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田畑正久先生の話

2020-09-26
大分合同新聞医療欄「今を生きる」第383回
(令和2年7月6日掲載)医療文化と仏教文化(209)
「お前も死ぬぞ 釈尊」。仏教伝道協会「お寺の掲示板大賞」の一昨年の大賞作品となった標語です。新型コロナウイルス感染が近隣で報告されたとき、高齢者の私も「死」が頭をよぎりました。朝、目が覚めたら「今日の命を頂いた、南無阿弥陀仏」と称えます。風邪症状も倦怠感もない。それなりに元気なのは「有ること難し」と念仏していました。
仏教では「悟りを開いても、病気になる、ならないは関係ない」と前に書きました。それでは、人間の生老病死の四苦を救うことにならないのではないかと思われる人が多いと思います。仏教は老化現象、病、死に関係なく、人間を丸ごと救います。生死(しょうじ)の苦の本(もと)を抜くというのです。
仏教の智慧は物事をあるがままに見ます。人間は多くの「因」や「縁」によって生かされている存在です。「形あるものは必ず壊れる」すなわち「死」の法則を免れることはできません。あるがままとは、死ぬのが必然のところを「有ること難し」で今日を生かされているということです。
自我意識は3歳ぐらいまでに出てくるといわれています。「身」が先にあり、後から出てきた意識は本来、物事を認識する働きをする所です。身についての正しい認識をする「場」なのです。ところが、いつの間にか身の「主(あるじ)」のようになって管理支配するようになっています。身は本来「縁起の法」の沿って動いていて、老い、病む、死ぬということが起こるのです。
仏教標語に「心に従うな、心の主となれ」があります。心は事実を認識する立場を忘れて偉くなって、いつの間にか身の管理者になろうとしているのですが、結果は欲に振り回される奴隷になっています。心も「法」に沿って一瞬一瞬変化していて無常・無我です。心の動きからちょっと距離を置いてクールに見る「主」に成れと教えています。身の置かれている状況をあるがままに見て、老、病、死は私に何を教えよう、目覚めさせよう、演じさせようとしているのかと考える。それが迷いの苦の本を抜くことになるというのです。
冒頭の標語の「死ぬぞ」とは、死を忘れ、考えないようにしているわれわれに「目を覚ませ!」と迫って、死を超える安心(あんじん)を与えようとしているのです。

田畑正久先生のお話

2020-09-21
本日は、敬老の日でした。
日本医事新報2020/03/28、No.5005、p58掲載
「仕えるべきものは欲でなく真理」
 私たちが常日頃の思考は、理性・知性の思考で物事を対象化して、客観的に見て、誰が見ても確かだと思われるものを積み重ねていく、合理的思考です。そして、人間は皆、誰からも教えてもらってないのに、「しあわせ」を目指して生きているとギリシャの哲学者が言われています。多くの日本人は「しあわせ」の漢字を「幸せ」と書いています。しかし、広辞苑(岩波書店)では「仕合わせ」が正式な日本語だと示されています。仕えるべきものに出合うという意です。
 「幸せ」と考える時、海の幸、山の幸をイメージするように、自分の周りに幸せのプルス要因を増やし、マイナス要因を減らすことが幸せな人生につながると思考します。私達は周囲の事象を、善悪、好き嫌い、損得、勝ち負けと分別して、幸せのためのプラス要因を集めて身に付け、明るい幸せを目指して生きていきます。日常生活の取り組みはほとんどこの方向性で進んでいます。
 厚労省の提示した「人生会議」へのポスターが、いわば老病死に関係する暗いイメージを持たせるもので配慮に欠けていると批判されて、回収されましたが、老・病・死をいくら隠しても、現実は老病死に直面するのです。生老病死の四苦を超える仏教文化の蓄積が宝物としてあるのに、不自然に衆目の眼の届かない施設や病院へ囲い込んでも、なくなるわけではありません。よく考えてみて下さい。超高齢社会を迎えて人は必ず老病死に直面します。医療でアンチエイジングに取り組んで「死」を先延ばししても120歳を越える人はいません。不老不死を追求した近未来でも150歳が限界だろうと言われています。
 仏教文化は「量的な長生き」を超えて、「質的長生き」を教えているのです。科学的合理思考になじみの深い医療人は、「長生きに質的ということがあるのか」と思われるでしょうが、孔子の論語に収められている「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という言葉を聞かれたことがあるでしょう。人間として道(真理)を聞かなければ、生きていても益がない。孔子が、朝、道を聞いて、夕方死んでもよい、とされたのは、欲(煩悩)ではなく真理(仏の智慧)こそ仕えるべきものだということでしょう。

最近、使ってますか・・・?

2020-09-16
Facebook平野めぐみさんのコメントより
今日、9月16日は「マッチの日」だそうです。 1948年のこの日、配給制だったマッチの自由販売が認められたことからだそうです。
マッチの語源は『蝋燭の芯』という意味です。
【マッチの歴史 】
1827年に英国のウオーカーが、軸木の先に黄燐をつけたいわゆる黄燐マッチを発明しました。工業的には1831年にフランスのサウリヤにより製造され、1844年に後世世界を制したスウェーデンのヨンコピングマッチ工場が設立されました。なお、小箱の側薬に赤燐を使用した安全マッチは、1855年スウェーデンで発明されました。
日本には江戸時代にも作られていたという古文書に残っていますが、その後の歴史から考えると金沢 藩士清水誠が、明治3年欧州に留学し、当時外遊中の宮内次官吉井友実に勧められて、マッチの製造法を研究し、帰朝後1875年(明治8年)に東京市三田四国町の吉井氏別邸に仮工場を作り、マッチの製造を始めました。翌年東京市本所柳原に「新燧社」を設立、本格的にマッチの製造を始めました。彼がマッチの製法を広く公開したこと、及び当時の失業士族救済のための授産産業として奨励され、各地にマッチ工場が設立されました。
京都にはこのマッチを使った「おみくじマッチ」があるのをご存知でしょうか?
「おみくじマッチ」があるのは、熊野若王子神社です。
中からマッチ棒が出てきて、その色で吉凶を占います。毎朝、手軽に今日の運勢が占えるし、もし凶が出てもマッチ棒をすって火を吹き消せば、悪運も吹き消せそうです。
昔は、朝起きると、すぐに仏壇にお線香をたてるために、マッチをすったと言います。その日の湿度や、風、気持ちの持ち様で火のつき具合が違うそうです。
この「おみくじマッチ」を作っているのも京都の企業です。
三光マッチ社さんです。
最近はどこも禁煙となり、マッチも見かけなくなりました。
学生時代、京都の喫茶店をあちこち回り、マッチを集めていました。いつのまにか段ボール箱一箱にもなっていました。このマッチのコレクションは20年ほど前に実家を処分したときに、断捨離してしまいました。今、手元にあればとちょっと懐かしく悔しい気持ちです。
写真が残っていたものです。
最近は、喫茶店でマッチを頂くこともなくなったのですが、まだ、マッチを配っているところもあるのでしょうか?
それから気になるデータがあります。
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「マッチの日」に合わせてというわけではないかと思いますが、象印マホービン(大阪市北区)が実施した子どもの生活体験に関する調査で、マッチや缶切りを使えない小学生の割合が、20年前に比べて増えていることが分かったそうです。
 調査は4年前の5月、首都圏に住む小学生の母親を対象に、インターネット上で実施されました。330人から回答を得たました。同社は、同様の調査を20年前の1995年5月に調査票を用いて実施しており、今回の結果と比較し、発表しました。
 調査によると、マッチを使える小学生は、全体の18.1%で、20年前の58.9%を大きく下回わりました。反対に「子どもにやらせたことがない」と回答した親は68.8%で、20年前(25.8%)の約2.7倍でした。
便利な道具が増え、体験の機会が減ったことが、マッチや缶切りなどを使える小学生が減った要因のひとつではないでしょうか?
もしもの時に備えて、こういう力をつけておくことも必要ではないでしょうか?
時代と共にライフスタイルも変わり、使われなくなっていったものもたくさんありますね。マッチもそのひとつかもしれませんね。
そういえば、缶切りで缶詰が開けることができない若い方も増えていると聞きます。最近の缶詰もプルトップとなり、缶切りが必要ない缶詰も多くなっています。

【スピーチ】豊田章男が米国で伝えたかったこ

2020-10-08
2019年3月15日、米国の首都ワシントンDC。トヨタ自動車社長の豊田は600名を超えるオーディエンスの前に立っていた。米政財界の有識者たちが参加する「The Economic Club of Washington, D.C.」のイベントにゲストスピーカーとして招かれたのだ。そこで豊田は、米国におけるトヨタの歴史や、自身も米国から多くを学んだ人間であることをスピーチで伝えた。

https://toyotatimes.jp/insidetoyota/0...

母校卒業式でのスピーチ 「さあ、自分だけのドーナツを見つけよう」

2020-10-08
米国バブソン大学卒業式スピーチ
5月18日、豊田章男は米国ボストン郊外にあるバブソン大学にいた。 創立100周年を迎える同大学の卒業式にゲストスピーカーとして招かれたのだった。 卒業式の前日、豊田は学生時代に過ごした下宿先を訪れた。そして、自らの若き日々に想いを馳せながら、卒業生たちに伝えるべきメッセージを考えていた…。 https://toyotatimes.jp/insidetoyota/0...
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