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時機相応

時機相応について  時代の中で、この人は、どう生きたか?

島崎藤村 & 樋口一葉

2020-08-24
◎文芸雑誌「文学界」創刊
*1893.1.31/ 文芸雑誌「文学界」が創刊される。
 文芸雑誌「文学界」は、1893(明26)年1月に創刊され、1898(明31)年までに58冊発行された。キリスト教的ヒューマニズムから女性の啓蒙に取り組む巌本善治が「女学雑誌」を主宰しており、そこに寄稿していた若手らが、西欧ロマン主義の影響下に分離独立して「文学界」を刊行することになった。
 「文学界」同人は、尾崎紅葉の硯友社派、坪内逍遙の早稲田派、森鴎外の千駄木派、幸田露伴の根岸派などとは馴染めない若手たちが集り、日本で最初の「ロマン主義文学」の産声をあげる。星野天知が編集を担当し、島崎藤村(21歳)・馬場孤蝶(24歳)・上田敏(19歳)・北村透谷(25歳)・樋口一葉(21歳)など若手の作家が集った。

坂本九

2020-08-24
ニキビ面にハイトーン

いとだあゆみ

2020-08-22
sao Wakayama· "あなたならどうする" by いしだあゆみ 今夜もあゆみさん

風吹ジュン

2020-08-21
Facebook金川守 · 風吹ジュンさんキュートですね✨

岡倉天心

2020-09-02
さて、今日9月2日は岡倉天心の没した日。
命日にあたる天心忌です。
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【岡倉天心(おかくら てんしん)とは】
岡倉天心(1863~1912)は明治時代のはじめ、フェノロサに師事し、のちに東京美術学校(現 東京藝術大学)の初代校長となった人物です。彼は米国ボストン美術館の東洋部部長も勤めるなど、西洋の美術にも深い造詣がありましたが、あくまで東洋の心を忘れず『東洋の理想』『日本の目覚め』『茶の本』などを著しました。大正正2年(1913)歿、50才。
岡倉天心は、 明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)でどんどん壊されていた仏像を救うためにフェノロサと共に奔走しました。そして、その修復にも取り組みました。当時文部官僚だった天心は21万点と言われる膨大な数の仏像を調査したと言われています。
先日、8月29日に文化財保護法について書いたときに、 国宝がない都道府県は、徳島県、宮崎県の2県となっているとご紹介しました。こういう文化財も廃仏毀釈によって、失われている可能性があります。
現在、京都、奈良にたくさんの文化財が残っているのも、岡倉天心の力によるところが大きいと言えるでしょう。
天心が残した言葉です。
「 昔から日本には、外国からの思想が殺到してきたが、日本人は伝統を尊重し、みずからの個性を大切にしてきた。 我々は、今後もさらに西欧化していこうとしているが、世界から尊敬を得るには、我々自身の理想に忠実であることを忘れてはならない。 」
国際化が益々進む現代においては積極的に異文化を理解しようとする必要もあろうかと思います。また、そうする事で新しい世界が開けていくものだと思います。しかし、そんな時代だからこそ、自らのルーツというものも大切に守っていきたいものですね。
この岡倉天心の像が、京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)にあります。 この像は天心に傾倒していた平櫛田中(ひらくし でんちゅう)( 1872~1979)という彫刻家が1975年に制作した金箔のブロンズ像です。
こちらの旧京都造形芸術大学は今年度からその名称を京都芸術大学に名称変更をしました。そのことで、波紋が広がりました。京都には京都市立芸術大学があり、京都芸大と略されて呼ばれていました。そういえば、東京芸術大学は国立、大阪芸術大学は私立ですね。
この大学名の名称変更に関して、京都市立芸術大学が使用差止めの訴訟を起こしていましたが、先月下旬に
判決が言い渡され、京都市立芸術大学の敗訴となり、
京都造形芸術大学の名称変更は法的に認められて京都芸術大学となりました。
京都新聞の訴訟の記事です。
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