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駅の物語

駅の物語

東海道新幹線開業直前! 米原のドキュメンタリー 鉄道映画 【 駅 】

2023-01-31
昭和38年の米原駅を記録したドキュメンタリー映画です。

ターミナルの発達~山手線のあゆみ5

2021-12-14
Facebook 鉄道博物館さん曰く
ターミナルの発達~山手線のあゆみ5
数多くのターミナル駅が
所在することも
山手線の大きな特徴です
 山手線が環状運転を始めた大正末から昭和初期は、新宿、渋谷、池袋がターミナル駅として発展を見せ始めていました。それまでの東京の繁華街は銀座、日本橋、浅草といった江戸以来の市街地にありましたが、東京の都市規模の拡大に呼応して、山手線西側の各駅が新たなターミナルとして台頭するようになります。
 明治末から大正、昭和初期にかけて、東京の市街化の進展に応じて数多くの郊外私鉄が開業していきますが、それら各線は山手線各駅を起点としました。いずれの路線も計画時には山手線内への乗り入れをめざしていましたが、当時、市内各所に路線網を張り巡らせていた東京市電を運営する東京市(東京市電気局、のち東京都交通局)は、自らのテリトリー内に私鉄が乗り入れることに強く反対し、各社はやむなく山手線駅を起点として郊外へと路線を建設することになります。この結果、各私鉄路線の乗客は山手線駅に到着すると、同線や市内各所へ向かう市電や地下鉄へと乗り換えるようになり、これによって各駅の乗降客数が増加することになりました。
 なかでも多数の郊外私鉄路線が乗り入れ、山手線や中央線、市電各系統と接続した新宿、渋谷、池袋は乗降客数が急増し、東京や上野、新橋を差し置いて東京でも有数のターミナル駅へと急成長を遂げていきます。戦後になると、自動車交通の急発展により市電改め東京都電は廃止されますが、それに代わる地下鉄各線が建設されるようになり、乗降客数はさらに増加することになります。
 これらターミナル駅周辺では、多数の乗り換え客や買い物客が立ち寄るための商業施設が次々に誕生していきます。消費の殿堂ともいえる百貨店、外食習慣の普及によって広く一般に利用されるようになった飲食店、都市のたまり場として親しまれた喫茶店やカフェ、酒場、庶民の娯楽の中心であった映画館、劇場、寄席などのさまざまな施設が駅周辺に生まれ、繁華街が形成されていったのです。
 加えてこの時期は、1923(大正12)年9月に発生した関東大震災を契機とした東京郊外、なかでも西郊の市街化が進展し、サラリーマンや学生、主婦層といったいわゆる新中間層が台頭した時期にあたっており、彼らは都心部の勤め先や高等教育機関に通勤・通学し、その家庭を預かる主婦はターミナルへと買い物に出向くなど、これまでにない新しいライフスタイルを実践するようになりました。彼らにとっては浅草や日本橋といった旧来の繁華街は魅力に乏しく、新宿、渋谷、池袋といった新興の繁華街は、彼らのような都市生活者に支持されるモダンな盛り場として発展していくことになります。
 このように、山手線駅のターミナル化は東京の都市構造の変化や、社会的階層構成の変質を如実に反映しており、こうした山手線をはじめとする新しい交通機関の発展が、東京という大都市の社会構造の変化を促していったともいえるでしょう。
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新宿駅前通り(青梅街道)沿いには、三越、伊勢丹、ほていやなどの百貨店やフルーツパーラーの高野、インドカリーの中村屋といった飲食店、数多くの映画館や劇場、カフェなどが並び、山の手一の繁華街を形成していた
新宿駅前通り 1931年
東京市電は山手線をくぐり西側口駅前まで乗り入れていた。渋谷には玉川電気鉄道、東横電鉄、帝都電鉄が乗り入れ、さらに1938年には都心部へ向かう地下鉄・東京高速鉄道も開業する
渋谷駅前 1931年
新宿、渋谷より開業が20年近く遅かった池袋だが、その後の発展は急で大正期には武蔵野鉄道、東上鉄道が相次いで開業し、1939年には東京市電も乗り入れて利便性が向上した
池袋駅前通り 1931年

1903年に開業した池袋駅 開業は遅かったものの 以後は大発展を見せます

2021-10-25
Facebook 鉄道博物館さん曰く、
池袋駅平面図
1915年

開業から12年後の同駅の構内配線図。駅本屋(A)と2本のホームの位置は開業時と変わらないが、その上下(東西)に多数の貨物用の側線が設けられており、開業からわずか10年余りで駅の規模が大きく拡張されていることが分かる
池袋になれたかもしれない!?目白、板橋~山手線トリビア4
1903年に開業した池袋駅
開業は遅かったものの
以後は大発展を見せます
 現在JR東日本の駅の中でも乗車人員トップを争う新宿、渋谷、池袋のうち、新宿、渋谷は日本鉄道品川線が開業した1885(明治18)年に開業しましたが、池袋はそれより20年近く遅い1903(同36)年の開業です。池袋の近隣では目白、板橋が品川線開業と同年に開業しており、目白は清戸道、板橋は中山道と江戸時代以来の街道との交差部付近に設けられていました。こうしたいきさつから、駅としての出発は目白、板橋の方が先行しており、池袋は後発だったことになります。
 しかし今では、乗車人員からみると池袋が両駅を大きく引き離しており、この違いはどうして発生したのでしょうか。豊島線の建設に当たっては目白分岐が有力でしたが、計画を進めるうちに広大な用地を確保できる池袋が選ばれました。また、この段階では分岐点に板橋が選ばれる可能性もあったはずですが、さすがに田端に向かうには遠回りとなるためか、退けられたようです。
 こうして品川線と豊島線の分岐点に池袋が選ばれ、それに合わせて駅が設けられました。その後1914(大正3)年に東上鉄道(現・東武東上線)が、翌年には武蔵野鉄道(現・西武池袋線)が池袋を起点として開業し、これによって池袋のターミナル化が始まり、乗降客が増加していくことになりました。これに対して目白は今にいたるまで他線の接続はなく、板橋も戦前に東京市電が通り、戦後ようやく都営地下鉄6号線(現・三田線)が接続するようになったのみで、池袋のような多数の路線が乗り入れるターミナルとはなりませんでした。
 池袋は山手線の駅としては後発で、開業時は目白、板橋と規模的には大きな差のない駅でしたが、当初より品川線・豊島線の分岐点となり、その後、広大な用地を活用して私鉄路線が乗り入れてターミナル化したことで目白、板橋を追い抜き、山手線西側の大ターミナルへと成長していきました。いわば、こうした立地の差が明暗を分けたとも言えるでしょう。

池袋駅構内より赤羽方面をのぞむ
1903年頃

構内の信号扱い所から見た赤羽方。左手にまっすぐ伸びるのが赤羽方面への品川線。右手にカーブするのが豊島線の線路。すでに複線分の用地が確保されている。駅周辺には平坦な農地が広がっていた
池袋駅構内
1903年頃

開業間もない時期の北側から見た駅構内の様子。左手(東側)に駅舎、跨線橋と2面のホーム、右手前に信号扱い所が見える。平坦で広大な敷地が確保できる地に池袋駅は置かれた

山手線は山岳路線

2021-10-25
Facebook 鉄道博物館さん曰く、
1885年に開業した品川線 今の山手線の西側区間は アップダウンが激しい区間です
山手線は山岳路線~山手線トリビア3
1885年に開業した品川線
今の山手線の西側区間は
アップダウンが激しい区間です
 東京の中心部を走る山手線は一見平坦な路線に見え、電車に乗っていても平坦な区間を走っているように感じます。しかし実際にはアップダウンの激しい路線で、人によっては六つの峠越えを繰り返す、との説を唱えるほどです。
 東京の自然地形は西側の山の手と、東側の下町とに大きく分けられますが、はるか太古の昔は西から張り出した武蔵野台地が赤羽―王子―田端―上野―新橋―大森を結ぶ線で海に落ち、急傾斜の海食崖が入り江と交錯しながら南北に連なっていました。このため品川―新宿-池袋―田端は台地上の山の手の区間にあり、残りの田端-東京-品川は崖下の海の跡ということになります。さらに台地上でも石神井川、神田川、目黒川、渋谷川などの河川が谷を刻んでいるため地形の起伏が多く、山手線はこれらの川を横切っているため、盛り土や切通し(切り取り)などが各所に見られます。
 各駅の標高も、もっとも低いのは品川の2.9mで、浜松町は4m、田端は5.9mと、東側区間の標高はいずれも低く線路も平坦ですが、これに対して西側区間は五反田から一気に上りにかかり、代々木が38.7mと駅としてはもっとも高く、品川との高低差は35.8mに達しています。品川~代々木間の距離9.9㎞の間にこれだけ上ったことになり、これはオフィルビルの高さでは9階建てに相当します。さらに新宿は37.1m、池袋で32.6mと20~30m以上の標高で推移しています。そして山手線の最高地点は新宿の北、中央快速線の上下線・中央総武緩行線の上り線を乗り越す地点で、41.1mに達しています。
 このように、山手線は1周する間にかなりのアップダウンを繰り返しています。20‰(1,000m進む間に20m上下する勾配)を越える勾配区間も各所にあり、最急勾配は西日暮里~田端間にあって34‰にも達しており、山岳路線といっても差し支えないほどの勾配区間が各所に存在しているのです。
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一番大きい「番線」の数、一番長いホームを持つ駅とは?

2022-11-17
京都駅の31~34番線
2022年11月9日(水) 鉄道コムスタッフ 西中悠基

日本には各地に多くのホームを持つターミナル駅があります。その中で、最も番線の数字が大きいホームを持つのは、どの駅なのでしょうか。

番線の数字が大きい、ということは、すなわちホームが一番多いというように思えます。すると、やはり東京の中心である東京駅が、ホームも一番多いのでは……と考えてしまいますが、実は一番数字が大きいのは、京都駅の「34番線」なのです。

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