政局について
日本の政局について
《岩田明子氏が初めて聞いたエピソード》
ジャーナリスト・岩田明子氏による人気連載「安倍晋三秘録 第6回 金正日・正恩との対決」(「文藝春秋」2023年3月号)の一部を転載します。
「覚悟しておいてほしい」
今から約20年前の2002年9月17日。日が昇り切らず、薄暗さが残る朝5時だというのに、富ヶ谷の安倍晋三邸の前には大勢の記者が詰めかけていた。私もそのうちの一人だった。NHKの政治部記者として安倍番になって、2か月しか経っていない頃だ。
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小泉劇場の5年間 2001~2006
元日本テレビ官邸キャップが語る オフレコ破り
「LGBTQに対する偏見と無理解に基づいたひどい発言だと思います。言語道断であり、とんでもない差別的な発言ですが、一方で、メディアのオフレコ発言への対応は、もう少し考える必要があったのではないかとも思います」
青山氏は長年の永田町取材の経験から、政治家のオフレコ発言の扱いについてこう見解を述べる。
「政治取材において、オフレコ取材は必要不可欠なものです。もちろん、オフレコ破りを絶対にしてはいけないというわけではなく、極端に言えば、命の危険や犯罪に関わることであればオフレコを破らざるを得ません。いずれにしても、ルールを破ってまでも報道する価値があるのか、社会的な意義があるかが最大の焦点になります」
荒井氏の問題発言を最初に報じたのは毎日新聞で、3日午後11時には自社のニュースサイトに記事をアップした。同サイトの検証記事によれば、「現場にいた毎日新聞政治部の記者は、一連の発言を首相官邸キャップを通じて東京本社政治部に報告した。本社編集編成局で協議した結果」、荒井氏の発言を実名で報じることにしたという。そして、「オフレコという取材対象と記者の約束を破ることになるため、毎日新聞は荒井氏に実名で報道する旨を事前に伝えたうえで」掲載したとしている。
青山氏は政治記者として、一連の経緯をどう見たのか。
「オフレコという約束があるのですから、基本的には約束を守らなければならない。しかも、取材現場には毎日新聞だけではなくて、他社の記者もいたわけです。私は10社くらいいたと聞いていますが、他社は、まずはオフレコを守ろうとしたわけです。毎日新聞だけが抜け駆けしたことになり、他社に対する信義則も踏みにじってしまったと思います」
今後は、官邸取材で記者が本音を引き出しにくくなるのでは、という危惧もある。
「少なくとも、当面は官邸で秘書官がオフレコ取材に応じることはないと思われます。オフレコ取材によって官邸の判断の遅れや総理の決断のぶれなど不都合な真実を知ることもある。その機会が失われると、ある意味、国民の知る権利を阻害することにもなるわけです。そのリスクをてんびんにかけて、何をどのように報道すべきか考えるのも政治記者の知恵であり、センスだと思います」
青山氏の日本テレビ時代の官邸取材はのべ10年になるが、政治家や官僚のオフレコ取材は当たり前の日常だったという。オンレコでは聞けない“本音”や“裏側”を探り、決断の背景や問題点、今後の政治の行方を確かめることがオフレコ取材の目的だが、取材した内容の扱いが特に明文化されているわけではない。その根底にあるのは、信義則なのだという。
青山氏は永田町におけるオフレコ取材の実情をこう話す。
「結局、記者会見や会議の頭撮りなど表ではない場所は、すべてオフレコ取材なんです。設定された懇談の場合は『政府筋』などで引用が可能な場合もあれば、『完オフ』となれば、話そのものを引用してはダメだというパターンもあります。夜回り、朝回りは基本的にはオフレコですから、『オンのコメントお願いします』と言わない限りはオフレコです。オフレコ取材ではメモを取ってもダメですし、もちろん録音もできません」
元厚生労働大臣で国際政治学者の舛添要一氏は荒井氏の更迭後、ツイッターで「大臣時代に私は、記者たちに求められて『記者懇』(オフレコ)を開いたが、ルールを破って内容を週刊誌に漏らす記者がいた。給料の安い新聞社の記者でカネ稼ぎのためだった。それ以来、私は記者懇を止めた」とつぶやいた。
この意見に対して、青山氏はこう話す。
「記者は仕事で取材しているので、みんな上司にメモを上げています。だから誰に伝わるかわからないし、デスクが週刊誌に流す可能性だってゼロではない。そのリスクについて荒井氏が『知りませんでした』と言うのだったら、あまりにもナイーブだし、素人すぎる。首相秘書官という立場のある人が、オフレコとはいっても記者に話すにはあまりにも緊張感のない内容だったのは間違いありません」
一方で青山氏は、オフレコ取材の場にいた記者たちの対応にも問題があったのではないか、と語る。
「この発言を聞いたときに、これはオフとはいえ問題になりますよ、とその場で荒井氏にちゃんと言った記者はいたのか。荒井氏と議論したのか。問題だと思ったら『秘書官の考えをもう一度オンレコでお願いします』と言ってもよかった。その場でフンフンと聞いて帰って、上にメモを上げたら、こうなっちゃいましたという経緯だったら、現場の記者も情けないのではないか。私は政治記者になりたてのころ、先輩記者から『知ったことはどこかでは書かなければならない』と繰り返し言われました。今回のように、当日に実名報道するのはルール違反だとしても、たとえば『総理秘書官の一人』とか『総理周辺』というクレジットで書くこともできます。今後LGBTQ問題を記事化するときに、岸田官邸の雰囲気を伝えることはできる。また少し時間が経った後に、回想録的にオフレコ発言を書くこともあります。あのときはオフレコで聞いたけれど、実はこんなやりとりがあったんだよと明らかにすることはよくあることです。いろんな知恵を使って、書くべきことを書くのは、記者がやるべき仕事だと思います。取材対象者との信義を守りながら、そのタイミングとやり方を考えるのが腕の見せ所だということです。ただその考え方ややり方が、メディア一社一社、記者一人一人で異なるのがこの問題の難しいところです」
岸田文雄首相には2人の政務秘書官がいる。岸田首相の息子の翔太郎氏と嶋田隆秘書官。それ以外に事務秘書官が6人おり、荒井氏もその1人だった。翔太郎氏も外遊先で公用車を使って観光していたという疑惑が持ち上がったが、結果的に、岸田首相は息子はかばい、荒井氏を更迭するという判断をした。
青山氏は「霞が関の中では、今回の更迭劇を鼻白んでいる人はいるし、今後、少なからず反発も出ると思う」としたうえで、岸田政権の行く末をこう語る。
「岸田政権は場当たり的な判断が目立ちます。チーム岸田という体制が非常に脆弱(ぜいじゃく)で、あまり緊張感がありません。将来のカレンダーをきちんと描いている秘書官がいない。すべて首相が抱え込んでしまって、調整もしないで判断するから、場当たり的になっているのだと思います。非常に危うく、フラジャイル(壊れやすい)な政権だという印象です。これからもこうした問題が続くのではないかと危惧しています」
(AERA dot.編集部・上田耕司)
岸田文雄首相が更迭した荒井勝喜元首相秘書官は、出身の経済産業省で商務情報政策局長などを歴任し、秘書官として首相の演説のスピーチライターも務めてきた。
荒井氏は横浜市の公立高卒業後、市役所勤務やガソリンスタンドのアルバイトを経て早稲田大を卒業し、通商産業省(現・経産省)に入省した。霞が関では異色の経歴で、省内では将来の事務次官候補とされていた。