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ちょい話【et cetera】

ちょっといい話

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【スピーチ】豊田章男が米国で伝えたかったこ

2020-10-08
2019年3月15日、米国の首都ワシントンDC。トヨタ自動車社長の豊田は600名を超えるオーディエンスの前に立っていた。米政財界の有識者たちが参加する「The Economic Club of Washington, D.C.」のイベントにゲストスピーカーとして招かれたのだ。そこで豊田は、米国におけるトヨタの歴史や、自身も米国から多くを学んだ人間であることをスピーチで伝えた。

https://toyotatimes.jp/insidetoyota/0...

母校卒業式でのスピーチ 「さあ、自分だけのドーナツを見つけよう」

2020-10-08
米国バブソン大学卒業式スピーチ
5月18日、豊田章男は米国ボストン郊外にあるバブソン大学にいた。 創立100周年を迎える同大学の卒業式にゲストスピーカーとして招かれたのだった。 卒業式の前日、豊田は学生時代に過ごした下宿先を訪れた。そして、自らの若き日々に想いを馳せながら、卒業生たちに伝えるべきメッセージを考えていた…。 https://toyotatimes.jp/insidetoyota/0...

【 日本 の 本当の大きさ ⤴️

2020-09-11

『虞美人草』

2020-09-07
漱石、作家デビュー作品
Facebook 佐々木信雄さんのコメント
【京都・文学散策1】
〇京都・文学散策2.比叡山>夏目漱石『虞美人草』
 「随分遠いね。元来どこから登るのだ」と一人が手巾で額を拭きながら立ち留どまった。
 「どこか己にも判然せんがね。どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから」と顔も体躯も四角に出来上った男が無雑作に答えた。
 反を打った中折れの茶の廂の下から、深き眉を動かしながら、見上げる頭の上には、微茫なる春の空の、底までも藍を漂わして、吹けば揺くかと怪しまるるほど柔らかき中に屹然として、どうする気かと云わぬばかりに叡山が聳えている。
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 『虞美人草』の冒頭シーン。ヒロイン藤尾の兄甲野さんと、その友人で藤尾に気を寄せる宗近くんが、旅行で京都に来て、二人で叡山(比叡山)に登っている途上で交わす会話が続く。ヒロイン藤尾はいまだ登場しない。
 漱石はロンドン留学から帰国後、神経衰弱に悩まされながら東京帝国大学の講師などをしていたが、高浜虚子の勧めで俳句雑誌『ホトトギス』に『吾輩は猫である』を掲載する。これが好評をはくし、さらに『坊ちゃん』『倫敦塔』などで一躍人気作家になる。
 漱石はついに作家として食ってゆくことを決心し、朝日新聞社に専属として入社し、職業作家としての最初の作品が『虞美人草』だった。初の新聞連載にさいして、漱石はかなり気負って書き始めたようで、それまでの漱石には見られなかった絢爛たるストーリー展開は、後日漱石自身に失敗だったと述懐させるほどだった。
 私自身は若い時に読んだのだが、むしろ漱石の作品の中でも、最も面白い作品に思われた。漱石は執筆中に、弟子筋の小宮豊隆あてに、次のように書いている。
 《虞美人草は毎日かいてゐる。藤尾といふ女にそんな同情をもつてはいけない。あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。徳義心が欠乏した女である。あいつを仕舞ひに殺すのが一篇の主意である。うまく殺せなければ助けてやる。然し助かれば猶々藤尾なるものは駄目な人間になる。最後に哲学をつける。此哲学は一つのセオリーである。僕は此セオリーを説明する為めに全篇をかいてゐるのである。だから決してあんな女をいゝと思つちやいけない。(明治40年7月19日小宮豊隆あて書簡)》
 これを、字面とおりに受け取るわけにはいくまい。思い入れのできない女性像をヒロインにするわけはなく、漱石は藤尾という作中の女性にかなり入れ込んでいたはずで、その照れ隠しに悪態をついているのに違いない。
2020-09-05
人はついそこから自分を外してしまう
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