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鉄の今

【今の鉄路】

E261系「サフィール踊り子」

2022-01-31

Facebook 中川 真明さん曰く


今日は、念願だったE261系「サフィール踊り子」乗り鉄の夢を果たせました。大興奮です。簡単にレポート致します。
 このグループのみなさんはご存知のように、「サフィール踊り子」は、2020年3月のダイヤ改正で、それまでの「E251系スーパービュー踊り子」に置き換えて登場した全車グリーン車(1両はプレミアムグリーン車、1両はカフェテリア)の豪華観光特急です。「サフィール」とは、フランス語で「サファイヤ」を意味しています。伊豆の海と空の美しさを「サファイヤ」に重ねて名付けられた、とデビューの時に報じていました。登場後、ずっと乗りたいなぁ、と機会を伺っていたのですが、今回、座席が取れ、夢が叶ったのです。
 横浜を11時23分に乗車。JR東日本のグリーン車の座席配列は、基本的に2+2なのですが、サフィールは2+1。シートピッチも広く、豪華な座席で、座り心地は素晴らしかったです。窓の上部には天窓もあり、眺望がいいし、陽光も差し込んで来て、まさに「上質・高級で優雅な旅」(JR東日本談)を楽しむ事が出来ました。伊東まで1時間10分なので、本当にあっという間でした。横浜出発時と熱海出発時には、YouTubeで何度も聞いていた「サフィールチャイム」を初めてリアルに聞くことが出来、ゾクゾクしました。満席だったので、うまく画像を撮る事は出来ませんでしたが、大いに堪能しました。

「青のシンフォニー」吉野到着時の車内

2022-01-31
日本一低廉な価格で利用が可能な特別車両の1つである、近鉄の「青のシンフォニー」の車内です。
「さくらライナー」”デラックスシート”の設備
「ひのとり」名古屋発車前

【深夜0時発】新幹線の終電を逃してもまだ東京へ行ける列車があった!

2022-01-18

何事も諦めないことが肝心です サンライズ瀬戸・出雲
 ✔️Twitter:https://bit.ly/3cnMrXN

E233系運転開始から15周年

2021-12-28
本日はE233系運転開始から15周年を迎えました
中央線に新車導入を決める頃、中央線利用者を対象としたアンケートを実施、その結果も反映した車内設備になりました。
多くの通勤客が待ち望んだ中央線の新型電車はほかの国鉄型電車の淘汰のため、E231系では置き換えることができなかった各路線へも配属されることに

ターミナルの発達~山手線のあゆみ5

2021-12-14
Facebook 鉄道博物館さん曰く
ターミナルの発達~山手線のあゆみ5
数多くのターミナル駅が
所在することも
山手線の大きな特徴です
 山手線が環状運転を始めた大正末から昭和初期は、新宿、渋谷、池袋がターミナル駅として発展を見せ始めていました。それまでの東京の繁華街は銀座、日本橋、浅草といった江戸以来の市街地にありましたが、東京の都市規模の拡大に呼応して、山手線西側の各駅が新たなターミナルとして台頭するようになります。
 明治末から大正、昭和初期にかけて、東京の市街化の進展に応じて数多くの郊外私鉄が開業していきますが、それら各線は山手線各駅を起点としました。いずれの路線も計画時には山手線内への乗り入れをめざしていましたが、当時、市内各所に路線網を張り巡らせていた東京市電を運営する東京市(東京市電気局、のち東京都交通局)は、自らのテリトリー内に私鉄が乗り入れることに強く反対し、各社はやむなく山手線駅を起点として郊外へと路線を建設することになります。この結果、各私鉄路線の乗客は山手線駅に到着すると、同線や市内各所へ向かう市電や地下鉄へと乗り換えるようになり、これによって各駅の乗降客数が増加することになりました。
 なかでも多数の郊外私鉄路線が乗り入れ、山手線や中央線、市電各系統と接続した新宿、渋谷、池袋は乗降客数が急増し、東京や上野、新橋を差し置いて東京でも有数のターミナル駅へと急成長を遂げていきます。戦後になると、自動車交通の急発展により市電改め東京都電は廃止されますが、それに代わる地下鉄各線が建設されるようになり、乗降客数はさらに増加することになります。
 これらターミナル駅周辺では、多数の乗り換え客や買い物客が立ち寄るための商業施設が次々に誕生していきます。消費の殿堂ともいえる百貨店、外食習慣の普及によって広く一般に利用されるようになった飲食店、都市のたまり場として親しまれた喫茶店やカフェ、酒場、庶民の娯楽の中心であった映画館、劇場、寄席などのさまざまな施設が駅周辺に生まれ、繁華街が形成されていったのです。
 加えてこの時期は、1923(大正12)年9月に発生した関東大震災を契機とした東京郊外、なかでも西郊の市街化が進展し、サラリーマンや学生、主婦層といったいわゆる新中間層が台頭した時期にあたっており、彼らは都心部の勤め先や高等教育機関に通勤・通学し、その家庭を預かる主婦はターミナルへと買い物に出向くなど、これまでにない新しいライフスタイルを実践するようになりました。彼らにとっては浅草や日本橋といった旧来の繁華街は魅力に乏しく、新宿、渋谷、池袋といった新興の繁華街は、彼らのような都市生活者に支持されるモダンな盛り場として発展していくことになります。
 このように、山手線駅のターミナル化は東京の都市構造の変化や、社会的階層構成の変質を如実に反映しており、こうした山手線をはじめとする新しい交通機関の発展が、東京という大都市の社会構造の変化を促していったともいえるでしょう。
企画展「山手線展~やまのてせんが丸くなるまで~」は2022年1月31日(月)まで開催中です。
詳しくはこちら↓
新宿駅前通り(青梅街道)沿いには、三越、伊勢丹、ほていやなどの百貨店やフルーツパーラーの高野、インドカリーの中村屋といった飲食店、数多くの映画館や劇場、カフェなどが並び、山の手一の繁華街を形成していた
新宿駅前通り 1931年
東京市電は山手線をくぐり西側口駅前まで乗り入れていた。渋谷には玉川電気鉄道、東横電鉄、帝都電鉄が乗り入れ、さらに1938年には都心部へ向かう地下鉄・東京高速鉄道も開業する
渋谷駅前 1931年
新宿、渋谷より開業が20年近く遅かった池袋だが、その後の発展は急で大正期には武蔵野鉄道、東上鉄道が相次いで開業し、1939年には東京市電も乗り入れて利便性が向上した
池袋駅前通り 1931年
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