政局について
日本の政局について
押し合いと落し所
衆院小選挙区の「10増10減」に伴う自民党の候補者調整がようやく決着した。党本部は16日、山口県内の新しい3選挙区の立候補予定者となる支部長を発表した。競合していた新3区は現3区の林芳正外相(62)が立候補することになり、安倍晋三元首相の後継として4月の4区補選で議席を得た吉田真次氏(38)は比例中国ブロックに回ることになった。安倍氏の支援者や「安倍系」の議員の一部には不満がくすぶり、林氏は足元に火種を抱えることになる。
16日午後1時過ぎ、東京の自民党本部の幹事長室。林氏、吉田氏、現1区の高村正大氏(52)、現2区の岸信千世氏(32)の県選出衆院議員の4氏、そして茂木敏充幹事長、森山裕選挙対策委員長ら党幹部が次々と入っていった。
衆院の区割り変更で、4から3に選挙区が減る県内では、議席を独占する自民の4現職のうち1人は小選挙区から出られない。かねての懸案の判断を県連から預けられ、党本部が出した結論が「支部長選任会議」に先立って当事者たちに示された。
森元首相「本当寂しい」 早大雄弁会から70年の付き合い
森喜朗元首相(85)は12日、官房長官や自民党参院議員会長を歴任した青木幹雄氏が死去したことに関し「早大雄弁会から70年近い付き合いで、女房よりも長い関係だ。いい兄貴分だったので本当に寂しい」と悼んだ。
森氏は取材に、時折声を詰まらせながら昨年8月に早大出身の岸田文雄首相と青木氏の会食に同席したことを挙げ「引き合わせることができて良かった」と振り返った。
会食で青木氏は「君の首を狙う者はいない。自分が成し遂げたいことにしっかり取り組みなさい」と首相を激励したという。青木氏と折り合いが悪いとされる茂木敏充氏を幹事長に起用したことへの「手打ち」(関係者)の意味合いもあった。
小渕内閣の官房長官や自民党参院議員会長などを務め、影響力の大きさで「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄(あおき・みきお)氏が、11日午後8時35分、老衰のため、川崎市内の施設で死去した。89歳。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日島根県でお別れの会を行う予定。喪主は、自民党参院議員の長男一彦(かずひこ)氏。
島根県出身。同郷で早大雄弁会の先輩でもあった竹下登元首相の秘書や島根県議を経て、86年参院選で初当選した。当選4回。99年、小渕内閣で官房長官として初入閣。00年4月、小渕恵三首相が脳梗塞で倒れた際には首相臨時代理として対応に当たったが、後継首相を決める過程で自身を含む当時の自民党実力者「5人組」による協議が、「密室政治」と批判された。
旧竹下派の流れをくむ平成研究会(現茂木派)の実力者として、政局観にもたけていた。03年自民党総裁選では小泉純一郎首相の再選阻止に動いた野中広務元幹事長らと対立。自派の参院議員の票をまとめ小泉氏再選に道筋をつけた。体調不良を理由に10年参院選に出馬せず、政界を引退したが、引退後も国会近くに事務所を構え、多くの議員が「青木詣で」を続けた。
爆笑!日本の政治家 発言語録&珍事 傑作集
正念場
萩生田光一先生のことがどうしても気になります。最新号の週刊文春にはさりげなくこんな記事がありました。
『二つの宗教が敵に回り落選危機 “幻想の実力者”萩生田の命運』(6月8日号)
えええ、自民党の政調会長で、安倍派の次期会長候補とすら言われる萩生田先生が落選危機!? 一体どうなっているのだ。ではその前におさらいします。ここ半年ほどの新聞の政治面では萩生田先生の“伸長ぶり”を伝えるものが多かったのです。たとえば昨年末はこんな話題が。
『自民党・萩生田政調会長、防衛増税前に衆院解散必要』(日本経済新聞2022年12月25日)
萩生田氏は増税を決めるなら国民の信を問うべきだとの考えをテレビ番組で語ったのだ。この発言は瞬く間に広まった。なんで総理気分なんだというツッコミも多くあった。翌日に松野博一官房長官は記者会見で「解散権は総理の専権事項であり、私の立場でコメントすることは差し控える」と述べた。解散権が「総理の専権事項」かは議論が必要だが松野官房長官のギョッとする感じが伝わってくる。
ハマのドンについて そのⅡ
「今も港はヤクザが仕切っているのか」…“ハマのドン”藤木幸夫(92)が明かす「ヤクザとバクチとミナト」の“本当の関係” から続く
大物ヤクザとして知られる田岡一雄氏は横浜で藤木幸太郎氏に荷役の仕事を教わっていたことがあったという。二人には知られざる物語が――。
幸太郎の長男で今も横浜のみならず全国の港湾を束ねる藤木幸夫氏(92)を描いた『ハマのドン』より一部抜粋。藤木幸太郎氏が田岡一雄氏にヤクザ引退を持ち掛けた瞬間をお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)
藤木さんの話を聞いていると、政財界のフィクサーとされた児玉誉士夫氏や稲川会の話などが当たり前のごとく出てくる。父親を通したつながりで、戦後の裏面史に登場する人物たちと交差する。
横浜の港湾が背負ってきた時代の背景と経験が、藤木さんの力になっているのは間違いない。ただ、それは自身や港湾への誤解も生む。誤解を解消するために、開けっ広げに話をするのだろう。
先述の神奈川大学の講義を終えて、後日学生と対談した場では、こんな笑い話にしていた。
「政治家の会合で話をした時に帰ろうとしたら、おじいさんが来て、『藤木さん』『はいはい』『あなた本当に藤木さん?』『そうですよ』『あの、横浜の藤木さんて、あなた本当に藤木さん?』……。くどいんだよ、その親父が。ヤクザが来ると思ってたんだ。イメージが、ね。そうしたらこのスマートなインテリジェンスのある人が来たから、向こうはびっくりしちゃってさあ。何遍も聞くんだよ。『横浜の、あんた本当に藤木さん?』。ああ、その時に身の程を知ったね、俺は。横浜ってそう思われてるんだと思ったな」
(松原 文枝/Webオリジナル(外部転載))