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支える人

この人(縁の下の力持ち的存在・・・)

ジェットストリーム

2021-01-06
もう一度聴きたい、城達也のジェットストリーム。 目を閉じればミスタロンリーが聞こえてきます。
Facebook町田 仁さんの投稿
遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない 宇宙の営みを告げています。
満天の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に 心を開けば、
煌く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。

デヴィ・スカルノ

2021-01-06
首相官邸の佐藤栄作首相(右)を訪問したデヴィ・スカルノ大統領夫人
首相官邸の佐藤栄作首相(右)を訪問したデヴィ・スカルノ大統領夫人=1966年1月6日、毎日新聞社

司会者

2021-01-05
玉置宏さん
Facebook村上 なおみさんの投稿
今日は玉置宏さんの生まれた日です。昭和の歌番組で活躍された名司会者の1人です。
現在のテレビが、1970~80年代と違うこととして気がつくのは、「レギュラーの歌謡曲番組が減っている」こと、「番組司会をMCと称する司会専業ではない人が担当する」ことです。
その点、玉置宏さんは歌番組司会のプロでした。「一週間のごぶさたでした」というご挨拶が決まり文句で、思い出すのは毎週日曜日の昼に放送された『ロッテ歌のアルバム』(TBS)や、夜放送された『象印スターものまね大合戦』(NET)などです。
玉置宏さんは、神奈川県川崎生まれの川崎育ちで、川崎時代から大洋ホエールズのファンでした。巨人対大洋戦では、裏実況として巨人ファンの毒蝮三太夫さんと楽しい掛け合いを聞かせてくれました。
ところが、東海道かわさき宿交流館という、川崎ゆかりの偉人の実績紹介などを展示する入館無料の施設では、芸能関係は坂本九さんしか紹介されていません。ぜひ玉置宏さんも川崎の文化人としてその名を残していただきたいですね。

TOKYO サミット開催

2021-01-02
ホストは、中曽根康弘首相
鉄の女も参加しました。
Facebook佐々木信雄さんの投稿
【20th Century Chronicle 1986年(s61)】
◎第12回主要先進国首脳会議(東京サミット2)
*1986.5.4/ 第12回主要先進国首脳会議が東京で開催される。(〜5.6)
 第12回先進国首脳会議(東京サミット2)は、1986(s61)年5月4日から6日まで、日本の東京赤坂の迎賓館で開催された。これが日本で2回目で、同じ東京でのサミットであった。ホスト国の中曽根康弘首相は、就任当初の田中角栄の影響も払拭し、保守政治と新自由主義的経済政策で安定した政権運営をしていた。レーガン米大統領とロン・ヤスと呼び合う親密な関係や、同じく英サッチャー首相とも保守的自由主義を認めあう良好な関係を結び、世界を代表する首脳たちと対等に語り合う関係を演出した。
 下記一覧にみるように豪華な顔ぶれであったが、世界的に重要な議題は比較的少なかった。前年のプラザ合意により日米の経済摩擦も一段落し、日米英など首脳による新自由主義的経済改革も軌道に乗りつつあり、各国の課題であったインフレも抑制されつつあった。東西冷戦の当の相手ソ連は、アフガニスタン侵攻以降の硬直化で疲弊し、やがてゴルバチョフが登場しグラスノスチ(情報公開)が始まると、その経済的破綻状態が明白になってくる時期であった。
 やがてやってくる東側陣営の崩壊前夜であり、リビアなどによる国際テロリズム批判の声明や、ソ連にチェルノブイリ事故の情報公開を求める声明をだして、西側諸国の結束を訴える「東京宣言」によって終幕した。しかしプラザ合意による円高容認は、のちのバブル経済の先駆けでもあった。
「参加首脳」 中曽根康弘(議長・日本国内閣総理大臣)/フランソワ・ミッテラン(フランス共和国大統領)/ロナルド・レーガン(アメリカ合衆国大統領)/マーガレット・サッチャー(イギリス首相)/ヘルムート・コール(西ドイツ首相)/ベッティーノ・クラクシ(イタリア首相)/ブライアン・マルルーニー(カナダ首相)/ジャック・ドロール(欧州委員会委員長)
(この年の出来事)
*1986.1.28/ スペースシャトル・チャレンジャー号が、打ち上げ27秒後に爆発、乗組員7人全員が死亡する。
*1986.4.8/ アイドル歌手岡田有希子(18)が、所属事務所の本社ビルの屋上から飛び降り自殺する。以後、少年少女の自殺があいつぎ、2週間で20人余が死亡する。
*1986.4.11/ ハレー彗星が76年ぶりに地球に接近する。
*1986.11.15/ 三井物産の若王子信行マニラ支店長が、マニラ市郊外で誘拐される。

父親の存在

2020-12-26
植木徹誠という生き方
Syoukyou Odakeの投稿


12月25日 中国新聞「天風録」に植木徹誠が登場。彼の反戦をとなえ平等を求めた生涯に触れた文ものに。因みに1926年12月25日が息子・植木等が生まれた日であることははじめてしった。
大東仁さんの本によれば植木徹誠は戦後・
60年安保の時、僧衣でデモの先頭を歩いていたと書かれている。また植木徹誠の僧籍がいつなくなったのかはわからないとも。

植木等さん、お父さんの徹誠さんも出てくる戦前の戦争反対を描く映画『明日へ』をご覧ください! : 市原市に憲法と地方自治を活かす会 (livedoor.jp)
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