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駅の物語

駅の物語

昭和23年頃の渋谷ハチ公前周辺の光景

2023-06-02
facebook 渡辺 恒久さん曰く

タブレットの交換(昭和61年頃、北海道・函館本線目名駅)

2023-05-18
facebook Miyake Taijiさん曰く、昔地方の駅に行った時、こんな光景を見かけたような気がします。

“東京からいちばん離れていた終着駅”「大垣」には何がある?

2023-05-15
“東京からいちばん離れていた終着駅”「大垣」には何がある? © 文春オンライン
鼠入 昌史 によるストーリー

名古屋からわずか20分…“ナゾの織田信長の駅”「岐阜」には何がある? から続く

 ひと昔前、「大垣夜行」という列車があった。文字通り、東京駅から大垣駅までを走る夜行列車で、特急や急行でもなく普通列車の夜行だった。

 東京駅から大垣駅まで、その距離は400kmを超える。夜通し走ってこの距離を結んでいたというわけだ。高速道路も新幹線も充分ではなかった時代には、そうしたただひたすら夜の闇を駆け抜けるばかりの普通夜行列車がいくつもあった。大垣夜行は、そうした時代の名残のようなものだった。

 ……などと、ノスタルジックな話をするつもりはなくて、大垣夜行が走っていた時代、東京駅を出発する列車の中で、いちばん遠い終着駅は大垣駅だったということになる。誤って乗ってしまったら(そんな人がいたかどうかはわからないが)、そして眠りこけてしまったら、大月や南栗橋どころではない、まったくの未知の町に連れて行かれてしまう時代があったのだ。

1975年頃、新宿駅の優等列車専用ホームにて。

2023-03-14
facebook矢島和明 さん曰く、スカート左右の中折れ式タイフォンカバーなどの特徴から、後に九州に転属しクハ481-502に改造された、クハ180-5と思われます

昭和34年頃のローカル空港 滑走路の中に道路がありました。

2023-03-14
facebook Miyake Taijiさん曰く、いかにものんびりした時代でした。
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