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兵器・武器

闘いの転機(戦いの前と後)

◎出口なお/大本教開教

2021-03-08
出口なお
御筆先
"なお"の娘婿「出口王仁三郎
不敬罪」や「治安維持法」の適用で、徹底的な大弾圧を受けて壊滅された。教団聖地を瓦礫の山
Facebook佐々木信雄さん曰く
【19th Century Chronicle 1892年(m25)】-1
◎出口なお/大本教開教
*1892.2.3/ 京都綾部で、「出口なお」が大本教を開教する。
 「大本教」は、1892(明25)年に、教祖「出口なお」が神懸りして京都府綾部で開教し、"なお"の娘婿「出口王仁三郎」が教理を体系化した。世の立てかえ・立て直しを唱え、理想世界「みろくの世」の実現を説いた。一般には「大本教」と呼称されるが、本来は“教”を付けず「大本」とされる。大本の発祥の地、京都綾部市には「梅松苑(大本本部 綾部祭祀センター)」が設置され、同じく亀岡市の亀山城址には「天恩郷(大本本部 亀岡宣教センター)」が置かれ、二大聖地とされている。
 1892(明25)年2月3日、56歳の出口なおに「艮(うしとら)の金神」と名乗る神が憑る。このなおに帰神した艮の金神こそ、この世界を創造した国常立尊であるとされ、この日を開教の日と定めた。1898(明31)年、出口なおと出口王仁三郎が出会い、教団組織を作ることになる。王仁三郎は、出口なおの娘婿として養子となり、教団を理論化組織化し、やがて戦前の日本において、有数の巨大教団へと発展する。
 大本では大天主太神(おおもとすめおおみかみ)を祀り、これがすべて宇宙の根源であり、一切を統一する大神であるとする。この神は、古事記では天之御中主大神と称せられ、他宗教では阿弥陀如来、ゴッド、アラーなどと呼ばれているものと同じ神であるとされた。
 当初、神懸りした"なお"の奇行に、周囲は狐狸が憑いたなどとして奇異の目で眺めたが、そのうち誤解で座敷牢に閉じ込められたとき、突然、文盲のはずの"なお"が、神の言葉を綴り始めた。これが後年「御筆先(おふでさき)」と呼ばれるようになり、"なお"は仮名で、何枚もの自動書記による終末論的黙示録風の御筆先を書き続けた。
 宗教性に没頭する出口なおに対して、神道の知識が深く合理的な出口王仁三郎は対照的な性格で、両人は深く結びつくとともに対立も生じた。王仁三郎が一旦綾部を離れることもあったが、再び復帰すると、教団経営は王仁三郎にまかされ、"なお"は神事や御筆先に専念して、信者は大幅に増加した。
 1918(大7)年11月5日、"なお"が世を去ると、王仁三郎は"なお"のお筆先を編集した「大本神諭」をまとめ上げ、自身の口述した「霊界物語」とともに二大教典として、教義を確立し信者に浸透させた。"なお"の神の啓示に基づいた終末論・社会批判・黙示録的予言は、一種の革命思想的性格を持ち、広まるにしたがって、軍国主義を推進する政府当局に警戒されるようになる。
 1921(大10)年と1935(昭10)年の2度にわたって、大本教は「不敬罪」や「治安維持法」の適用で、徹底的な大弾圧を受けて壊滅された。教団聖地を瓦礫の山となし、1,000名もの信徒を検挙し、キリスト教異端審問にも例えられる拷問を加えたヒステリックな弾圧は、未だその本質は解明されていない。
(この年の出来事)
*1892.2.15/ 第2回臨時衆議院議員選挙が行われる。政府による大干渉にもかかわらず、民党の勝利に終わる。
*1892.6.4/ 琵琶湖疎水を利用した、京都市営蹴上発電所が開業する。
*1892.8.8/ 第2次伊藤内閣が発足する。閣僚に山県有朋、黒田清隆、井上馨、大山巌らの元勲が連なり、「元勲内閣」と呼ばれる。
*1892.11.30/ 軍艦千島が、愛媛県沖でイギリス船と衝突・沈没し、乗組員74名が死亡する。

日本帝国海軍の亡霊 否!

2021-03-07
FacebookKanta Okuさん曰く 日本のアニメと特撮を代表する 人類最後の希望‼️
帝国海軍戦艦 大和 から 宇宙戦艦ヤマト & 海底軍艦 轟天

上皇陛下の青春時代

2021-03-06
英語を学ぶ(15歳ごろ)
Facebook永井由紀夫さ曰く
家庭教師だったヴァイニング夫人(右、故人)から英語を学ぶ陛下。
ヴァイニング夫人の教育姿勢は「人間はみんな平等」というものだった。
学習院中等科での授業の際は、陛下のことを「ジミー」というニックネームで呼んでいたという
=1948年12月、東京・小金井の東宮御仮寓所

航空機エンジンについての日米比較

2021-03-01
Facebook黒木昭弘さんより



日本戦闘機の空冷エンジンと米海軍のエンジンの比較表を作ってみました。誉の設計がひどく無理をしている気がする。
日本の栄エンジンはP&Wのツイン・ワスプのパクリとよく言われます。だからアメリカ人の一部はゼロ戦はアメリカ製エンジンを積んでいたと誤解する人がいるくらい。
両エンジンを比較するとツイン・ワスプがボアとストロークが同じスクエアーエンジンなのに対して、栄はボアを縮小してストロークを伸ばしたロングストロークエンジンになっている。なんでだろうか不思議。これによって直径が7㎝程小さくなっているがその為か?ただしこの程度では大した違いはなく、戦後復元されたゼロ戦の一部にツイン・ワスプが積まれている。(もちろん専用のカウリングを作成していますが)
さてこれらの14気筒エンジンを18気筒に拡大して2000馬力級のエンジンを開発するのは日米とも同じ。
ただしダブル・ワスプがボア、ストロークとも拡大して一気筒当たりの排気量を増やすとともに18気筒化したので排気量は50%も増やしているのに、誉はボア、ストロークも同じまま、18気筒化しただけなので排気量は28%しか増えていない。
排気量当たりの出力はツインワスプと栄ではツインワスプの方が良い(この辺はパクった側の日本の技術の差か?)のに対してダブル・ワスプと誉では排気量当たりの出力は誉の方が15%も高くなる逆転現象が。
誉の開発は困難が多く、時間がかかったと言われるがこの数字を見ると当然のような気がする。2000馬力エンジンを作るならアメリカと同じように排気量を思い切って大きくすればよいのにこんな無理な設計は。
推察でしかないが、直径をなるべく小さくすることにこだわった結果かもしれない。空冷エンジンで多少直径が増えても空気抵抗はそんなに変わらないはずなのに。

日本人伯剌西爾移民110周年の日

2021-02-25
Facebook60 Anos Missão Higashi Honganji - 真宗大谷派(東本願寺)南米開教60周年より 
2018年6月19日
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