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動画等(アーカイブ)

仰せを蒙りて【アーカイブス 音声・映像データ編】

大谷大学歴代学長 - 浄土真宗の関係の覚書

2020-05-05

「真の朋友」(清澤満之師)の姿

2022-01-31
㊧曽我量深師㊨暁烏敏師 ※林暁宇師旧蔵

Facebook 百々海 真さん曰く


㊧曽我量深師㊨暁烏敏師 ※林暁宇師旧蔵
お二人は、終生深い交わりがあった。生前はもとより、暁烏師ご西帰後の年忌法要の法話にも、曽我師は度々出講されている。『曽我量深講義集第八巻』には「友ー暁烏師を偲ぶ」が収められているが、清澤師と暁烏師をして「ちょうど釈尊が阿難に目をかけた」「法の師弟は死と生を一貫して生死を超越している」と讃嘆されている。
曽我師に随行された藤代聰麿師が北海道南幌の深廣寺坊守岩城智子様に宛てた書簡には、両師の間柄が次のように記されている。
「長い随行生活で先師(曽我師)の涙は、二度しか見ておりません。一度は暁烏先生の弔問の時でした。二人は信心のことでは手強い批判はしておられましたが、友情の絆は固いものがありました。暁烏先生の同行が臨終「これから誰の話を聞けばよいでしょうか」と尋ねたら「曽我クン」だと答えたとその同行から聞きました」
「真の朋友」(清澤満之師)の姿に、大衆を統理したもう如来業を仰ぐ。宗門のあるべき姿を教えられる。南無阿弥陀仏

六字名号、金子大栄先生の御染筆です。

2021-08-30
Facebook 阪下大介さん曰く

今日は、1つの詩を紹介させて頂きます。 題名は、親鸞讃歌(宗祖を憶ふ)。

2021-07-23
この詩は昭和23年金子大栄先生68歳の時に作られた詩、 金子先生がご覧になった人間親鸞の姿が描かれております。

親鸞讃歌(宗祖を憶ふ)

昔 法師あり
親鸞と名づく
殿上に生れて庶民の心あり
底下となりて高貴の性を失わず

己にして愛欲のたち難きを知り
俗に帰れども道心を捨てず
一生凡夫にして
大涅槃の終りを期す

人間を懐かしみつつ 人に昵(なづ)む能(あた)わず
名利の空なるを知り 離れ得ざるを悲しむ
流浪の生涯に 常楽の故郷を慕い
孤独の淋しさ 万人の悩みを思う

聖教を披(ひら)くも 文字を見ず
ただ言葉のひびきをきく
正法を説けども師弟をいわず
ひとえに同朋の縁をよろこぶ

本願を仰いでは
身の善悪をかえりみず
念仏に親しんでは
自ら無碍の一道を知る

人に知られざるを憂えず
ただ世を汚さんことを恐れる
己身の罪障に徹して
一切群生の救いを願う

その人逝(ゆ)きて数世紀
長(とこしな)えに死せるが如し
その人去りて七百年
今なお生けるが如し
その人を憶いてわれは生き
その人を忘れてわれは迷う
曠劫多生の縁
よろこびつくることなし
この詩は、金子先生の随筆集『くずかご』の中に収められています。
千葉県松戸市にある浄土真宗のお寺・天真寺。
今回の掲載にあたっては、こちらのプログより

引文させていただきました。
https://blog.goo.ne.jp/tenshinji/e/1e0efbb290708cd6bf344457f6cf3405

天真寺ホームページ
http://tenshin.or.jp/


「面授口訣」は必須

2021-09-18
Facebook 藤波 蓮凰さん曰く
……閑話休題……
僧分の端くれながら僧分らしからぬ日常と現実、こと文字だけが飛び交うSNSには、いつの間にか性根が剥き出しになり、醜態を晒すばかりである。人様に《説法》などできたギリではない。《名字の比丘》とばかり、放下僧の体である。ただ、儀式を通じてしか、仏祖に対峙することが敵わぬ愚昧たらしめる我が身かな。
魚山には天台宗の方々はじめ、今は様々な宗派の方々が集っている。それは聲明が、宗派を超えた仏教徒の《共通言語》たらんと嬉しく思う。
かれこれ2年ばかり前からと記憶するが、はるばる関東から日蓮宗の若い僧侶が魚山へ学びに来られるようになった。志篤く、魚山での学びを通して、かの宗門の聲明道を牽引して行かれることを、他宗派の者ながら大いに期待するばかりである。
そんな彼から、私如きには畏れ多い相談があった。それは自身が途中から学びに合流したので、魚山のどのように基礎的な音曲を学べばよいか、といった事柄だった。以て、私とて年季だけ稼いでいるに過ぎず、まだまだ手探りな状況である。老師僧が生前、「10年学んで幼稚園、20年学んで小学生レベルや」と仰せだったこととも重なる。
江戸時代後期の西本願寺御堂衆・光隆寺知影が記した『魚山余響』には、「先ず、法華懺法と例時作法を学び、それから六巻帖を学んだ」とある。順当なステップであるのはいうまでもないが、私もいうなれば《途中》から合流したので、いきなり『胎蔵界曼荼羅供』から始まり、続いて『聲明懺法』と御指南を受けた。いずれも、ビギナーには難解な法儀である。『聲明懺法』には悪戦苦闘したものだ。もう一度学び直したいくらいである。
ところで「聲明は耳で唱える」といわれる。今やICレコーダーや動画撮影など、いろいろ音源を残す方法はあるが、結局、師匠が唱えられる旋律の姿に耳を澄ませて、その唱えようを繰り返し「まねぶ」他はないようだ。あるいは、鎌倉時代の『聲明口伝集』には、旋律の動きに意を注ぎ、博士を充分に理解すべきであるといったことが記されている。従って聲明本を時間が許す限り眺めるだけでも、決して無意味ではないと思う。
思えば魚山に上がるようになって15年以上が経つが、聲明を最初に学ぶべく我が本山の勤式指導所に入ったのが27歳の時だったが、それから良き師匠との邂逅を果たすまで10年の歳月を要した。魚山に入門を許されたのはそれから更に数年を待たねばならなかったが、我が人生「まあ、さてあらん」である。なので若くして魚山と縁が持てた彼とは、さまざまに学び得たことを共有できたらと願うのである。
以て、ことSNSでは思うところ全てを語り尽くすことなど到底できない。そしてここに駄文をしたためている、我が心の揺らぎまで表現できない所以でもある。ただ、思考の一端を書き記すのみである。やはり万事につけて、「面授口訣」は必須なのだと思う。彼とは会った時に、またゆっくりと語り合いたいと思う。
秋の夜長に書き記しおわんぬ。
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