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動画等(アーカイブ)

仰せを蒙りて【アーカイブス 音声・映像データ編】

宮城顗(しずか)先生のことば

2021-05-16
【試聴】「汝、起ちて更に衣服を整うべし」宮城顗/法話CD「本願に生きた念仏者シリーズ」⑫|東本願寺出版
2005(平成17)年5月20日に真宗本廟(東本願寺)阿弥陀堂で行われた「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌真宗本廟お待ち受け大会記念講演」を収録。 宮城氏は、法話CDの中で『大経』に説かれる言葉をたよりに、答えをもって物事を考える私たちに、自身の問いに起てと呼びかける。 ※当時の録音機器の状況等により、一部お聞き苦しい点があります。

平野修先生のことば

2021-05-16
【試聴】「濁世の機」平野修/法話CD「本願に生きた念仏者シリーズ」⑩|東本願寺出版
平野修師の高倉会館日曜講演(1992(平成4)年12月13日)を収録。 「機」という問題をどのように受け止めたらいいのか、私たち人間が必ず出会わなければならないこととは……。 http://higashihonganji-shuppan.jp/boo... ※当時の録音機器の状況等により、一部お聞き苦しい点があります。

安田理深先生のことば

2021-05-17
【試聴】「浄土の教学」安田理深/法話CD「本願に生きた念仏者シリーズ」③|東本願寺出版
「同朋会運動の願いに聞く集い」(1980年2月22日)において行われた安田理深氏の講演「浄土の教学」を収録。 生涯、聞法の生活一筋で歩まれた安田氏の熱のこもった講義。 安田氏は真宗本廟での講演や講義をほとんど行っておらず、本録音は非常に貴重な記録である。

まあ、こんなことを、今度の火事で学びました。

2020-05-12
亀井先生は次のような安田先生のお話を聞かれたと書かれておられました。
  • 「焼かれた」のでもない、「焼いた」のでもない。
    ただ「焼けた」と。
    そうすると事実を事実のまま淡々と受けていけるのではないかね
    自も他も損なわんで済む。こんなことを今度の火事で学びました。
      
      
                   ( 安田理深 ) 

 


 

名古屋の亀井先生が書かれたもので拝見したのですが、安田先生のお宅が隣家の火事で類焼して、蔵書やノート類など、全て燃えてしまわれた時のことだそうです。その直後の学習会で亀井先生は次のような安田先生のお話を聞かれたと書かれておられました。

 


 

こんどの火事でね。まあいろんなことを学ばされたんだが、私の場合、一応、隣りからの類焼だわね。だから、”焼かれた”と思う。と、どうしても復讐心が起こるわね。腹が立つ。
 
じゃ、そうでなく、”焼いた”と。自分が焼いたということになれば、心が暗いやね。やりきれない。そうでないかね。
 
だけどね、”焼かれた”のでもない。”焼いた”のでもない。ただ、”焼けた”と。そうすると事実を事実のまま、淡々と受けていけるのでないかね。自も他も損なわんですむ。まあ、こんなことを、今度の火事で学びました。
 

 


 

”ああされた”でもない、”こうした”でもない。”こうなった”。

”なくされた”でもない、”なくした”でもない。”なくなった”。

若き求道者の生涯は、28年間でした。

2020-07-06
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