家族のページ
思い出のページ【当代と家族が歩んだ時代】
歌舞伎座に観劇に訪れた当山婦人会一行を、為書を用意して、お迎えくださいました。
歌舞伎俳優、初代松本白鸚(八代幸四郎)の次男に生まれ、母方の祖父、初代吉右衛門の養子となり、1948年に中村萬之助(まんのすけ)を名乗り初舞台を踏んだ。
その後は実父のもとで修業を積み、父や兄の現白鸚と共に所属会社を松竹から東宝に移し、66年に二代目として吉右衛門を襲名。東宝時代は主演女優の相手役をつとめるなど現代劇でも活躍したが、歌舞伎に打ち込みたいと松竹に戻り、研さんに励んだ。
時代物では「勧進帳」の弁慶、「俊寛」の俊寛、「熊谷陣屋」の熊谷直実、「盛綱陣屋」の佐々木盛綱、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助、「義経千本桜」の平知盛、「石切梶原」の梶原平三など、世話物では「法界坊」「幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)」「河内(こうち)山(やま)」など当たり役は数多い。
テレビでは人気ドラマ「鬼平犯科帳」の火付盗賊改方長官、長谷川平蔵役を89年から2001年まで9シリーズでつとめ、その後も単発放送で演じ、16年末に締めくくるまで、150本に主演した。
最後の舞台は21年3月、東京・歌舞伎座の「三月大歌舞伎」第3部「楼門五三桐」の石川五右衛門で千秋楽前日の同28日まで舞台をつとめた。
02年日本芸術院会員、06年度毎日芸術賞、11年人間国宝、17年文化功労者。歌舞伎俳優の尾上菊之助さんは四女の夫。
継承を遂げた
演劇評論家・水落潔さんの話 祖父であり養父となった名優・初代吉右衛門の芸の継承に一生をささげ、それを立派に成し遂げられました。初代を師とも目標ともされましたが、初代よりいいものが幾つもあったと思います。特に義太夫狂言や時代物が見事で、「寺子屋」の松王丸、「引窓」の南与兵衛など初代をきちんと継承しながら初代より線の太い俳優になられたのではないでしょうか。
大河内傳次郎
日活時代の大河内の自宅は撮影所のすぐ傍らの竹藪にあり、撮影所内の人たちは大河内を「藪の神様」と呼んでいた。「大河内に楯をついたらえらいことになる」とのことから「カミサマ」と呼んだものらしい。大河内は撮影中に気に入らないことがあると、プイと仕事をやめてこの亀山の山荘に閉じ籠ってしまった。稲垣浩がのちに本人にその理由を聞くと、「聖徳太子は自分の政事や行いに誤りがないかと夢殿に籠って反省したと聞いています。私が山荘に行くのも、あそこで座禅を組んで反省しているのです」と答えた。
山荘は戦後、本格的な建築に改められたが、いちばん苦心したのは井戸だったという。高い山頂での掘削であるため、地下水脈に至るまで相当深く掘らなければならず、出来上がった井戸は石を投げ込んで七、八ツを数えなければ音がしないほどの深さだったという。鎌倉様式と室町様式が混然としている大河内山荘は、出来上がったころはあまり評判は良くなかった。
ある日、大河内が常盤のあたりを散策していると、道端に転がっている石地蔵を見つけた。立ち去りかねて野仏を拾い上げた大河内は表情が気に入り、これを抱き上げ、山荘に持ち帰った。ところがこれを近在の子供が目撃して、常盤村の人たちが大河内に地蔵を返さねば訴えるとねじ込んできた。これに大河内は平然と、「あの地蔵は盗んだのでない、常盤を散歩していたらあの地蔵様が“大河内、大河内”と呼びとめなさった。道端に転んでいるお姿がとても傷わしく思われたので山荘にご案内して、大切におまつりしただけのこと。あなた方がそれほど大切な地蔵様であるなら、なぜおまつりをなさらぬか。なぜ道端に横倒しになっているのを起こして差し上げぬのか。草むらに横たわった地蔵様を見つけたというのは霊の導き、縁あってのことでありましょう。訴えなくとも戻せと言うなら戻しますが、その代り地蔵寺をたてて立派におまつりしてください」と答えて見せた。こうした話し合いが何度かあり、結局常盤村が地蔵を大河内山荘に寄贈することで裁判沙汰にもならず決着したという。
澤田正二郎譲りのリアリズム、火花を散らすような大河内の立ち回りの秘密は、強度の近眼にあった。立ち回りでは刃引きをした「ホンミ(真剣)」を使った。絡みの役者は殺陣師の指示に従い、斬られる部分に綿を入れてかかっていくが、大河内は相手の身体に刀が当たらなければ承知しなかった。
刃引きはしていても真剣が当たれば相手は生傷、タンコブだらけとなり、大河内との絡みには「膏薬代」が出た。伊藤大輔は大河内の立ち回りについて次のように語っている。
バンツマ(阪東妻三郎)は間合一寸で抜く、(市川)右太衛門は舞踊ですから呼吸を合わせれば怪我はない、(嵐)寛寿郎は正確無比に剣が飛んでくる、これも殺陣の段取りが狂いさえしなければ安心です。それぞれに、避けようがある。傳次郎これはぶっつけ本番で、避けも逃げも出来ません。迫力が出なければ嘘になりましょう— 伊藤大輔、大殺陣 チャンバラ映画特集
大河内は『鞍馬天狗』の近藤勇役で嵐寛寿郎と絡む時は必ず抜き身の真剣を使った。嵐は「一番怖かったのは大河内傳次郎」、「あの人、近眼でっしゃろ。怖かったですよ」と語っている
当代が最初にあげたお経は、この方のためでした。
「飛鳥鍋」の思い出
大変な美味でございました。
奈良ホテルに聖徳太子1400 年御遠忌で飛鳥鍋 奈良を旅するきっかけに(みんなの経済新聞ネットワーク) - Yahoo!ニュース