時機相応
時機相応について 時代の中で、この人は、どう生きたか?
ビクトリア女王
笠置シズ子
道元
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F.サガン と ビュフェ
「フランソワーズ・サガン」は、18歳で出版された『悲しみよ こんにちは』で文壇に登場し、以後、プチブル階級の男女の複雑関係を描き続けた。若年での成功で、パリ、サン=ジェルマン=デ=プレで文学者ら名士らと交遊したが、当然悪い取り巻きも集まり、ドラッグ・アルコール・ギャンブル、バイセクなどゴシップクイーンとしても名を馳せた。晩年は経済破綻と薬物中毒に悩まされつつ、69歳で死去。
「わたしが大嫌いなものはお金で買うことのできるものではなく、お金によって作られる人間関係やお金が大部分のフランス人に課している生活態度なのです」――プチブルに生まれ、プチブルから一歩も出ようとせず、プチブルの裏表世界を知り尽くした彼女の言葉であった。
「悲しみよこんにちは」を読んで18歳の少女の才能に驚いた私は、さらに『ブラームスはお好き』を読んだ。新潮文庫版のカバーは、当時ブームだったベルナール・ビュフェのリトグラフがデザインされていた。「ブラームスはお好き」は、イヴ・モンタン&イングリッド・バーグマン主演で『さよならをもう一度』(1961)として映画化されたようだ。
http://blog.goo.ne.jp/wa…/e/7d3e55ca4f4b9fca99497a57a235f268
「ベルナール・ビュフェ」は、パリで権威のある新人賞・批評家賞を受賞、若くして天才画家として有名になった。鋭く直截的な輪郭線、モノトーンに近い明瞭な色彩で、無機質で機能的な都会生活での不安や苛立ちを表象した。日本でもバブル期、大企業のオフィスに最適な絵画として、リトグラフ作品がよく掲げられていた。
ビュフェは、あまりにも早い時期に名声を得すぎたため、さらに、その素人にも分かりやすい画風のせいで、後年の作品ではマンネリ化が指摘され、飽きられていった。孤独にさいなまれる中で、パーキンソン病をも患い、71歳で自らの命を絶つ。