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親鸞聖人の文及び典拠等

親鸞聖人(しんらんしょうにん)の文及び典拠等

極楽へ生まる

2022-11-17
西方指南抄
されば詮ずるところは、極楽にあらずば生死をはなるべからず。念仏にあらずば極楽へ生まるべからざるものなり
西方指南抄
念仏往生こそ仏の本願なのだから、願力にすがって往生することはやさしいのです。
極楽に往生しなければ生死の迷いを離れる道はないのです。
聖人が一貫してもとめられたものは「生死出づべき道」でありました。
二十九歳のとき法然上人のお導きで、はじめてこのすじみちが読めて満足されたのです。
しかし生死づることは、中途で止めることのできない、人の一生を貫く課題です。
この「極楽にあらずは」について、聖人は生涯思念を重ねられました。
       聞思抄より

行者の廻向にあらず

2022-11-15
正像末法和讚  第三十八首
☆ 真実信心の称名は
☆ 弥陀廻向の法なれば
☆ 不廻向となづけてぞ
 《左訓》
   行者の廻向にあらずとしる
   べしとなり、
   往生要集に見えたり
         (明かせり
☆ 自力の称念きらわるる
正像末法和讚  第三十八首
真実信心をいただいた上でのお念仏は、弥陀如来のおさしむけの法ですから、不廻向と申します。
ふつう廻向は、こちらからあちらへさしむけるのですが、真宗では逆に
如来様が私に働きかけて下さる事を申しますから不回向。
すなわち私からさせていただく事の何もないのを言いあらわした言葉です。
自力の称念は、凡夫の心から出た廻向ですから、阿弥陀様のお心にそむくのです。
       聞思抄より
《参考》
正像末法和讚  第三十八首 
 浄土真宗聖典(西)607頁[三九]
 真宗聖典  (東)503頁
 高田聖典  588頁 645頁
不回向
 浄土真宗聖典七祖篇
    1197頁11行~1198頁
    1207頁6行~1210頁3行迄
 真宗聖教全書三経七祖部
    937頁11行目(二行章)
    943頁9行目下~(本願章)
聖典
 浄土真宗聖典(西) 
   信巻 221頁1行目あたり 
   行巻 186頁[六九]   7行目
   化巻 472頁7行目(後序)
 真宗聖典
   信巻 217頁14行目~ 
   行巻 189頁14行目
   化巻 399頁7行目
 高田聖典
   信巻 239頁9行目
   行巻    213頁11行目
   化巻 436頁5行目

帰去来(いざいなん)

2022-11-14
勧経疏  定全義   善導大師
帰去来(いざいなん)
魔郷にはどどまるべからず
曠刧よりこのかた六道に流転してことごとくみな逕(へ)たり
到る処に余(よ)の楽なし
ただ愁嘆(しゅうたん)の声を聞く
勧経疏  定全義   善導大師
聖人はこの善導大師の御文を「教行証」に引いて、この世が魔郷であることに思いをあらたにされました。
穢土山(えど)のこの世をきらって、浄土をよろこびねがう心情が行間に迸(ほとばし)り出ています。
文意は
「この娑婆世界は悪魔のすみかで、長く停(とどま)る所ではない。
久遠刧の昔から六道をへめぐり、どこへ行っても真の楽しみはない。
ただうれい悲しみの声ばかりである
            聞思抄より 
《参考》 
観経疏 定善義 善導大師
 浄土真宗聖典七祖篇
         406頁3行目
         450頁10行目
 真宗聖教全書三経七祖部
         504頁11行目
         529頁14行終
浄土真宗聖典(西)
   行巻   173頁11行目
   証巻   312頁10行目
  化身土巻  411頁[六五] 13行
  安心決定  1400頁 1行目
真宗聖典(東)
   行巻    181頁2行目
   証巻   284頁2行目
  化身土巻  355頁9行目
  安心決定  954頁1行目  
高田聖典
   行巻   203頁14行目
   証巻            309頁9行目
  化身土巻  387頁8行目
帰去来

帰去来


いざいなん

 さあ帰ろう。陶淵明とうえんめい(365-427)の「帰去来辞ききょらいのじ」の中の言葉。故郷に帰る決意を述べたものであるが、ここでは浄土に生れたいという意をあらわす。(行巻 P.173,証巻 P.312化巻 P.411安心決定 P.1400定善義 P.406定善義 P.450)

憲法十七条 聖徳太子

2022-11-11
それ、事独(ことひと)り断(さだ)むべからず
必ず衆(もろもろ)と宣く論(あげつら)ふべし
憲法十七条 聖徳太子
憲法十七条の最後の条の文です。
ものごとを決める時には独断であってはならない、必ず皆と相談して決めるべきであるとのお示しです。
これは国の仕事にたずさわる役人の心がけでありますが、太子の大乗仏 教の精神から発露したものでした。
「和(やわら)かなるを以て尊しとなす」
「共にこれ凡夫(たたびと)ならくのみ」というお言葉と同じお心がここにもうかがえます。
       聞思抄より
《参考》
憲法十七条  聖徳太子
 浄土真宗聖典(西)1438頁5行目
 真宗聖典  (東)966頁8行目

金剛心のひと

2022-11-10
金剛心のひとは、知らず求めざるに、功徳の大宝その身にみちみつがゆえに大宝海にたとへるなり
一念多念文意
《浄土論》の中の
「能令即満足 功徳大宝海」の注です。
金剛堅固の信心の人は、自身には知るよしもなく、また求めたおほまえがなくても、名号の功徳善根の大きな宝が、その身に満ち充つるので、功徳大宝海にたとえたのです。
念仏を申しながらも私たちの自力をたのむ体質は消えません。
「知らず求めざるに」の貴重なお言葉を、身に染みてかみしめたものです。
「功徳と申すは名号なり」とも注されています。
       聞思抄より
《参考》
一念多念文意
 浄土真宗聖典(西)691頁[一九]
         692頁5行目
 真宗聖典 (東)543頁14行目
         544頁6行目
 高田聖典    713頁10行目
         714頁5行目
 観仏本願力 遇無空過者
 能令即満足 功徳大宝海
浄土真宗聖典(七祖篇)
  浄土論 31頁 11行、12行目
  論註  86頁[三六]~
真宗聖教全書三経七祖部
  浄土論 270頁5行目
  論註  303頁12行目
尊号真像銘文
 浄土真宗聖典(西)651頁4行目~
         653頁2行目~
 真宗聖典(東)517頁13行目~
        519頁1行目~
 高田聖典   732頁5行目~
        733頁13行~次頁
浄土高僧和讚 天親讚 第三首 
 聖典(西)580頁[一三]
 聖典(東)490頁
 聖典(高)511頁
☆ 本願力にあいぬれば
  むなしくすぐるひとぞなき 
  功徳の宝海みちみちて
  煩悩の濁水(じょくしい)
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