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動画等(アーカイブ)

仰せを蒙りて【アーカイブス 音声・映像データ編】

松原祐善先生のことば

2021-05-17
本願に生きた念仏者シリーズ(4) 一人の尊さ 松原祐善
高倉会館での親鸞聖人讃仰講演会(1972年11月26日)において行われた松原祐善氏の講演「一人の尊さ」を収録。 一人ひとりの身にかけられた仏の誓願が念仏の道となって、私たちは日々を歩ませていただいている・・・。 氏の熱気と臨場感溢れる講演録。

法蔵菩薩の絶対不二の働き

2020-07-18
『曽我量深講話録』一・164頁より

■「われわれが、どんなに絶望し自暴自棄しても、仏さまはそれを見捨てないで、われわれを信じて下さる。その仏さまの信が、本願というものになっている。ただ衆生が気の毒だというだけではない。やはり、われわれを信ずるということがあるわけである。信ずるのはわれら衆生というが、もとは仏さまがわれわれを信ずるところにあるのである。私というものを無条件に、どんなに自分が自信を失おうとしても、仏さまに信じられている。仏さまは、私を信じて捨てない。そういうことに私どもは目ざまさしてもらい、仏さまを信ぜずにおれない。こういうところに、真実信心というものが初めて成り立つ」
(『曽我量深講話録』一・164頁より)

■金剛とは、元々は「堅くていかなるものにも破られることがない」という意味ですが、「いかなるものにも破られることがないもの」とは、本当は堅いものではなくて、水のように柔らかくてあらゆるものに随順していくものでしょう。仏さまの心は、私どもがどんなに自分に絶望して自分を捨てようとしても、それにさまたげられることなく、水のようにどこまでもわれららに付き従って決してわれらを捨てられない。そのような仏さまの心のことを、金剛の信心というのでしょう。私どもの身の深いところに、誰の中にも平等に流れている法蔵魂こそが、そのような金剛の信心と言えるものではないかと思います。「不二」とは、決して離れずにあたかも一つの存在のように私どもの宿業の身と運命を共にする法蔵菩薩のはたらきのことをいうのでしょう。

■ちょうどこれを書いている時ツィッターを見たら、Yuko Itoさんが次のような投稿をしておられたのでびっくりしました。

「あなたがどれほど人生に絶望しても、人生のほうがあなたに絶望すること はない」(V・E・フランクル)
 
 いやー、これは、まさに法蔵菩薩の絶対不二の働きをあらわしている言葉ではないか、と思いました。こういうのを「金剛(何ものにもさえられない)の信心」というのでしょう。

「あなたがどれほど人生に絶望しても、人生のほうがあなたに絶望することはない」(V・E・フランクル)

曽我量深先生のことば

2021-05-16
【試聴】「すでにこの道あり」曽我量深/法話CD「本願に生きた念仏者シリーズ」①|東本願寺出版
1964年高倉会館で行われた「教如上人三百五十回忌法要記念講演」の貴重な録音を東本願寺出版がCD化。 曽我量深師、満88歳の獅子吼。 http://higashihonganji-shuppan.jp/boo... ※古い音源を使用しているため、当時の録音機器の状況等により、一部お聞き苦しい点があります。
【試聴】「南無阿弥陀仏に成る」藤代聰麿/法話CD「本願に生きた念仏者シリーズ」⑨|東本願寺出版
藤代聰麿師の高倉会館日曜講演(1983(昭和58)年10月30日)を収録。 南無阿弥陀仏を問題にしない現代のありかたを問う力強い法話。 http://higashihonganji-shuppan.jp/boo... ※当時の録音機器の状況等により、一部お聞き苦しい点があります。

東本願寺親鸞聖人七百回大遠忌法要3(金子大榮講演「浄土の機縁」)

2020-04-13
記念大講演会 金子大榮「浄土の機縁」 (1961.4.21 京都会館第一ホール) ※音源の問題で最初のほうが聞き取りにくくなっています。

金子大栄先生のことば

2021-05-16
【試聴】「念仏成仏これ真宗」金子大榮/法話CD「本願に生きた念仏者シリーズ」②|東本願寺出版
1961年高倉会館において行われた「親鸞聖人七百回大遠忌讃仰講演会」での音声を収録。 親鸞聖人七百回御遠忌に出遇った金子大榮師の感動が満ち溢れる。 http://higashihonganji-shuppan.jp/boo... ※古い音源を使用しているため、当時の録音機器の状況等により、一部お聞き苦しい点があります。
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