動画等(アーカイブ)
仰せを蒙りて【アーカイブス 音声・映像データ編】
松原祐善先生のことば
法蔵菩薩の絶対不二の働き
■「われわれが、どんなに絶望し自暴自棄しても、仏さまはそれを見捨てないで、われわれを信じて下さる。その仏さまの信が、本願というものになっている。ただ衆生が気の毒だというだけではない。やはり、われわれを信ずるということがあるわけである。信ずるのはわれら衆生というが、もとは仏さまがわれわれを信ずるところにあるのである。私というものを無条件に、どんなに自分が自信を失おうとしても、仏さまに信じられている。仏さまは、私を信じて捨てない。そういうことに私どもは目ざまさしてもらい、仏さまを信ぜずにおれない。こういうところに、真実信心というものが初めて成り立つ」
(『曽我量深講話録』一・164頁より)
■金剛とは、元々は「堅くていかなるものにも破られることがない」という意味ですが、「いかなるものにも破られることがないもの」とは、本当は堅いものではなくて、水のように柔らかくてあらゆるものに随順していくものでしょう。仏さまの心は、私どもがどんなに自分に絶望して自分を捨てようとしても、それにさまたげられることなく、水のようにどこまでもわれららに付き従って決してわれらを捨てられない。そのような仏さまの心のことを、金剛の信心というのでしょう。私どもの身の深いところに、誰の中にも平等に流れている法蔵魂こそが、そのような金剛の信心と言えるものではないかと思います。「不二」とは、決して離れずにあたかも一つの存在のように私どもの宿業の身と運命を共にする法蔵菩薩のはたらきのことをいうのでしょう。
■ちょうどこれを書いている時ツィッターを見たら、Yuko Itoさんが次のような投稿をしておられたのでびっくりしました。
「あなたがどれほど人生に絶望しても、人生のほうがあなたに絶望すること はない」(V・E・フランクル)
いやー、これは、まさに法蔵菩薩の絶対不二の働きをあらわしている言葉ではないか、と思いました。こういうのを「金剛(何ものにもさえられない)の信心」というのでしょう。