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動画等(アーカイブ)

仰せを蒙りて【アーカイブス 音声・映像データ編】

曽我量深師の「搭廟」

2021-06-06
福岡県八女市黒木町木屋の光善寺本堂裏手に建立されています。

本日は、臘扇忌です。

2021-06-06
明達寺公式サイト(白山市)より

あゝ、他力救済の念は、

よく我をして迷倒苦悶の娑婆を脱して、

悟達安楽の浄土に入らしむるが如し。

我は実にこの念によりて、

現に救済されつゝあるを感ず。

 

     清沢満之「絶対他力の大道」

臘扇堂

 昭和二十七年、暁烏敏は、自分の生涯を象徴するものとして、臘扇堂の建立を発願しました。堂内には、師、清沢満之と、それを拝む、敏の像が安置されています。「臘扇(ろうせん)」とは、満之の晩年の号から取られた言葉で、冬の扇、つまり現世では用のないもの、という意味です。八角形の全体は、法隆寺の夢殿を模しており、設計施工は、鐘撞き堂と同じく、寺社建築の第一人者、伊藤平左衛門氏に依りました。

 六月六日、満之の命日「臘扇忌」には、門信徒一同で堂内に入り、「絶対他力の大道」を朗読して、偉大な師弟の仏道を偲びます。



暁烏敏師

2020-12-29
明治10年〜昭和29年8月27日 石川県明達寺住職 真宗大谷派宗務総長 涼しげな着流し姿 盲目のご晩年 いかにも静か

暁烏敏師のことば

2020-09-03
光華学園 平成22年8月のことば

今月のことば

危ぶむなかれ 行けば わかるよ

石川県白山市にある明達寺(みょうたつじ)という真宗大谷派の寺院のご住職で、清沢哲夫という方(故人)がおられます。清沢哲夫氏は、仏教の近代化に大きく貢献された清沢満之(きよざわ まんし)先生(大谷大学初代学長)の孫として生まれ、清沢満之先生の弟子にあたる暁烏敏(あけがらす はや)先生のお寺(明達寺)を継がれた方です。この清沢哲夫氏の著書『無常断章』に次のような詩が掲載されています。
「道」
此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ
危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ
(昭和二十六年十月『同帰』所載)

皆さんこの詩を聞かれたことはございませんか。「聞いたことがあるような気がする」という方も結構おられるのではないでしょうか。実は、プロレスラーとして有名なアントニオ猪木さんが引退式のときに詠まれたのがこの詩です。この詩を初めて聞いた時、すごく力強い詩だなという印象を持つ一方、何か自信がなく、日々を不安に思いながら生きている自分に対して、温かく包みこみ、励ましてくれるような印象を持ったことを覚えています。今月は、真宗の宗教者である清沢哲夫氏が「道」という詩に込められた思いを、蓮如聖人御一代記聞書から考えてみたいと思います。
御一代記の155項に「仏法には明日といふことはあるまじきよしの仰せに候ふ」という一文があります。これは言い換えると「仏法は今にて候」ということでしょうか。この「今」とは哲学的には、今は終わるときにわかり、終わるということは今がわかることでもあると捉えます。すなわち「仏法は今にて候」とは、「終わってみないと今が正しいかどうかなんてわからないのだから、今この瞬間をいかに大切にするかが大事なのですよ」という教えではないでしょうか。また、御一代記は次のように続きます。「たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきく人は ながく不退にかなふなり」。すなわち「私たちの心を奪い、心を乱す色々な誘惑や困難がある人生の中で、自ら仏法を求めて仏に出遇う人にこそ、金剛の信心が与えられるのである」と説いておられます。   このように考えますと、「道」という詩には、「人生は、悩み迷い、困難の連続であるが、それはあなただけのことではありませんよ。結果なんて誰にもわかりません。終わってみて始めて良かった、失敗したとわかるのです。だからこそ、その生を生きる「今」を受け入れ、自らを大切にし、しっかりと今を生きていきましょう」という願いが込められているのではないでしょうか。(宗)

祈りということ Facebook百々海 真さんの投稿より

2020-12-28
『真宗の祈願』 曽我量深著
暁烏敏「真実の祈り」
『真宗の祈願』の一節がふと浮かんできた。
以下『曽我量深選集第10巻』から抜粋。(現代かな等表記を一部改めた)
〇如来の本願を以て浄土真宗の祈願とするのである。
〇世間普通の祈りは我々衆生が仏に向かっている祈りである。今弥陀の本願は仏が衆生の為に祈る所の祈りである。
〇真宗の祈りは本願である。・・真宗とは何ぞや、真実の祈りということであります。偽りの祈りに対して真実の祈りを宗とするのであります。

そんな状況下、曽我師の玉稿に加えて、暁烏師の次の一文が「真実の祈り」の内実を示唆して下さる。味読したい。南無阿弥陀仏
『人生のことにやや真面目になってくると神仏に祈らずにおられなくなります。神仏に祈っていた者がもっと真面目になってくると、祈ってはおられぬようになってまいります。ここに、泣きつつも、悩みつつも自分の道を一人で行かねばならぬようになってまいります』(『暁烏敏全集』第6巻49頁)
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