駅の物語
駅の物語
有楽町
2022-07-29
昨日、有楽町のJTBに用事があり、待ち時間にネットで今居る場所の古写真を検索していましたら、米国人鉄道写真家のJ.W.ヒギンズ氏が、未だ当時日本では珍しかったカラーフイルムで撮影したという写真を見つけました。有楽町の日本交通公社付近の他にも、上野広小路、銀座4丁目交差点、日本橋など昭和30年代初頭の都心の風景を総天然色で見ることが出来ます。
現在、有楽町マリオンのある場所には、旧・日本劇場(日劇)の建物が見えます。JTBの位置は変わっていませんね。丁度、高架上を当時"青大将"の愛称で親しまれた、東京↔︎大阪を7時間30分で結んだ、特急「つばめ」(または「はと」?)が通りかかった瞬間を捉えています
。日本橋には、未だ首都高速の高架はありません。
。日本橋には、未だ首都高速の高架はありません。
特急~はと&つばめ~
つばめを動かすひとたち 日映科学映画製作所1954年製作
何かの間違い⁈
2022-02-15
黄色い山手線⁈
何かの間違い⁈
何かの間違い⁈
それがホントにいたんです。
黄色い山手線電車101系って。
私が物心ついた頃はこの黄色い101系は総武線千葉行きになってました。
最初にオレンジバーミリオン、
つまりスパゲッティナポリタン色の101系電車は1957年に作られて、
中央線に導入されました。
つまりスパゲッティナポリタン色の101系電車は1957年に作られて、
中央線に導入されました。
それまでの電車はチョコレート色でオンボロだったから、
通勤電車革命になった訳です。
通勤電車革命になった訳です。
その次に黄色い101系を作って導入したのが山手線。
何故黄色?
何故黄色?
目立つから。
そのあと改良型の103系が作られて、色が黄緑色になりました。
その理由は新車だってすぐに判るように!
その理由は新車だってすぐに判るように!
新車だと判るように黄緑色の電車を投入し、
黄色いのを総武線に持って行って、チョコレート色の電車と置き換えた。
黄色いのを総武線に持って行って、チョコレート色の電車と置き換えた。
この行為が国電カラー化の引き金になって、
後々京浜東北線は水色、常磐線はエメラルドグリーン……と
ラインカラーが次々と決まっていったのでした。
後々京浜東北線は水色、常磐線はエメラルドグリーン……と
ラインカラーが次々と決まっていったのでした。
特急しおじ大阪駅。既に181系は使われていない時代でしたかね。1974/12/25撮影
2021-07-20
しおじ〔SHIOJI〕EC特急 L特急 2011年9月20日更新
山陽路を代表すた昼行特急。しおじは、1964年10月の東海道新幹線開業により、新大阪から山陽路への連絡特急として誕生、運転区間は新大阪~広島・下関で、東海道本線を追われた電車特急群が山陽路で再編成された中のひとつです。車両は当初、こだま型151系が使用され、在来線電車特急が主役であった時代の姿をそのまま引継ぎ、東海道、山陽本線の黄金時代を継承する特急でした。
写真は、登場した頃のしおじです。TAKEMASU様が撮影された貴重な写真を掲載しています。先頭車は大窓で、区分室があるパーラーカー、クロ151(181)です。この先頭車クロ151(181)は、九州乗り入れの工事が行われた後の姿で、スカートにジャンパー栓用の穴が開けられています。このスカートの形から、クロ151(181)-9と思われます。151系は161系との形式統合により1965年~1966年に181系に形式が変更されています。