、目の前に座る岸田文雄首相をこう皮肉った。

2023-11-23
衆院予算委で質問する立憲民主党の野田佳彦元首相=2023年11月22日午前10時36分、岩下毅撮影 © 朝日新聞社
朝日新聞社 によるストーリーさん曰く
 「岸田屋という飲食店に入った。いろいろメニューが出ている。金額はどれぐらいかなと見たらみんな時価としか書いてない」――。政府が決めた防衛費増額や少子化対策の財源、それを賄うための国民の負担増の道筋が不透明だとして、立憲民主党の野田佳彦元首相は22日の衆院予算委員会で、目の前に座る岸田文雄首相をこう皮肉った。


「ルパンだって三世までだ」 野田元首相が自民の“世襲問題”批判 国会



「総理は三世ですよね?ジュニアに委ねると四世でしょ?ルパンだって三世までですよ。歌舞伎役者じゃないんだから…」と

次々と・・・

2023-11-11
保利耕輔氏(2015年撮影) © 読売新聞

文相や自治相などを歴任した元自民党衆院議員の保利耕輔(ほり・こうすけ)氏が死去したことが10日、わかった。89歳だった。

 1979年衆院選の旧佐賀全県区で初当選し、当選12回を重ねた。2005年には小泉首相が推進した郵政民営化に反発して離党した。その後、復党し、党政調会長などを務めた。

 野党時代の12年には、憲法改正推進本部長として自民党の憲法改正草案の取りまとめを主導した。14年に政界を引退するまで、衆院憲法審査会長を務めるなど、改憲論議の重鎮として存在感を示した。

父・保利茂の死去に伴い、後援会の要請を受けて1979年第35回衆議院議員総選挙佐賀県全県区から自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に佐藤信二畑英次郎麻生太郎岸田文武白川勝彦丹羽雄哉亀井静香吹田愰宮下創平亀井善之船田元など)。1982年衆議院議事進行係を務める。
保利茂

保利 茂(ほり しげる、1901年(明治34年)12月20日1979年(昭和54年)3月4日)は、日本の政治家

衆議院議員(12期)、内閣官房長官(第8代・第33・34代)、衆議院議長(第59代)、労働大臣(第45・46代)、農林大臣(第19代)、自由民主党幹事長(第12代)、自由民主党総務会長(第7代)などを歴任した。

文部大臣自治大臣を務めた衆議院議員の保利耕輔は長男。副総理自民党副総裁を務めた金丸信は保利を師と仰ぎ、一時期、髪型まで真似する程、傾倒したといわれる。
  • 「謀将」と呼ばれ典型的な「密室型」「調整型」政治家であり、裏方に徹した。その時々の政局に関し深い読みを持ち、保守本流の維持をはかった。一方で無欲恬淡とした性格で佐賀県出身者らしい「葉隠」精神の持ち主と評される。
  • 「百術は一誠に如かず」をモットーに政治活動に打ち込んだ。「寝業師」「策士」とも評されたが、晩年は誠実で重厚な人柄が高く評価され、与野党の枠を超えた人望を集めて「名議長」と評された。
苦学力行、新聞記者から政界

何も語らずに、お浄土へ!!

2023-11-10
衆院議院運営委員会の委員長らと面会する細田博之衆院議長。
このときは冒頭撮影の1分間のみ記者団に公開された=2023年1月24日午後2時26分、衆院議長公邸、諫山卓弥撮影 © 朝日新聞社
facebook 朝日新聞社 によるストーリーさん曰く、 細田博之氏が死去 79歳

1944年、松江市生まれ。

東大法学部卒業後に旧通産省(現経済産業省)に入省した。

防衛庁長官や運輸相を歴任した父・吉蔵氏の引退に伴い、90年衆院選で島根全県区から立候補し、初当選した。

 吉蔵氏と同じ清和政策研究会(現安倍派)に所属し、小泉政権時代の2002年に沖縄・北方相として初入閣。

04年には官房長官、麻生政権時の08年には自民党幹事長を務めた。その後、当時の自民党最大派閥であった清和会の会長になり、21年には衆院議長に就任した。

おごり戒め 「国民、鋭く票に表す」

2023-11-07
東京都内で開かれた超党派会合で講演する大島元衆院議長=6日午後 © KYODONEWS

大島理森元衆院議長は6日、東京都内で開かれた超党派会合で講演し「政治家も政党も、おごりを国民が感じた時に鋭く票に表す。絶対に忘れてはいけない」と戒めた。2009年に自民党が野党に転落し、民主党が政権交代を果たした過去を振り返り「画期的で、日本の民主主義にとって大事なことだった」とも語った。
大島理森

「握りの大島」として自民党国会対策委員長を2度務め(2000年12月〜、2007年8月)、通算在任記録は森山裕に抜かれるまで1位。国対委員長時代に築いたパイプにより、野中広務古賀誠清和政策研究会公明党といった党内外の左右のイデオロギーを超えた人脈を持った
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