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駅の物語

駅の物語

昭和42年に国鉄大井町駅で夕方撮影した上り列車「急行:高千穂」と思われる列車です。

2022-04-24
Facebook 並木 運美  さん曰く

昭和42年に国鉄大井町駅で夕方撮影した上り列車「急行:高千穂」と思われる列車です。
現在の大井町駅は駅ビルが駅の上に立っている感じでこのような解放感はありません。
パンタグラフに一部隠れていますが、当時はまだ某国名を使っていたのですね。

小川孝さんのコメント
歩道橋下が品川道踏切ですが
今は制度が変わってNo1となり東海道線最初となっています。
中学登校時踏切番のおじさんと顔見知りとなり、
もう直ぐ「彗星」が来るぞ!
名称を追いかけ見上げる列車に憧れた日々が甦ります。

展望車特集ーマイテ39

2021-10-02
昭和33年7月東京駅。
マイテ39は2形式の流れを受けている。
昭和5年3月、初の鋼製1等展望車として大井工場で製造されたスイテ38(スイテ37000)が3両登場。この車両の展望室は白木屋式と呼ばれた洋風デザインで特急「富士」用とされた。
スイテ38に次いで昭和5年12月に、マイテ39(マイテ37010)としてやはり特急「富士」用1等展望車として大井工場で製造された。こちらの展望室のデザインは純和風の桃山式とし2両が誕生した。その豪華な室内はぼんぼりの様な天井灯、天井や壁に金色に散りばめた装飾金具等、工芸品としても一級品である。
室内配置はどちらも前位から展望デッキ・展望室・談話室・区分室・給仕室・洗面所・便所・車掌室・出入台とし、車体はダブルルーフでTR73を履いている。
戦時中はスハ38に改造予定であったが、そのまま使用停止となり、戦後も占領軍に接収されなかったスイテ38 2・マイテ39 1・2を昭和24年に復活した特急「平和」に使用される事となったが、マイテ39 1の車内破損が著しい為桃山式展望車をマイテ39 2にまとめることとし、残ったマイテ39 1は新しく簡素な洋式デザインとした。よって洋風2両、和風1両となった訳である。この際1等室は3両共1+2の座席配列とし、初のリクライニングシートを設計し最前位だけは向かい合わせの固定腰掛として定員14人とした。また前方に飲物等のサービスコーナーも置かれたので中央部の窓割が変更されている。
川崎重工業のKM式空気調和装置も取り付けられた。
その為記号が全て「マ」級となり、マイテ39 1はそのまま、桃山式マイテ39 2は11に、洋式スイテ38 2はマイテ39 21と改番された。
その後「つばめ」「はと」に使用されると共に青大将塗装となったが、予備車になっていたマイテ39 11は塗装変更されていない。昭和35年1等車廃止と共にマロテ39 1・11・21になっている。

もう一時代前

2021-10-02
昭和5年です。

京浜急行 品川駅

2022-05-11
Facebook 石川進さん曰く、1969. 10. 19 撮影

「空の大怪獣ラドン」(1956)で破壊された西鉄福岡駅周辺のミニチュアセット

2022-06-13

Facebook 稲永 拓朗  さん曰く

東京都現代美術館にて「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」が開催中です。(〜6/19(日))
「空の大怪獣ラドン」(1956)で破壊された西鉄福岡駅周辺のミニチュアセットが、アトリウム空間で再現されています(撮影可能エリア)。
岩田屋の屋上遊園地も忠実に作られています。
5枚目の写真の看板で、宮地「﨑」・津屋「岳」とあります
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