支える人
この人(縁の下の力持ち的存在・・・)
ゴジラです。
ゴジラ誕生
(「ゴジラ」誕生)
○11.3 東宝映画「ゴジラ」が封切られる。以後、怪獣モスラ、ラドンなど怪獣映画が一世を風靡する。
この年、米国によるビキニ環礁の核実験と第五福竜丸の被爆という事件があり、そこから着想を得て製作された第1作『ゴジラ』は、“水爆大怪獣映画”というサブタイトルが付けられている(ポスター写真参照)。実際、海底深く住んでいた太古の怪獣が、水爆実験で安住の地から追い出され現れたという設定とされた。
体長50メートルと設定されたゴジラは、東京湾から品川方面に上陸し、新橋から銀座に向かい、銀座和光ビルの時計台や国会議事堂を破壊し、上野、浅草から隅田川に至り、勝鬨橋から東京湾に消えてゆく。精密に作られたミニチュアセットを踏みにじりながら、ゴジラは東京名所めぐりのようなコースをたどる。いまだ東京タワーも新幹線もなく、ゴジラは特徴ある和光ビルや議事堂の建物を毀し、東海道線の電車を食いちぎって暴れた。
数々の「ゴジラ」の制作は、戦後初の特撮怪獣映画で、様々な未経験の困難に遭遇する。欧米では「キングコング」など人形アニメによる特撮が主流だったが、スケジュールの都合で着ぐるみ方式を採るしかなかった。最初のゴジラの着ぐるみは100キロ近い重さで、大部屋役者でスタントも手掛けていた中島春雄が最初のゴジラ俳優に選ばれた。中島は動物園などでゴジラの歩き方を工夫し、のちのテレビ特撮映画「ウルトラQ」や「ウルトラマン」などでも怪獣を演じている。
初代『ゴジラ』は、観客動員数961万人を記録する空前の大ヒットとなった。この成功を受けすぐに続編が準備され、翌1955年第2作『ゴジラの逆襲』が公開された。前回東京で暴れたゴジラは、今回は紀伊水道を遡り大阪に上陸する。そしてゴジラと同時代に生息した凶暴な肉食恐竜「アンギラス」もゴジラを追い、大阪の街を破壊し尽くし大阪城を舞台に世紀の対決を行う。この「怪獣同士の対決」は、以後のゴジラ映画の基本フォーマットとなり、次作ではアメリカからキングコングを迎え『キングコング対ゴジラ』という夢の対決が演じられる。
この『ゴジラの逆襲』は、小学校に入学したばかりの私も観ている。父の友人グループの家族同伴リクレーションの帰り、映画館に直行して観ることになる。真っ暗な館内でのゴジラの迫力で、危うく失禁しそうになった記憶がある。北極海にゴジラを追い込む場面だったと思うが、放射能の火を吐いて暴れくるうゴジラを指さして、防衛隊の誰かが「北極海の氷が融けて海水面が上がり、日本が海中に沈む!」というシーンがあった。数年後、中学校の理科実験で、「コップに浮かべた氷が融けても水面は上がらない」ということを知った。あれは映画用のウソだったのか(笑)
*この年
朝鮮特需による好景気が終わる/電気洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビ(or掃除機)が「三種の神器」となる/ヘップバーン・カット大流行/東映娯楽映画シリーズで中村(萬家)錦之助・東千代之介などのアイドル誕生
【事物】短波放送/パートタイマー/ラジオの深夜放送
【流行語】死の灰/スポンサー/水爆マグロ/ロマンスグレー
【歌】お富さん(春日八郎)/岸壁の母(菊池章子)/原爆許すまじ
【映画】七人の侍(黒沢明)/二十四の瞳(木下恵介)/ローマの休日(米)
【本】伊藤整「女性に関する12章」/三島由紀夫「潮騒」/ローゼンバーグ夫妻「愛は死を越えて」
平安の御代
794(延暦13)年のこの日、桓武天皇が長岡京から山背国葛野郡宇太村の新京に移った。「平安京」と命名されたのは、その年の11月8日でした。
平安遷都1100年を記念して1895(明治28)年に創建された平安神宮の例祭・時代祭はこの日に開催されます。