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ここで泥沼に嵌ってしまいました。

2020-08-17
戦闘は拡大し事実上の戦争となったが、双方とも宣戦布告は行わず「事変」と呼んだ。
中国では一般的に「七七事変」と呼ばれるが、これ以降、日本は十五年戦争とも呼ばれる長い戦争に入り込んでゆく。

『Get Back! 30's / 1937年(s12)』

◎日中戦争
*1937.7.7 [中国] 北京郊外の盧溝橋付近で数発の銃声が響き、8日、日中両軍が衝突する。(盧溝橋事件)
*1937.8.13 [中国] 上海で海軍陸戦隊と中国軍が交戦を開始。(第二次上海事件)
*1937.12.10 [中国] 日本軍が南京総攻撃を開始。13日、南京を占領する。(南京事件)
 

 1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で日本軍と中国軍の衝突し、これが「日中戦争」の始まりとされる。日本軍への発砲をきっかけに交戦状態となったが、何者が発砲したかについては定かになっていない。この時の第1次近衛内閣は不拡大方針を閣議で確認し、現地に事態収拾を指示し一旦停戦が成立しつつあったが、蒋介石が師団を派遣するとの情報に対抗し、近衛は「北支派兵声明」を発表し停戦は困難となった。
 

 紛争が勃発した当初、日本側は「北支事変」と称し地域紛争に収めようとしたが、やがて戦闘が上海にまで拡大すると「支那事変」と命名した。戦闘は拡大し事実上の戦争となったが、双方とも宣戦布告は行わず「事変」と呼んだ。中国では一般的に「七七事変」と呼ばれるが、これ以降、日本は十五年戦争とも呼ばれる長い戦争に入り込んでゆく。
 

 戦線は上海に飛び火し「第二次上海事変」が起こると、日本軍はさらに蒋介石国民党政府のある南京まで攻略する。この南京陥落のときの「南京大虐殺」は、後の東京裁判で非人道的行為として責任を追及される。さらに国民党政府は、武漢をへて四川省奥地の重慶にまで移動したので、日本軍は険しい立地の重慶を攻略するために、200回を超える「重慶爆撃」を行った。これもまた東京裁判で、ナチスドイツ軍の「ゲルニカ爆撃」に匹敵する無差別大量殺戮であるとして弾劾された。
 

*この年
千人針と慰問袋作り盛ん/出征のぼりや小旗の需要伸び旗屋繁盛/普通乗用車5万台突破(戦前最高)
【事物】プラネタリウム/プラスチック什器/人間ドック/戦争玩具
【流行語】パーマネントはやめましょう/馬鹿は死ななきゃなおらない/銃後
【歌】人生の並木道(ディック・ミネ)/青い背広で(藤山一郎)/別れのブルース(淡谷のり子)
【映画】裸の町(内田吐夢)/真実一路(田坂具隆)/人情紙風船(山中貞夫)/女だらけの都(仏)/オーケストラの少女(米)
【本】山本有三「路傍の石」(朝日新聞)/石坂洋次郎「若い人」/川端康成「雪国」/火野葦平「糞尿譚」

 

*ブログで読む>https://naniuji.hatenablog.com/entry/20161010

弔辞

2020-08-12
李登輝先生へ
弔辞

李登輝先生、
あなたの98年の生涯を思う時、私は人間と人間の絆の強さと素晴らしさを思います。
私たちは何度も、肩を抱き、笑い合って、楽しい時間を過ごしました。
あなたは台湾総統の経験者として、私は日本国総理として、それぞれの立場はありましたが、お互いの人間としての友情や尊敬は一度も揺らぐことはありませんでした。
本日、私がここに立っているのもその証です。ただ、私の心が深く痛むのは、これが私たちの友情を確かめる最後の機会となってしまったことです。


私の父は、台湾ラグビーの星で、日本代表主将も務めた、柯子彰選手と同年でありまして、二人は早稲田大学ラグビー部で同じボールを追いかけていたそうです。
総理を退任し、2003年に台湾を訪問した際、私は柯子彰選手の墓前で、父との友情への感謝と、二人の日台親善の思いが、父の世代、私の世代、そして更に次の世代へと受け継がれていくことを祈りました。
それから17年、先日東京で、あなたの追悼記帳に伺った際、私は、大勢の日本人が長い列をつくって、あなたの遺影の前で祈りを捧げ、日台親善を願っているのを目にしました。


私たちの人間としての絆が、海を越え、立場を越えたように、今や台湾と日本の間には、 沢山の人と人との絆が出来上がっています。
台湾は、あなたが理想とした民主化を成し遂 げ、台湾と日本は、自由と民主主義、人権、そして普遍的な価値を共有する、素晴らしい 親善関係・友好関係を築き上げました。
きっと、あなたと私の友情も、次の世代へしっかりと受け継がれ、日台の親善関係はますます強固なものになっていくでしょう。


私の父と柯子彰選手が、国籍を超えて、同じラグビーボールを追いかけたように、あなたと私は、お互い政治的立場を超えて、アジアと世界の平和と繁栄という、同じ夢を追いかけました。戦後処理の嵐の中で、敗戦した日本が領土的一体性を守ることができた経緯を教えてくれたのも、あなたでした。
私は、これからも、スポーツの力で世界の人々を繋いで、あなたの分も、同じ夢を追いかけていきたいと思います。


昨年、日本で開催されましたラグビー・ワールドカップは大成功をおさめ、そして来夏は、新型コロナウイルス感染症で一年延期となった東京オリンピック・パラリンピック競技大会が幕を開けます。
東京のあなたの追悼記帳台では、あなたが好きだった「千の風になって」の音楽が流れていました。
今日またこの御霊前で「千の風になって」を聞くことが出来ました。2021年7月23日、東京オリンピックの開会式には、きっと優しい風が吹くことと思います。
その時、私は、空を見上げて、東京オリンピック・パラリンピックの成功を祈ってくれている、李登輝先生、あなたの魂とあの笑顔を感じるでしょう。

どうぞ安らかにお眠り下さい。

天花粉という時代

2020-08-10
提供は、和光堂でした。

P・・・・L

2020-08-10

ベルリンオリンピック

2020-08-12
 

『Get Back! 30's / 1936年(s11)』

(ナチス支配のベルリン五輪)
○8.1 [ベルリン] 第11回オリンピック大会が開催される(〜8.16)。(ベルリン・オリンピック)
 

 1936年8月1日、ベルリンの大競技場(オリンピア・シュタディオン)で10万の大観衆を前にヒトラーが開会を宣言。参加国49、選手3936名、実施競技21、種目129、これまでで最大のオリンピックが開催された。ベルリンでの開催はナチス政権成立前に決まっていたが、政権奪取したヒトラーは当初、オリンピックを「ユダヤ人の祭典」であるとしてベルリン開催に難色を示した。しかし、「アーリア人種の祭典」として、世界にナチスドイツを宣伝する絶好の機会として方針変更、国の総力を挙げて開催準備を進めた。
 

 ナチスドイツが命運を掛け巨費を投じて、オリンピック・スタジアムをはじめ各種競技施設や五輪史上初の選手村が建設され、「民族の祭典」というキャッチフレーズのもと、壮大な開会・閉会式、国家元首による開会宣言、初のテレビ中継など、大会期間中の華麗な演出はまさに現代オリンピックの原型となった。
 

 さらに、今では当たり前の開会式「聖火リレー」は、この大会で初めて行なわれた。宣伝の手段として採り入れられた聖火リレーは、アテネからベルリンまでナチ隊員の伴走で実施された。ギリシャのオリンピアからバルカン半島を通りハンガリー、オーストリア、チェコなどを通るコースは、皮肉にも現在、シリア難民らが延々とドイツを目指すコースと重なる。ナチスドイツ政府は聖火リレーのルート調査と称して、ルート途上の各国の道路事情を綿密に調査したが、数年後に第二次大戦が勃発すると、この時の調査は、ナチスドイツのバルカン侵攻のために活用されたとも言われる。
 

 また、女性映画監督レニ・リーフェンシュタールによる記録映画『オリンピア(第1部 民族の祭典・第2部 美の祭典)』が製作され、ナチズムのプロパガンダに徹底的に活用された。この作品は、1938年のヴェネツィア国際映画祭で金賞を獲得する等、各方面で絶賛され不朽の名作とされた。しかし第二次大戦後、リーフェンシュタールは「ナチのプロパガンダに協力した御用監督」「ナチスの協力者」として批判され、映画界から追放され、戦後長らく黙殺された。

『オリンピア』 https://www.youtube.com/watch?v=ospSnqRysgY
 

 レニは厳密な意味でのドキュメンタリー作品であることにこだわらず、実際の競技映像ではない再現フィルムを加えたり、競技後に選手を集めて撮りなおした映像、効果音、アフレコなどを挿入して、独自の編集により斬新な映像を作り上げた。これらは現在のドキュメンタリーでは許されない手法とされるが、当時の貧弱な撮影環境では容認されるべきだという見解もある。ちなみに、当作品に強く感銘を受けた市川崑監督は、後年'64『東京オリンピック』の記録映画を制作し、こちらも創作的な演出を組み入れた映像により、「記録か芸術か」という議論を巻き起こした。
 

 記録映画「オリンピア」に表現されたように、圧倒的なドイツ国民の支持のもとに大成功を収めたベルリン五輪は、その「光」の側面の裏に、いくつもの「闇」が隠蔽されていたのは言うまでもない。ヒトラーの「アーリア人の勝利」というもくろみによって、ユダヤ人、ユダヤ系選手は排除された。ベルリンのロマ族(一般にジプシーと呼ばれる被差別移動民族の一部)は、警察により事前に一斉検挙された。オリンピック選手村の所長だったウルフガング・フルストナーは、オリンピックの2日後、ユダヤ人の子孫であるという理由で軍を退役させされ自殺した。
 

 ヒトラーはアーリア人種の優越を信じ、ユダヤ人以外の有色人種も露骨に嫌悪したが、そのようなヒトラーの思惑を覆した一人の黒人選手がいた。アメリカの黒人選手ジェシー・オーエンスは、100m、200m、走り幅跳び、400mリレーで4個の金メダルを獲得して大会のヒーローとなった。黒人を下等人種として蔑視していたヒトラーは、その活躍を苦虫を噛みつぶしたようにながめ、ヒーローを讃えようとしなかったという。
 

 日本選手団では、陸上三段跳びの田島直人が金メダルを獲得、韓国併合下で日本人として出場した孫基禎はマラソンで金。そして女子二百メートル平泳ぎでは前畑秀子が、地元ドイツのゲネンゲルの激しい追い込みを僅差で押さえ金メダルを獲得、その有名な「前畑頑張れ」連呼の実況ラジオ放送は、日本の聴衆者に熱狂的な興奮を巻き起こした。
 

*この年
人絹生産高が世界第1位/アルマイト製弁当箱が普及/女性にマフラー、男児にセーラー服が流行
【事物】白バイ/色刷図案の入った慶弔電報/レントゲン関節撮影
【流行語】今からでも遅くない/準戦時体制/庶政一新
【歌】忘れちゃいやよ(渡辺はま子)/あゝそれなのに(美ち奴)/東京ラプソディー(藤山一郎)/
【映画】人生劇場(内田吐夢)/祇園の姉妹(溝口健二)/赤西蠐太(伊丹万作)/ミモザ館(仏)/白き処女地(仏)
【本】江戸川乱歩「怪人二十面相」(少年倶楽部)/山本有三「真実一路」/講談社が絵本を発売(「乃木大将」「四十七士」など)

 

*ブログで読む>https://naniuji.hatenablog.com/entry/20161006

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