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傳燈

【 Facebook傳統他】Facebookの管理人は、釋 大仁、当山住職です。

餅について

2021-05-18
Facebook佐々木信雄さん曰く
 京都の実家での子供時代には、毎年、師走の暮れ30日になると、家族総出で自宅の土間で「餅つき」をすることになっていた。朝早くから家族で準備をし、「おくどさん(カマド/竈)」に「せいろ(蒸篭)」を何段にも積み上げて、もち米を蒸し上げる。
 蒸しあがったセイロの餅米を、木または石の「うす(臼)」の上にひっくり返して、父親や兄が「きね(杵)」でつく。きねの合間に、脇で餅に水をつけたり返したりする役目は「てもと(手許)」と言っただろうか、母親や祖母の担当だが、ベテランでないと手をつかれたりする。たまに子供も餅をつく真似事をさせてもらった。
 つき上げた餅は、基本は小さくちぎって「丸餅」に丸める。「ふね(舟)」と呼ばれる木枠の平べったい長方形の入れ物の上に、片栗粉をひろげて、ちぎったり丸めたりするのは子供や老人の仕事。まれに、ひと臼分は平たく広げた「のしもち」にして、数日後に「角餅」に切る。同じ「のしもち」でも長細く棒状に伸ばして、色粉などで色付けした「のし餅(なまこ餅)」もつくる。これは薄く切って、干して乾燥させて「かきもち」にする。
 最後のひと臼で「鏡餅」をつくる。これはベテランの大人でないと形を作るのが難しい。三段重ねの上に「だいだい(橙/小さめの柑橘類)」を乗せて奥の「床の間」に飾る。餅つきの途中で、ちょいとした腹ごしらえに「おろし餅」を食べるのも楽しみ。つき上げた臼から、つき手が一口大にちぎった餅を、大根おろし醤油の鉢に投げ込んでくれる。熱々の餅を、おろし醤油で冷やしながらパクつく。餡やきな粉でくるむ「おはぎ」もあった。
 さて本題は、丸餅と角餅の分布である。おおむね見当をつけていた通り、西日本は「丸餅」・東日本は「角餅(切り餅)」であった。
 さて年が明け、元旦には「お雑煮」を食べることになる。この雑煮にも、丸餅・角餅の違いに加えて、それを焼いて入れるかそのまま煮込むかの違いがあり、さらには「味噌仕立て」か「すまし仕立て」かの分布がある。その味噌でも、京都では白味噌仕立ての汁で食べるが、場所によっては田舎味噌や赤味噌などもあるかもしれない。
 七日正月には、すまし汁に水菜を入れて、白餅を煮たものを食べた。七草粥の変形なのだろうか。この頃になると、鏡餅を割ってしまわないと固くなってどうしようもなくなる。すでに赤カビ青カビのついたのを削りながら割るのはかなりの力仕事だった。
 京庶民の雑煮はこんなもん。昆布だし白みそに、大根と金時人参煮て、丸餅いれる。
  初雑煮 寝ぼけまなこに 昼すぎて   何爺
京の食べ物探索【12.年の暮れ餅つきと正月の雑煮】

傳燈に関する動画

最近は父に見てもらいたくなった

2023-11-22
【市川ぼたん&新之助】父・團十郎との稽古で心境の変化「最近は父に見てもらいたくなった」
川新之助、記者の質問にちょっぴり緊張?可愛らしい姿に父・團十郎が思わず爆笑 初春歌舞伎公演『平家女護嶋 恩愛真絲央源平 -SANEMORI
市川ぼたん、弟・新之助の成長実感「姉であることがうれしい」 父・市川團十郎の前で夢語る

十二代目市川團十郎

2023-05-31
【歌舞伎】口上 パリ オペラ座公演 2007
十二代目市川團十郎
歌舞伎俳優、十二代目市川團十郎。「勧進帳」や「助六」など市川宗家の芸・荒事を受け継いできた。国内ばかりでなく、数多くの海外公演を通じ、日本文化を世界に発信した。しかし50代後半からは白血病との闘いだった。それでも執念の復帰を果たし、パリのオペラ座では、息子海老蔵と競演。パリっ子の喝采を浴び、フランス芸術文化勲章を受賞した。多くの困難を乗り越え江戸文化の粋を伝え残したその生涯が語られる。
十二代市川團十郎襲名の勧進帳
助六市川團十郎・中村勘三郎)

市川團十郎襲名

2023-05-31
12代目襲名披露
【啖呵・名台詞】昭和37年 十一代目市川團十郎襲名大興行 助六由縁江戸桜
【勧進帳・昭和40年】【十一代目 市川團十郎・二代目 尾上松緑・三代目 實川延若】
市川團十郎伝説(9/9)再編集版 十代目~十一代目(海老様・後半)~十二代目

菅丞相片岡仁左衛門 ~義太夫狂言の演技~

2023-05-28
昭和五十六年十一月国立劇場『菅原伝授手習鑑』の映像。
十三代目片岡仁左衛門
「松浦の太鼓」 十七代中村勘三郎 十三代片岡仁左衛門
松嶋屋三代 新春勢揃い
1994年

国賓待遇・・・・

2023-07-02
訪問録なぜ陛下は写真を?天皇陛下の珍しい“囲み取材”皇后さまの”衣装合わせ”を完全収録…両陛下初の国賓待遇インドネシア【皇室ちょっと
天皇皇后両陛下が初めて国賓待遇で外国を訪問された。
2023年6月17日から23日までのインドネシアの全日程を詳細にお伝えする訪問録。
愛子さまはなぜお見送りにいらっしゃらなかった?
日本の戦後賠償で建てられたホテルはいまも世界中のVIPに愛されている、その実力は。サプライズの連続!インドネシア流おもてなし。
皇后さまの絵画制作・絵付け体験をどこよりも詳しくお伝えする。
経済が勃興する国で日本の経済支援の現場は?
なぜ陛下はサンダルを履かれた?  
帰国後両陛下は、「2人そろっての初めての東南アジアの国への公式訪問でもあり、私たち2人にとってとても思い出深いものとなった」と振り返る感想を公表された。
「この訪問を契機として、両国国民の相互理解がさらに深まり、日本とインドネシアの友好親善と協力関係が一層進展することを心から願う」とされた。 
新見多一(皇室担当デスク)×水原恵理(BSテレ東『皇室の窓スペシャル』担当)
 00:00 初の国賓待遇で外国へ…愛子さまはなぜ?
 02:28 インドネシアは戦後賠償でホテルを建設 
05:39 サプライズの連続 
14:55 皇后さまのとびきりの笑顔 
27:18 インドネシアでも定着「砂防(SABO)」
 29:23 なぜ陛下がサンダルを? 
0:33 スジャータの乳白色が仏陀を癒やし… 
34:41 異例の天皇陛下の囲みインタビュー 
43:03 事前会見
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